2006年11月12日(日) [過去の今日]
#4 できる人ができない人をできるようにするには
「水からの伝言」と「できる人のジレンマ」 という記事を otsuneさんとこ でハッケソ。
そもそも「最初からできる人などいない」という一般に言われる命題が間違ってる。最初からできる人は確実にいて、彼らはなぜそれができるのか説明できないのである。できてしまうんだからしょうがない、というだけだ。
となれば、彼らに「できない人」を「できるようにする」のは無理だ。自分でもわからないのに、人がどうやってできるようになるかなんてわかるわけがない。こういうのは、「できなかったけどできるようになった人」に任せるのが一番だ。
まあ、 「水からの伝言」を信じないでください の内容に関して言うなら、こういうふうに言えばいいんじゃないのかな。
- ああ、結晶きれいだよね。ああいうのができるのは昔から知られていて、別に新しい発見というわけじゃないけども、俺も結晶の写真好きだよ。Libbrecht教授のサイトにいくといろいろ見れるよ、ほら。きれいだよねー。
- うーん、言葉をかけると結晶が変わるってのはありえないとは言わないけど、なんかオカルトチックだよね(笑)
- まあ言葉云々の前にちゃんと温度とか環境を管理して、同じ条件で試さないと何とも言えないねー。その本で書いてあるようなのは実験とは言えない代物だね。
- 水の研究自体はけっこう進んでて、人間の言葉や精神状態の影響は無関係だってのはほぼ間違いないってことになってるよ。もしそれがひっくり返せるならおもしろいから、ぜひちゃんと実験してもらいたいもんだね。
- ま、ちゃんと実験してないのにしてるように見せかけて、本売ってお金儲けしてるんだから、詐欺みたいなもんじゃない? ほら、ナントカってキノコで癌が直るとかいってお金儲けしてた会社あったじゃない。あれと同じようなもんだと思うよー。
- どんなにいいこと言ってても、ウソっぱちじゃしょうがないじゃん。授業に使った先生もいるらしいけど、子供に悪影響及ぼすだけだと思うなあ。
伝言ゲームになるリスクを恐れず、我々は専門家からの情報をきちんとわかりやすい形にする仕事を重視する必要があるんじゃないだろうか。その役目を負ってるのは現在のところTV番組であったりするが、まずそこがだまされてたりだましに荷担してたりするからどうしょうもない。
否定するだけでなく、彼らをしっかり支えてあげることも大事だと思うのである。もちろん、我々一人一人が周囲にきちんと伝えて行く努力もね。
(@974)
#3 携帯電話のspam対策
あんまり増えて来てうざったいので、ドメイン指定というやつを試してみた。ドメインを20個登録できて、それらだけ受信するかそれらだけ拒否するかを選ぶ。 しかし、spamのドメインなんて大量にありまくるので、許可ドメインのリストを作るしか無い。
で、考えてみると電話でメールのやりとりする相手は相手も電話なわけで、各種携帯電話会社のドメインと、自分が計算機から送るメールのドメインだけ指定してやればいいわけだ。ついでに電話会社のIPアドレスの範囲は調べればわかるので、特定ドメインのFromは特定アドレス範囲からのアクセスしか受けつけないとかいうルールをSMTPが持ってればいいわけか。どうせ携帯電話じゃFrom書き換えられないしね。
NTT DoCoMoがこの方式を発表したときは「なんてバカな仕組みだ」とも思ったりもしたものだが、こうしてみるとシンプルなわりに効果は大きいな。携帯電話という、ゆるやかに閉じた世界だからこそ可能な方法ではあるが。
@ うざさのしきい値:
あんまり増えてうざったい、と書いたが、実はせいぜい日に10通もない。だが計算機で読んでるときの10通と電話で読んでるときの10通はまるで意味が違う。日々3桁のメッセージを受け取っても読みこなせるように作られてる計算機のMUAなら、10通程度どうってことはない。が、携帯電話のUIでは10通をSubjectだけ見て既読にするなり削除するなりというのはものすごい手間がかかる。
不快さを感じるしきい値というのは、UIに大きく影響されるのだなあと改めて思った次第。
ここにコメント欄付けてないのも、このUIで議論にもちこまれたりしたらうざったいのが目に見えてるから、というのもひとつの理由にある。メールやNetNewsならどんと来いと言えるのだが。
(@915)
#2 OSSへの投資は見返りが見えないかも
小飼弾氏の記事 で、
私は2002年は原稿料以外は無収入でした。Perl 5.8の開発に没頭していたからです。
(中略)
問題は、今のところ、open source "economy"では、「リアル」で稼いだ分を寄贈するというもモデルしか持っていないことにあります。
これは投資した分の見返りが直接見えない形で還元されてるのでは?
