狐の王国


2006年11月11日() [過去の今日]

#1 アクセス解析をたまに見てみるとおもしろい

うちはまだtrackback付けてないので、たまにアクセス解析を見てrefererを確認してる。そうするとたまに面白いものに出会えたりするのだが、ひさしぶりにime.nuからのアクセスが出てた。2chからのアクセスなんだろうなあ。どっかに晒されてるんだろうか。だとしたら本人降臨!とかやってみたいんだが当前ime.nuじゃどこで晒されてるかわからないわけで。

それはともかく、ブラウザの比率がたまたま目に入ったのだが、それが面白かった。

  1445  29.0% Yahoo!/Slurp (http://help.yahoo.com/help/us/ysearch/slurp)
  1048  21.0% Mozilla/5
   778  15.6% DoCoMo/1
   432   8.7% DoCoMo/2
   236   4.7% MSIE/6
   176   3.5% NATSU-MICAN/3
   171   3.4% Mozilla/2

なんとIE6よりDoCoMoの方が多いよ!!

うーむ、やっぱ時代はmobile 2.0なのかなあ。

あれ、そいやisystem入れてない気がするんだが、見れてるのかな、電話な人たち……。

(@835)

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2006年11月12日() [過去の今日]

#1 Re: YouTubeのリンク

Linux版のFlash9だとShareボタンもスクリーン部リンクも効かねえんですよ!(涙)

(@464)

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#2 OSSへの投資は見返りが見えないかも

小飼弾氏の記事 で、

私は2002年は原稿料以外は無収入でした。Perl 5.8の開発に没頭していたからです。

(中略)

問題は、今のところ、open source "economy"では、「リアル」で稼いだ分を寄贈するというもモデルしか持っていないことにあります。

これは投資した分の見返りが直接見えない形で還元されてるのでは?

もし誰もperlの開発に投資してなかったら、今のLWL時代はあったろうか? LWLがあるからこそ低コストでやりたいことが実現できるようになった。その価値は不可視かもしれないけど、確実に存在してる。

もちろんそんなことはわかった上で書いておられるのだろうが、OSSから利益をまったく得てないような言い方はあんまり感心しない。

たぶんOSSを書くことで直接金銭が入って来るようなモデルがないことを言っておられるのだと思うけど、それは顧客が気付かないと無理。

OSSって売る側にはあんまりメリット無いからね。逆に顧客が要求仕様にOSSであることという一文を盛り込む事は大いにメリットがある。このへんはそれこそ伽藍とバザールを読めばわかる(と思う)。

まあそんなわけで、こちら側から提起してどうにかなるもんでもないと俺は考えてる。顧客がOSSであることを条件に発注すればベンダーロックインがふせげるということにまず気付かないと無理。顧客が自分の社員を開発に参加させないとアジャイル開発はうまく働かないのと一緒。結局どちらも顧客の意識に依存した問題なんだな、と俺は考えているのだが。

(@474)

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#3 携帯電話のspam対策

あんまり増えて来てうざったいので、ドメイン指定というやつを試してみた。ドメインを20個登録できて、それらだけ受信するかそれらだけ拒否するかを選ぶ。 しかし、spamのドメインなんて大量にありまくるので、許可ドメインのリストを作るしか無い。

で、考えてみると電話でメールのやりとりする相手は相手も電話なわけで、各種携帯電話会社のドメインと、自分が計算機から送るメールのドメインだけ指定してやればいいわけだ。ついでに電話会社のIPアドレスの範囲は調べればわかるので、特定ドメインのFromは特定アドレス範囲からのアクセスしか受けつけないとかいうルールをSMTPが持ってればいいわけか。どうせ携帯電話じゃFrom書き換えられないしね。

NTT DoCoMoがこの方式を発表したときは「なんてバカな仕組みだ」とも思ったりもしたものだが、こうしてみるとシンプルなわりに効果は大きいな。携帯電話という、ゆるやかに閉じた世界だからこそ可能な方法ではあるが。

うざさのしきい値:

