狐の王国


2007年08月21日(火) [過去の今日]

#1 音楽ファンはアニオタと一緒にアニソンを歌え!

「もってけ!セーラーふく」の音楽性が評価されてるらしい。 J-popは「もってけ!セーラーふく」に敗れたのか? という記事。ネタ元がよくわからんのだが、なんでも音楽的にイケてるわよね、みたいな話が音楽業界のほうから聞こえて来てるらしい。

俺も最初聞いたときは「なんじゃこりゃ?」とか思ったのだが、何度も聞いてるうちにどんどんハマって来た。「だだだだ!」のスクラッチはすぐ気に入ったし、ベースがやけにかっこいい事に気付いたり、ヘタレ萌えソングかと思いきや意外とよく作られてるのは、素人の俺にもわかる。

だけど、まさか音楽業界のほうから評価が出るとは思わなかったなあ。

正直、最近のJ-POPよりアニメのために作られてる楽曲のほうが聞いてて心地よい、というのは数年前から感じていた。J-POPが元気だったのは90年代の話で、俺もあの頃の歌は好きなものが多いし、子供たちに聞かせても90年代のJ-POPはやはり評判がよい。

どうしてこうなってしまったのだろうか?

思うに、ちゃんとした作曲家と作詞家がいなくなったのではないだろうか。歌手やバンドが作詞も作曲もやるようになり、専門の作曲家や作詞家の手掛けた楽曲が少ないように思う(ちゃんと統計とってみないとはっきりとは言えないけど、目立つ曲がそういう印象)。

その点、アニソンは歌手が兼業してるのはせいぜい声優どまりであり、作詞や作曲は専門家の独壇場である。また、歌い手もそれなりの訓練をこなして来た人達であり、かわいい女の子やかっこいい人はけっこういるけど、それだけという人はまったくいない。歌が下手な声優としては、セーラームーン役などでお馴染みの三石琴乃がいるが、彼女の歌が主題歌として使われたりすることはまずない。せいぜいアニメの企画アルバムの片隅にあるくらいである。

また、アニメソングは「売る」という事に関してあまり心配がいらない。アニメファンはちゃんと買ってくれるし、それだけでも充分以上の売上が出る。

そんなわけで、作詞、作曲、歌手と、全員が専門家ぞろいの中、ちょっと思い切った事もできるという土壌があるのではないか。楽曲を作り上げるということに、素直になれるのではないだろうか。

考えても見たまえ。「売れる」ことはわかってて、いい曲を作る事にだけ注力できるという、夢のような状況があるのだ。こんな好条件でいい曲を出せないのでは、もはや無能としかいいようがあるまい。

俺もアニメの主題歌で気に入った曲はけっこうある。今やってるもの中でも、「アイドルマスター」の 微熱S.O.S!! はシンプルで素直でまっすぐな曲で、人によってはつまらないだろうが、俺はかなり大好きである。 水樹奈々による「魔法少女リリカルなのはA's」の主題歌である ETERNAL BLAZE や同「StrikerS」の前期主題歌である SECRET AMBITION など、おもいっくそツボだった。あまりちゃんと聞いてないが、JAM Projectの曲なども俺の好みである。

もちろん、アニメのイメージを生かすような曲だとか、企画側からのオファーだとか、縛りがゼロというわけじゃないだろう。だが縛りゼロで作っていいのは純音楽だけだ。そして純音楽は我々大衆のための音楽ではない。

しかしそれでも、J-POPよりずっと専門家がその実力を発揮できる場所なのは間違いないだろう。

そういうわけだから音楽ファン諸君よ、我々アニメオタクと共にアニソンを聞き、そして歌おうではないか。

え、イヤ? そんなこと言わないで楽しもうよー。

(@339)

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#2 『「世の中は厳しい」なんて大嘘』にちょっとだけ補足

「世の中は厳しい」なんて大嘘 という記事。内容には概ね同意なのだが、 はてなブックマークの反応 を見てもピンと来ない人がけっこういるようだ。

なので俺なりにではあるが、ちょっとだけ補足させてもらいたい。

まずこの話はネットの経済圏、つまりはGoogleやAmazonのアフィリエイトの市場が今の数十倍から数百倍になった未来を前提にしている。実際のところアメリカではすでに日本の市場の10倍程度の規模になってると言われるし、国内でも向こう数年で軽く数倍くらいには膨れ上がるという予測がある。

要するにネットのメディア価値が高くなるということだ。すでに3年も前に ネットの市場規模はラジオを抜いている し、これからネットが食い始めるであろうテレビの広告市場は2兆円以上もある。ネットの今の広告市場はそのたかだか1/10程度だ。まだまだ伸びる市場なのである。

そして重要なのは、その広告市場のプレイヤーが企業から個人へ移るということだ。広告収益を得るのがマスメディアを運営する企業ではなく、ブログなどのサイトを作る個人なのだ。

