2008年05月08日(木) [過去の今日]
#1 ドメインと看板と言論責任
前の記事 にはいろいろと反応を頂いた。
それであちこちの反応を見てて感じたのだが、どうも(俺も含め)みんな想定してるケースがまちまちで、ひとつの事を論じてる状態になってるようでなってないという印象を受けた。
どうもそのへんが自分の中でもまとまらなくてずいぶんと間をあけてしまったのだが、いろいろヒントをもらったりしたので改めて書いてみようと思う。
その情報を開示することが犯罪になるようなもの、盗聴した他人のプライベート音声やらを確信犯的に掲載してる場合等、サーバ管理者側に削除要請を出すのは自然だと思われる。相手は信念なり悪意なりを持って掲載してるわけだから、本人に削除要請を出したところで受け入れられるとは思えない。
また、当人に直接連絡を取ることが危険だと思われる場合も同様だろう。従来の発言から危険な人物だと思われた場合、直接連絡を取って削除要請をするというのは、かえって身の危険を招く。
こういった場合、プロバイダなりサーバ管理者なりを通して削除請求を出すのは当然だと思うし、それに応対する義務が課せられるのもしょうがないと思う。
マンションの住人同志でトラブルが起きないように管理者を通して苦情を入れるようなものか、という指摘をもらったのだが、これはまったくその通り。それはそれでいいと思う。
雑誌や新聞の文責についても同様で、あれは編集した人間なり組織なりが文責を負うという面があるのはしょうがないだろう。そもそも記事を書いた人間が書かれてない事も多いしな。
で、インターネットのサーバの場合はどうよ、というと、サーバ管理者の仕事はどちらかというと雑誌で言えば流通に相当する部分であって、裁判所からの命令があれば流通を止めるということはあっても運んでる本の内容に責任を負う立場ではない。 *1
だがもちろん心証という点ではまた違って来るだろう。それは 淳の記事 にある通り。
多いか少ないかの違いは、そのユーザーとドメインの所有者との関係性にある。
金銭による貸借契約みたいな関係(文中に出てくるならOCNか)ならば関係はきわめて薄いだろう。
しかしドメインの所有者そのもの、もしくはドメインの所有者グループの一員ともなれば関係は濃いと(他人には)受け取られる。
ここらへんは はてブコメント でもらった otsuneさんのコメント にも似たような解釈があって、
2008年05月02日 otsune ここは「はてなユーザーの看板を背負って」と書いたほうが正確だろうな。そんなことないけど→その理屈で言えばid:muffdivingさんは株式会社はてなの看板を背負って
さっきのマンションの例で言えば、あそこのマンションはネコ飼ってる人が多くてうるさいとか、こっちのマンションはゴミをちゃんと処理してる人が少なくてくさいとか、そういう心証を他者に与えるか、という点においては真であろう。
「はてなユーザーって気持ち悪い」みたいなのと一緒。他人はそう思うよね、という。
が、それはそういうイメージの問題であって、責任とは違うよね、というのが俺の意見なわけね。
文責はあくまで書いた人にある。あそこの会社は変な奴ばっかだなあとか危ない奴が多いなあとかいう印象を他人に持たれてイメージ的に悲しいのでなんとかしてくれとか会社に言われちゃうのは「息苦しい社会だね」という話であって、所属組織、それもサーバ管理者に文責を求めるのはお門違いだ。
はてぶで 究極的には、我々、あなた方、が、どこまで連座する社会を作りたいかというところ。 というコメントをもらったが、これもまったくその通り。
あんたら、そんなに匿名でこそこそしなきゃ言いたいことも言えない世の中を作っていきたいの?っていう話。
元々の事件に関しては、 青山学院大学学長の見識を問う(追記と一部撤回あり) にほぼ同意。大学側は正当な削除要求があればアカウントの停止なり当該情報の削除なりの応対をしてもいいだろうが、文責はあくまでその教員のものだろう。学長が謝罪すべきは教員として問題のある人間を雇用し仕事をさせていたこと、及びその事実を認識できてなかった事であって、教員の言論について謝罪するのは間違ってる。ましてや大学のサーバのユーザーであることを理由に大学に責任を負わせようというのは、 佐々木俊尚さんのいう"「おまえの会社を教えろ。上司にチクってやる」という恫喝"に他なるまい。
もっとも、これは俺の信念に近い部分もあるので、その事で大事な友達を悩ませようとはまったく思わんよ。どうしても社会が連座させたがってしょうがないというのなら、連座させる人間がいないところでやるだけさ。
(@241)