あんまり増えてうざったい、と書いたが、実はせいぜい日に10通もない。だが計算機で読んでるときの10通と電話で読んでるときの10通はまるで意味が違う。日々3桁のメッセージを受け取っても読みこなせるように作られてる計算機のMUAなら、10通程度どうってことはない。が、携帯電話のUIでは10通をSubjectだけ見て既読にするなり削除するなりというのはものすごい手間がかかる。

不快さを感じるしきい値というのは、UIに大きく影響されるのだなあと改めて思った次第。

ここにコメント欄付けてないのも、このUIで議論にもちこまれたりしたらうざったいのが目に見えてるから、というのもひとつの理由にある。メールやNetNewsならどんと来いと言えるのだが。

(@915)

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#4 できる人ができない人をできるようにするには

「水からの伝言」と「できる人のジレンマ」 という記事を otsuneさんとこ でハッケソ。

そもそも「最初からできる人などいない」という一般に言われる命題が間違ってる。最初からできる人は確実にいて、彼らはなぜそれができるのか説明できないのである。できてしまうんだからしょうがない、というだけだ。

となれば、彼らに「できない人」を「できるようにする」のは無理だ。自分でもわからないのに、人がどうやってできるようになるかなんてわかるわけがない。こういうのは、「できなかったけどできるようになった人」に任せるのが一番だ。

まあ、 「水からの伝言」を信じないでください の内容に関して言うなら、こういうふうに言えばいいんじゃないのかな。

伝言ゲームになるリスクを恐れず、我々は専門家からの情報をきちんとわかりやすい形にする仕事を重視する必要があるんじゃないだろうか。その役目を負ってるのは現在のところTV番組であったりするが、まずそこがだまされてたりだましに荷担してたりするからどうしょうもない。

否定するだけでなく、彼らをしっかり支えてあげることも大事だと思うのである。もちろん、我々一人一人が周囲にきちんと伝えて行く努力もね。

(@974)

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2006年11月13日(月) [過去の今日]

#1 compiz

へえ 、compizってXglで何ができるかを紹介したデモプログラムみたいなもんかと思ってたんだが、実は実用品だったのか。

うーむ、ますますXgl動かしたくなったなあ。nvidiaのグラボ買おうかなあ。それともATIのバイナリドライバで何とかしてみるか……。

(@118)

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2006年11月14日(火) [過去の今日]

#1 ダメ人間サポートグッズ

まだ買う予定は無いけど、液晶モニタにしたらアームにしたいよねなんて話から変なところに辿り着いた。 サンコーレアモノショップ というところだが、このぞくぞく出てくるダメ人間サポートグッズの山はどうだ。 ゴロ寝deスクトップ だの ゴロ寝deマウス だの、こんなの揃えた日には一生起き上がらなくなりそうだ。

しかし液晶アーム意外と安いなあ。むやみに欲しくなっていかんな。

(@953)

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2006年11月15日(水) [過去の今日]

#1 Firefox拡張署名問題

Piro氏の記事 で盛り上がってるFirefox拡張に署名が入ってない事に関するあれやこれや。 で、どうも俺としては感覚的に「何か違ってないか?」という気がしてならない。

そもそも電子署名というのは発信者特定の技術だと思うのだが、なぜそれが内容の安全性にもってかれてしまうのかがよくわからない。Firefox本体も今でこそrelease@mozilla.orgの署名があるが、ちょっと前まではスタッフのgmailアカウントのメールアドレスの署名が入ってて「ぇー」とか思ったことがある。

もちろんその署名を信用するのは 鍵サーバにある署名の連鎖 を見て判断したり、直接会う機会があればお互いの鍵に署名しあったりして、信頼の連鎖で考えることになる。

ちなみに俺の鍵も 仲間うちで署名しあってる。

安全性云々というのは、結局「誰を信頼するか」だ。すべてのコードをチェックできるわけでは無い以上、なんらかの手段で検証を行い、その判断を信頼する他無い。Windowsユーザーに身近なところで言えば、ウィルスチェックもそうだ。あれはウィルスチェッカープログラム(の製作者)を信頼してるに過ぎない。

そして電子署名とは「誰が作ったか」を証明する技術なのだから、その信頼の助けには確実になる。

それを「神話」といって片付けてしまうのは、いくらなんでもひどすぎやしないか?

