2008年04月03日(木) [過去の今日]
#1 表現規制に見るデフォルトの判断
ここ最近日本ユニセフ協会の提示する「凖児童ポルノ」という言葉の定義を巡って、表現規制についての議論がよく見受けられる。俺も先月少し書いた。
で、このへんでよく言われるのが「規制の根拠になるデータ」ね。
規制したい側は規制してあたりまえだと思ってるせいか、データ出さないんだよね。たぶん彼らからしてみれば、「水からの伝言がうそだというなら反証実験してみろ」と言われてるようなもんなんじゃないだろうか。それくらい規制して当然と考えてるのだと思う。
ようするにデフォルトの判断がまったく逆なんだわな。
よくいる青少年を守るとかなんとかいってコンビニからポルノを撤廃させたりしてるような連中も、同様なんだろうな。
で、思うんだけど、彼らは本当に「表現の自由に優先して規制するべき」と考えてるのだろうか?
もし本気でそんなこと言ってるのだとしたら、テロリストと変わらない。自由と平等を(建前だとしても)掲げた 国家の敵としかいいようがない。
しかし、そんな狂人ばかりで組織を作れるだろうか。実効力のある活動を維持できるだろうか。
俺は、そこも疑問なんだよな。
だからもしかしたらそれなりに考えて行動してるんじゃないかと思うんだよな。はた目には国家の敵としか言いようが無い言動をしてても、中身は本気でそんなこと考えてないんじゃないかと。要求は100%受け入れられるわけじゃないから何割増しかにして出すのも普通と言えば普通だし。
それで少し考えたのだけど、もしかしたら彼らが求めてるのは「ポルノが氾濫してない街」というだけなのではないかと。
それならまだ納得できる。ポルノなんぞいまどき通販で買えばいいのであって、コンビニやら町の書店やらで売る必要なんてまったく無い。
むしろ子供が出入りしてるようなところにポルノがごろごろしてるほうが嫌だ。それで構わないというならむしろそれで構わないという根拠になるデータ持ってきてくれ。俺のデフォルトはこっちだ。
ネットには判断が理性に偏りすぎてる人が多いが、こういう感性の判断も別に間違いだというわけでもない。むしろ感性の判断を理性で補強してる事の方が多いのではないだろうか。 *1
まあそれならネットを目の仇にするのも理解できる。無尽蔵のアドレスがあるネットじゃ未成年を近づけないようにはできないしな。
もし本当にそうならそうと言ってくれれば、CGM的なブラックリスト生成だとかいろいろ方法はあるのだがなあ。
彼らはあんまりネットを敵に回そうとせず、味方に付けて協力をあおぐ事を考えた方がいいのではないだろうか。
(@080)