2006年11月17日(金) [過去の今日]
#2 ホモとゲイ
かえって失礼な翻訳 という記事を読んだ。
うーん、感覚的に理解はできないんだが、
ここまで読んでもぴんと来ずに、「『ホモ』も『ゲイ』も大差ないじゃん。何が悪いの?」と思ってる方のために、もっとわかりやすい例を挙げておきます。
「あいつは俺をジャップと呼びやがった!」
「ジャップと呼ぶなんて、ひどい侮辱だ」
「あいつは俺を日本人と呼びやがった!!
「日本人と呼ぶなんて、ひどい侮辱だ」上の会話と下の会話では、意味が違うでしょう? それと同じことですよ。
まあ、こう言われると「ホモ-ジャップ」、「ゲイ-日本人」という対応式が頭の中にできてなんとなく失礼なんだな、というのはわかる。
が、ちょっと気になって調べてみると、「ホモ」というのは homo-sexsual の略であり、そもそも homo というのはギリシャ語で「同一(same)」を表す語のようである。
対してゲイは古期フランス語が語源で、「きらびやかな(gaiety, gaily)」という意味だそうである。
どう考えてもゲイのほうが水商売、あるいは見世物的な扱いから来てる語としか思えないし、ホモのほうが単純明瞭かつ中立的な言いまわしである。なのに差別的とされるのは「ホモ」のほうなのだ。実に不思議である。
別に「ホモ」と呼ばれて差別的だと感じる感性を批判しようというわけじゃない。ただ、差別的だと感じるかどうかは、その語の持つ意味とはここまで無関係なのかという事に驚愕しているのである。
こういう言葉のねじれは、けっこうそこかしこにあるのだろうなあ。結局差別的な意図を込めて発せられた語が差別語として認知されていくということかね。だとしたら言葉狩りにはまったく意味が無いな。ただ次の言葉が差別語として認知されて行くだけだ。
(@097)
@ 翌日追記:
よくわからないが、なぜか元ネタの人が 歴史的経緯を詳しく解説してくださってる のでリンクしておく。
一ヶ所勘違いしてたのは、古期フランス語が語源のgayという語を同性愛者の名称として使われ出したのは英語圏であって、すでに語源とは意味の乖離が始まってた時代だったというあたりかな。