jarファイルの署名フォーマット:

んで気になっていろいろ調べてたら、jarファイルの署名ってひどくめんどくさいのね。ascファイルも一緒に置いとけばいいだけかと思ったら大間違い。

どうもjarファイルにMETA-INFってディレクトリを作ってそこに署名ファイルを突っ込むみたいだけど、これのフォーマットもよくわからない。調べればわかりそうだけど、どうも三つくらいファイルがいるみたいで、単純にascファイルいれとけばいいというわけでもなさそう。

うむ、これはめんどくさい。こんなものが普及するわけが無いな。

addons.mozilla.orgのハッシュ値:

確かに機能してればこれのほうが簡単でいいね。しかし、onclickを含むA要素をまるごとこぴってローカルのHTMLファイルに書き込んでFirefoxに表示させてみたのだが、sha1ハッシュ値を改竄してても普通にインストールできちゃったよ?

これちゃんと機能してんのかなあ……。テスト条件が悪い可能性もあるので、誰か追試頼む。

(@960)

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2006年11月17日(金) [過去の今日]

#1 DVD対応Wii

engadget japaneseの記事 で、どうやらDVD再生に対応したバージョンのWiiが開発されてるらしいとのこと。

うーん、これは悩むな。たぶんWiiはそのうち買うと思うんだけど、DVD再生できる奴のほうがいいような気もするなあ。まあ来年後半まで待つってのもアレだし、買う機会がそこまで遅れたら、でいいか。

(@082)

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#2 ホモとゲイ

かえって失礼な翻訳 という記事を読んだ。

うーん、感覚的に理解はできないんだが、

ここまで読んでもぴんと来ずに、「『ホモ』も『ゲイ』も大差ないじゃん。何が悪いの?」と思ってる方のために、もっとわかりやすい例を挙げておきます。

「あいつは俺をジャップと呼びやがった!」
「ジャップと呼ぶなんて、ひどい侮辱だ」

「あいつは俺を日本人と呼びやがった!!
「日本人と呼ぶなんて、ひどい侮辱だ」

上の会話と下の会話では、意味が違うでしょう? それと同じことですよ。

まあ、こう言われると「ホモ-ジャップ」、「ゲイ-日本人」という対応式が頭の中にできてなんとなく失礼なんだな、というのはわかる。

が、ちょっと気になって調べてみると、「ホモ」というのは homo-sexsual の略であり、そもそも homo というのはギリシャ語で「同一(same)」を表す語のようである。

対してゲイは古期フランス語が語源で、「きらびやかな(gaiety, gaily)」という意味だそうである。

どう考えてもゲイのほうが水商売、あるいは見世物的な扱いから来てる語としか思えないし、ホモのほうが単純明瞭かつ中立的な言いまわしである。なのに差別的とされるのは「ホモ」のほうなのだ。実に不思議である。

別に「ホモ」と呼ばれて差別的だと感じる感性を批判しようというわけじゃない。ただ、差別的だと感じるかどうかは、その語の持つ意味とはここまで無関係なのかという事に驚愕しているのである。

こういう言葉のねじれは、けっこうそこかしこにあるのだろうなあ。結局差別的な意図を込めて発せられた語が差別語として認知されていくということかね。だとしたら言葉狩りにはまったく意味が無いな。ただ次の言葉が差別語として認知されて行くだけだ。

(@097)

翌日追記:

よくわからないが、なぜか元ネタの人が 歴史的経緯を詳しく解説してくださってる のでリンクしておく。

一ヶ所勘違いしてたのは、古期フランス語が語源のgayという語を同性愛者の名称として使われ出したのは英語圏であって、すでに語源とは意味の乖離が始まってた時代だったというあたりかな。

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#3 Firefoxにてバグっぽい挙動

配列をalertするとマウスが効かなくなる。サイズも関係あるかも。まだ未確認。

(@161)

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#4 プログラム言語の覚え方

ふと気がつくと、いろんな言語を使ってる自分に気付く。最初はBASICだった。簡単なゲームを作って楽しんでいた。マシン語も少しやった。それからブランクがあって、Perlを使うようになった。

