2006年11月21日(火) [過去の今日]
こちらこそフィードバックありがとうございます。
そもそも「不得手を修正する」という考えが俺には理解できないです。他人から見たら不得手に見えるかもしれないが、それは何かを実現するために犠牲にしたもの、あるいは優先度を下げてるものであるという可能性には、思い至りませんか?
だから前の記事では「意見の相違にしかならないんじゃないか」と書いたわけです。
そもそも「お前の悪口いっぱい言うぞ。ぼろくそにけなすぞ。それはお前にとってメリットだろ」と言って悪口を正面切って言うってのは、人間としてちょっとよろしくないんじゃないかとも思うわけです。メリットかどうかは他人が決めることではないですからね。
特定の世界に限らないけども、他人のメリットを自分が規定できると思い込んでる人はかなり多い。それはお仕着せでしかないんだよと、この場でとりあえず言っておきます。
もちろん、ボロクソに言われることで成長に繋がる事も知っています。でもそれはね、その世界の先輩たちが言うからこそ説得力があるんです。それを受け入れて正常進化したり、はねのけてイノベーションを起こしたりするわけです。
@ 評論とフィードバック:
ひとつ勘違いしてはいけないのは、評論とフィードバックは違うということです。
評論家は嫌われ者です。物を作らないくせに偉そうな事を言うからです。しかし世の中は評論家を求めています。製品をきちんと評価し、エンドユーザーにわかりやすい言葉で伝える役目があるからです。エンドユーザーはそれを見て、自分に合った製品を選びます。
フィードバックはそうじゃありません。大きく見れば評論もフィードバックのひとつですが、評論がユーザーに向けて発信されるものであるとすれば、フィードバックは開発者に向けて発信されるものです。そもそもユーザー向けの評論を開発者に向けてぶつけても、何の意味もありません。
では開発者にぶつけて意味のあるフィードバックとは何か? 申し訳無いですがここは逃げさせてもらいます。もう多種多様なものが考えられるので、一概にこうとは言えません。
それでもあえてまとめようとすれば、以下のような視点になると思います。
- ぜひやりたいもの
- お金をもらえるならやってもいいもの
- お金をもらってもやりたくないもの
1のフィードバックは大歓迎、2のフィードバックは金額によるでしょう。3のフィードバックはうざったいだけです。
もちろん、同じものでも場合によってどこに入るかは変わって来るでしょう。開発者が複数いる場合は個々によってどこに入るか変わるでしょうし、フィードバックの内容によっては1に入ったり2に入ったりする事もあるでしょう。代表的なのはパッチですね。パッチまで作ってもらったら1に入る可能性はぐっと高くなります。もちろんパッチを作っても内容が3なので却下、ということもあります。ていうか実際、俺もそれで却下されたことがあります。
さて、上記を踏まえた上で、改めて開発者にとってのメリットというものを、再考されてはいかがでしょうか?
(@235)
@ 23日追記:
Piro氏が感想を書いてくださってる。 俺なんかよりずっと、たくさんのプログラムを公開してたくさんのユーザーを抱えてるスゴイ人から共感の言葉を得られるのは嬉しいね。