もし誰もperlの開発に投資してなかったら、今のLWL時代はあったろうか? LWLがあるからこそ低コストでやりたいことが実現できるようになった。その価値は不可視かもしれないけど、確実に存在してる。
もちろんそんなことはわかった上で書いておられるのだろうが、OSSから利益をまったく得てないような言い方はあんまり感心しない。
たぶんOSSを書くことで直接金銭が入って来るようなモデルがないことを言っておられるのだと思うけど、それは顧客が気付かないと無理。
OSSって売る側にはあんまりメリット無いからね。逆に顧客が要求仕様にOSSであることという一文を盛り込む事は大いにメリットがある。このへんはそれこそ伽藍とバザールを読めばわかる(と思う)。
まあそんなわけで、こちら側から提起してどうにかなるもんでもないと俺は考えてる。顧客がOSSであることを条件に発注すればベンダーロックインがふせげるということにまず気付かないと無理。顧客が自分の社員を開発に参加させないとアジャイル開発はうまく働かないのと一緒。結局どちらも顧客の意識に依存した問題なんだな、と俺は考えているのだが。
(@474)
2004年11月12日(金) [過去の今日]
その但し書きとやらを引用してみると、
「本教科書には、進化に関する記述が含まれる。進化は生物の起源に関する一理論であって、事実として確認されたものではない。この記述には偏見なく接したうえ、注意深く内容をあらため、批判的に熟考するべきである」
翻訳されたものだからニュアンスが再現されてるかはわからないが、これを見る限りにおいては別段普通の記述であり、問題があるようには思えない。
ようするにコンプレックスなんだわな。過剰反応してしまうという。抗議団体はそういうところあるわな、政治的なもんかもしれんが。
(@464)
#3 白菜とキノコのクリームソース
昨日母と行ったイタリアンレストランで食べた、白菜とキノコのクリームソースのスパゲティがいたくうまかったので、自分でも作ってみた。材料はこんな感じ。
- 白菜3枚ほど
- 人参適量
- タマネギ中1個
- えのき 半玉
- しめじ 半玉
- 牛乳 500mlくらい?
フライパンを弱火にかけ、オリーブオイルでタマネギを透き通るまで炒める。白菜は白い部分は取って細切りに。葉の部分は適当にざくざく。人参は薄切り、キノコ類は根を取ってばらばらっと突っ込む。
だいたい火が通ったら、小麦粉をスプーン(カレーとか食べるときに使うやつ)に軽く2杯。油とよく混ざるようにヘラでかきまぜる。馴染んだら、牛乳を少しずつ入れて均等になるよう混ぜていく。あとは時々かき混ぜながらしばらく煮つめる。
煮詰まったら、味を見ながら塩胡椒ナツメグで仕上げ。ゆでたてのスパゲティを突っ込んで混ぜたらできあがり。
店で食ったものには及びも付かなかったが、それでもうまい。ほかほか幸せ。具はこちらのほうが断然多いしな!