Perlにある程度慣れて来ると、PHPはすぐ使えるようになった。ついでにMySQLも使って、仲間うちでゲームのスコア表的なものを作ってみた。

仕事でJavaを書いてみたら書けちゃった。お客さんに作りたいものを具体的に話していただいてたので、それを具現化するだけだった。

興味本位でRubyもいじくってみた。文字コード判別ライブラリが見つからなくて、まずそれを自分で実装した。ちゃんと動いてくれて嬉しかった。後からもっといい実装があること知ったけども。

やっぱり仕事で必要になってJavaScriptもいじってみたらすぐ書けるようになった。

こう思い出してみると、言語を覚えたときというのは、その言語で実現したい何かがあったときだ。作りたい何かに向かってるとき、言語というのは意外にも簡単に頭に入って来る。どれもC言語を祖先に持つ同じ種類の言語だしね。

もちろん、それは高速道路理論 *1 のおかげだ。 プログラム言語の情報というのは、ぐぐればいくらでも出てくる。最近はソースコードサーチなんてのも出てきて、JavaScriptを書くときはけっこうお世話になった。IRCや掲示板など、迷ったときに導いてくれる先人たちとも繋がっていられる。実にありがたいことだ。

もちろん高速道路の先に渋滞があるというのは、プログラム言語でも同じ。その先は言語特有の機能や特性を理解して行くことになるんだろうな。そこまで行けば渋滞は抜けているはず。が、ついつい他の言語で遊んじゃうんだよね。広く浅くというのも、ひとつの手ではあるかもしれないけど。

そして次は関数型言語でもやりたいなあなんて思ってる自分がいる。lispやhaskelの仕事は無いだろうから、これで作りたいものを思い付かないといけないけどね。

(@338)


*1: 情報技術の発展により、学習のスタート地点からある程度の所までは一気に進めてしまうという話。 羽生善治 氏が ウェブ進化論 で語ったもの。
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#5 大学で高校世界史

読売新聞の記事に 阪大が未履修者に“高校世界史”、一般教養で来春開講 というのがあるのを某のmixi日記で知った。

授業設置を提案した桃木至朗教授(東洋史)は、「5、6年ほど前から学生たちの世界史知識の急低下に危機感を持ち始めた(中略)世界史を知らない学生を社会に出すわけにはいかない。教育者の責務として取り組みたい」と話している。

なるほどねい。大阪大学には良心的な教授がいるんだな。

まあ、しかし本来やっとくべきことをやってないで大学にいる輩がいるおかげで余計なコストを強いられるってのは、どうなんだかね。MSIEの標準外の挙動のせいで余計なコストを強いられてるウェブデザイン業のようなやるせなさを感じるな。それでもやらざるをえないところも……。

やらざるを得ないとはいえ、やらない大学の方が多いのだろうけどね。

そもそも世間というのは、勉学した人間より経験を積んだ人間を重んじる傾向がある。日本国内だけのことかもしれないが、それにしてもそういう傾向があるのは事実だ。

実は日本はぜんぜん学歴社会じゃないんだよね。どこで見たか忘れてしまったのだが、国別の学歴と所得のグラフがあった。日本では低学歴者と高学歴者の所得格差がもっとも少なかった。圧倒的と言っていいほどに。

結局学問より経験を重んじるからそうなるんだろうなあ。経験なんて所詮一人の人間の力でしか無いのにね。もちろん、理論と経験は相互に補完しあう関係であるべきだが。

(@375)

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#6 メルカトル病

ががーん 、すいません、俺メルカトル病です……。 俺のような人はどこの地図見ればいいんかのう。

(@949)

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#7 RSS.pmの改造

あ、なるほど、確かにその通り。RSSのことすっかり忘れてたな。

ご指摘ありがとうございます。さっそくそのようにしてみます。

(@979)

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#8 スケープゴートといじめ

いじめの政治性 という記事を読んだ。

いじめられっ子とタリバン等を同じレベルで語っちゃうのはいかにも問題のすり替えっぽく見えるが、いやまあ実際すり替えだなあ、これは。

それでもスケープゴートとしてのいじめられっ子っていう本質は確かにその通り。三輪中の事件でも教員が一人の子をスケープゴートにしてクラスをまとめるという手法を用いてたのが原因でしょ? いや、こういう手法を使う教員は実はけっこういるんだけどね。スケープゴートには恨まれるが、スケープゴート以外のクラス構成員はみな教員を慕い、意志統一がはかりやすいので実に便利。もちろん副作用としていじめが発生するが、犠牲者は一人なので、そいつさえだまらしとけば問題なしという、教員にとっては夢のようなメソッド。実は俺もそういう教員が担任のクラスに配属されたことがある。

そう考えるといじめを無くすのは難しいってのはわかるわね。人はスケープゴートを求めてる。簡単にスケープゴートにされないために法律ってのがあるんだが、そもそも学校内ってのは事実上の治外法権だからな。 閉鎖空間と表現してる人がいる が、まさしくその通り。

要するに、教員がいつまでもいばってないで、きちんと警察の力を借りればいい。少年法云々いうなら保護者に罪を償わせればいい。自分の犯した罪で親が懲役食らえば子供も思うところくらいあるだろう。

スケープゴート化から守ってくれるのは、今のところ法律しか無いのだから。

(@990)

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2006年11月18日() [過去の今日]

#1 管理人

うちの記事にリンクしてくださる人の中に、俺のことを「狐の王国管理人」と記述される方がいらっしゃる。

「管理人」と言われると非常に違和感を覚える。まあ確かにシステムの管理作業もしてるかもしれないが、それは「管理人」としてしてるわけじゃない。他に管理してくれる人がいないだけだ。

言うなればここは俺が好き勝手に物を言う、あるいはメモを書くために作った場所であって、その主体は「俺が言った物」であったり「メモ」であったりするわけだ。決してシステムが主体ではない。

たとえば、blogサービスを利用して俺と同じように物を言ったりメモを書いたりしてる人がいたら、その人は「管理人」だろうか。いや違う、管理してるのはblogサービスの運営者であって、書いてる人は管理人じゃない。

じゃあ書いてる人をなんて呼べばいいのだろう。「著者」か? 「作者」か?

どれも間違ってはいないのだが、ピンと来ない。はてな内部ならid:KoshianXで済むんだろうけどな。

(@047)

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2006年11月20日(月) [過去の今日]

#1 (漢字熟語)の(非英語カタカナ)

よくあるタイトル という記事。

なるほど、確かに多いな。こういうのが売れるのかな? でも「涼宮ハルヒの憂鬱」が「涼宮ハルヒのメランコリ」だったら売れなかったろうなあ。「憂鬱のハルヒ」ならありか?

そいやジブリのタイトルは「の」がついてるとヒットするってのがあった *1 けど、むしろそっちを意識して付けてるのかなあ。 言われてみれば「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」もこのパターンに当てはまるのか。でも「となりのトトロ」が「隣人のトトロ」とかだったら売れなかったと思う。

実際のところ意味が通じない(けど調べればわかる)外来語ってのは、作品タイトルにある種の「ひっかかり」を与える効果があるかもね。その「ひっかかり」が作品タイトルを覚えてもらうコツになってるのかもしれず。

うちも時流に合わせて「狐のモナーク」とでも改名するか?

(@200)


*1: 実際には「の」が付いてないタイトルがほとんどないだけ。
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#2 ネガティブ意見はフィードバックになるか?

定期的に現れるネガティブ意見がフィードバックになると主張する人がまた現れた模様 。 こういう意見に納得しちゃう人も多いんだけど、俺はそうは思わない。だって「つかえねーよ」とか「動かなかったよ」とかじゃフィードバックにならないじゃん。評論するのは自由だが、それを作者にぶつけて何が得られるのか、俺にはわからない。

結局「利用する」という前提が無いと何を言ってもフィードバックにはならないんじゃないかなあ。利用するからこういう所が困る、こういうところが使いにくい、なんとかならんか、というのならフィードバックになるだろうけど、こういうところが困る、こういうところが使いにくいから使いません!ってのは意見の相違にしかならないんじゃないか?

まあ、「某スレ」としか書かれてないのでネタ元の雰囲気とかわからずに書いてるから、勘違いもあるかもしれんけどね。

(@221)

翌日追記:

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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