(@432)
#1 チャリンコ
タイヤとれやがった。走り出そうとしたら、リアタイヤに違和感があったので、見てみたらホイールからゴム部分が外れてやがる。エアがゆるくてヨレに耐えられなかったんだろうか。
とりあえず木ベラがないので、針金ハンガーでぐいぐいとホイールに押しこみ、エアを入れたら普通に走れた。パンクしてるわけでもないっぽい。謎くせえなあ。
(@003)
2003年11月12日(水) [過去の今日]
#4 デスクトップ・リプレースメント
昔あったSFのTRPGでは、パソコンは宇宙船備え付けの大型のものと、ノート型しかなかった。デスクトップは性能面で大型にかなわず、ノートに大差を付けられないため、生き残れなかったと説明されてたように記憶している。
それはもう10年ほど前のゲームだったのだが、現実にパソコンが普及してみると、やはりデスクトップよりもノートが売れてる。予言も当たっているのだろうが、 ZDNNの記事 で見掛けた バイオP のプレゼン写真を見て、なるほどと思った。
実は多くのユーザーがノートを「運べて」「しまえる」パソコンとして使っていた
との由。A4ノートユーザーの27%が据え置き利用であり、43%が屋内で移動あるいは収納しているのだそうだ。
まあ、確かにデスクトップはでかいので、ノート型のほうがいいと思う人も多いのだろう。ヘビーに使うなら拡張性の段階で却下だけどね。
最近はNECやソーテックもスタイリッシュな小型デスクトップを出している。A4ノートユーザの使用法に合わせたデスクトップということだろう。デスクトップはこういう形で生き残りそうではあるが、メインストリームは大型ノートになるのであろうな。少々寂しい気もするが、これも時代の流れか。
そういう時代になるのであれば、ストレージをたんまり積み込んだPCを別部屋に置いて、広帯域LANでA4ノートなり小型デスクトップなりからアクセスしながら使うというスタイルもありかなとも思う。HHKレイアウトのキーボードが付いたA4ノートが出たら、だけどね。
(@481)
カス。なによ、駆動時間2.5〜4時間って。んなもん持ち歩けるかボケ。軽さを売りにモバイラーに訴えかけるっつーなら、駆動時間は重要だろ。
まあ、それでも他の部分はよくできてる。必要最小限の機能だけを搭載し、あとは各自拡張せよという考えは、現代のモバイルコンピュータ市場では斬新だろう。各種装備を持ち歩けば重量は他の軽量ノートPCと変わらなくなるという指摘もあるが、それこそ自分自身で必要なものを選んで持ち歩けばよいことだ。悪くない思いきりだと思う。
だがやっぱ電池がなあ……。最低でも10時間は持ってもらわないと使いものにならないし、理想を言えば300時間くらいもってほしい。モバイルコンピューティングに駆動時間は最大の要素だ。
やっぱりDOSモバが最高か……あれを越えるモバイルコンピュータは現れないのか……
(@452)
#2 ぬ
先程の記事が何度送ってもSHIFT_JISとして送られてしまって悩み。navi2chからのコピペが悪かったかなあ。これくらいペースト先のバッファの文字コードに合わせてくれりゃいいのに。WanderlustもEmacsも俺にはまだ謎が多い。
(@303)
#1 wl-fccに一工夫
俺の要求を満たすfccの設定というのはけっこう難しいらしい。
- 出したメールは全部 %INBOX.Sent に残しときたい
- ML以外に投げるメールは、分類されてるフォルダにもfccしたい(個人間のやりとりでもスレッドになって読みやすくなるので)
ということで 2chの過去ログにあった設定 をちょいカスタマイズすることにした。現在は過去ログ倉庫にあるので、その部分をまるっと引用しておく。
From: [894] 888 <sage>
Date: 03/03/21 18:35
;; wl-fcc 値を現在の folder にする
(setq wl-fcc (lambda ()
(if (string-match "^\\+" wl-draft-parent-folder)
wl-draft-parent-folder
"+outbox")))
結局、これであきらめました。
`wl-fcc-force-as-read' がうまく機能しなくなるけど・・・
あと、'mark folder にあるメールから、オリジナルが
置いてある folder を知るにはどうすれば良いんだ?
folder が1つとは限らないから、これは無理かな?
なるほどうまい手だ。しかしこれだけだとMLの時は除外とかできないので、
(setq fcc-default-sentbox "%INBOX.Sent") (setq wl-fcc (lambda () (if (string-match "^\\%INBOX\.ML" wl-draft-parent-folder) fcc-default-sentbox (if (string-match "^\\%" wl-draft-parent-folder) (concat wl-draft-parent-folder ", " fcc-default-sentbox) fcc-default-sentbox))))
こんな感じにした。`wl-fcc-force-as-read'もふくめ、今の所うまく動いてるようである。
(@273)
2002年11月12日(火) [過去の今日]
#2 PC-9821Ne2にCFカードを
動かなくて悩んでたが、2.4カーネルにしてたので/etc/pcmcia/config-2.4をconfigとリネームしたら動いた。
さて、あとはide.optsによる自動マウントだが……
(@904)
@ 自動マウント:
case "$ADDRESS" in *,*,*,1) INFO="Sample IDE setup" DO_FSTAB="n" ; DO_FSCK="n" ; DO_MOUNT="y" FSTYPE="msdos" OPTS="irq_list=10,11,12,14" MOUNTPT="/mnt/ide" ;; *,*,*) PARTS="1" # Card eject policy options #NO_CHECK=n #NO_FUSER=n ;; esac
こんな感じでいけたっすー。DO_FSTABをyにしてたのが悪さしてたのかなあ。
(@907)
まっ杖の日記 でハッケソ。
日本人の精神年齢は12歳、なんてこと言うから、またどこかの馬鹿者が阿呆な事言ってるのかねと思ったら、意外にまとまった論で面白かった。
俺はあまり日本人以外の人間と付き合った事が無いのでわからないが、確かに周囲を見てると論理性に欠ける人が多い
*1
なとは思う。そして歴史的に見ても日本人は柔軟で物事を受け入れやすい特性があるのは確かだ。それを総じて精神年齢12歳という表現にしてしまうのはどうかと思うが、視点としては面白い。
ただ、宗教云々に関してはどうかと思う部分もある。世界的現象か日本だけの現象かは不明だが、「宗教」「信仰」といった言葉が悪い意味で使われる事例が目立つようになって来た。90年代の新興宗教ブームの反省もあるのだろうが、本来の信仰までも懐疑・揶揄の対象になりつつある雰囲気を感じる。宗教は論理を超越した救いの場だ。それを失った人間は倫理観を失う。コンビニの前に座り込む事をなんとも思わず、生命を奪う事にためらいもせず、そしてエロゲーに興じる事を恥じるどころか自前のウェブサイトで堂々と公言するような人間になるのである。もちろん俺自身も例外ではない。
要するに、人間はこうあるべしという「型」が消えているのだ。人間を男や女、あるいは職業に当てはめてもいい。それを自由と呼び、崇め奉ってるのが現状である。型無しの時代に生きる我々に、小泉八雲の言葉はどう響くのだろうか。
その国の宗教がわからなければ、その国の真の姿を理解することはできない……小泉八雲
とりあえずこのメールマガジンは面白そうなので購読する事にしよう。
(@762)
2001年11月12日(月) [過去の今日]
#2 もじら
なんかまたフォントおかしくなりやがりました。w3mに浮気してたせいでしょうか。まあ、見て下さい。
フォームのフォントがこんな巨大に……。いったい何が原因なんだろう。usurContent.cssいじっても直らないし……。
(@436)
#1 JRの定期券は金に変わる
買ったばかりの定期券紛失したので、JRに問い合わせました。
すると、対応としては「無くした方が悪い」とのことです。
駅で取得すれば購入した駅に配送されるようですが、身分証を提示さえすれば誰でも払い戻しできてしまうそうです。
そして身分証を提示したところで定期券を購入した人に連絡するでもなく、あっさり換金してしまうとの事です。もちろん定期券を止めるなんてこともしません。
つまりですね、JRの定期券は拾ったら使い放題、名前を定期券のものに書き換えた身分証明書を用意すれば金にすらなるわけです。
さあ、この文章を日記に書くべきか2chに書くべきか、はたまたクレームサイト立ち上げるべきかと思案していた所、JRから電話が来ました。
文句さんざん言ってやったのが効いたのか、あちこちの駅に電報をまわしておいてくれるとのこと。これで換金しようとするやつがいたらとりあえずひっかかるでしょう。まあ、でも使われ放題なのは変わらないんだろうなあ、自動改札の機械ではじいたりはしないらしいから。
とりあえず、それなりに対応してくれた事を評価して、日記に書くにとどめておいてやろう。
(@111)