これにより、個人収益を挙げられる人が爆発的に増大する。大企業1つ食わせるだけの収益がたくさんの個人にバラまかられるのだ。2兆円規模としても、1人頭平均30万円とすると60万人以上の人間が「食える」ということになる。実際には偏りがあるので、食える奴はもう少し少なくなると思うが。

そしてまた別の側面から考えると、企業の仕事が情報技術により少数精鋭でまかなえるようになる。今程の大人数を動員しなくても、ごく少数の人間が動くことで成り立つようになる。それは効率化が極限まで進んだ未来の姿というわけだ。それが21世紀中にできちゃうだろうと予測してるのが梅田氏なわけだな。

もっとも、これは第2次、第3次産業の場合だ。第1次産業はそうそう変わらないだろう。そちらも企業化やネット経路の直販など、変わらざるを得ない部分は大きいが、そこまでドラスティックに変わるとは思わない。

しかしながら、日本のGDPの大部分を占める第2次第3次産業がこうもドラスティックに変わって行くとなると、我々国民の意識も変えざるを得ない。もっと言うなら、essaさんの記事は「アーティストとして食って行ける人が増大するよ」という「明るい未来」を語りながら、「普通の仕事であぶれる人が大量に出るよ」という「暗い未来」を語っているのだ。

ではそうならないためにどうしたらいいか。 もちろん、国外から金を稼いで来るのだ。その手段がインターネットにはある。

だから職業者の人口は以下のように、上に行く程少なくなるのではないか。

  1. 農林水産業で食える人
  2. 企業で食える人
  3. 国内消費向けのアーティストとして食える人
  4. 国外消費向けのアーティストとして食える人

ここまで読んで「アーティストとして食える程のレベルでモノなんて作れる人がそう多いわけがない」と思う人もいるだろう。そこが「世の中は厳しいなんて嘘」という話なのだ。

Yahoo!オークションを見てみるといい。ちょっとした色紙に素人が書いた絵が、3000円とか4000円で売買されてる。1日に5枚書いたとして20日労働で30万円である。今は国内向けの販売しかできないだろうが、これが海外に向けて販売されたら、本当に月100枚くらいの色紙(ではないかもしれないが)が売れてしまうだろう。そうしたらもうそれで「食って」いけるではないか。

そして、essaさんや梅田さんの話とは無関係に、俺の言いたいことがもう一つある。

現在、企業に従事してる人の多くは、実は「信じられない程無能な人たち」だ。もちろんそんな会社ばかりではないが、これで仕事がまわるのかと思う程無能な人たちが部長や社長をやってる会社がもの凄く多い。

実は彼らは個人の能力で仕事をしているのではなく、会社、あるいは社会のシステムで仕事をしているのだ。だから無能でもやっていける。「そんなはずはない」と思う人は幸せだ。その人は人材に恵まれた企業で仕事をしている人だ。「なるほど、そういうことか」と思った人は不幸な人だ。その人は自分が無能だと思って無能でも働ける会社にいる。でも本当はとても有能な人だ。

そういう面からも、「世の中は厳しいなんて大嘘」と俺からも断言させてもらう。社会は無能な人で溢れている。それでも仕事になるのだ。だったら、「少なくとも無能ではない自分」が仕事をしたほうが、よりよい仕事ができる。よりよい社会を作る力になる。

上司や社長が無能なのではないかと思った人は、まずその会社がどうして仕事が回ってるのか観察するんだ。そして会社を飛び出し、起業したほうがいい。君なら少なくとも彼らよりはいい仕事ができるはずなのだから。

(@452)

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2007年08月22日(水) [過去の今日]

#1 「田舎じゃ車が必需品」はどれだけ本当なのか

“生活保護受給者の自家用車所有、認めるべき” 住民グループが熊本市に申し入れ という記事。2chの反応見ても はてなブックマークの反応 見ても、けっこう「車なんて贅沢品」という意見が多い。

で、俺の意見としては必要。マジ必要。 市内ったって地方都市のはずれなら必要な場合もある。

なんでかっていうとそういうところはもう自家用車があるのが当たり前で、ろくすっぽ公共交通機関が無いから。

仕事をするにも車で通うのが当たり前で、18歳になったら親が背広を用意してやる程度には、教習所代と車を用意してやるなんてのは田舎じゃごく普通のこと。親も車与えとけばいつでも酔っ払ったとき送り迎えさせられるので、便利なんだよな。

そういう前提で作られてる社会と交通のところに、さあ車無しで生活しなさいと放り投げられるとひどい目にあう。

こんなシチュエーションは田舎や地方都市のはじっこではよくあること。そして車を一度手放すと、もう一度手に入れるのはもの凄く大変。生活保護が必要な状況からもう一度車を買うまで復活するなんていったい何年かかるのか。ましてや上記のようなシチュエーションで車が無かったら、ますます困窮していくだけだろう。

なのでこんなのはケースを見て判断するしか無い。原則認めないというのでも構わないとは思うが、ケースによっては認めるというのは必要不可欠だろう。

生活保護は懲罰でもなんでもなく、生活を立て直すためのものなのだ。立て直す近道があるなら一時的に一般より豊かに見えるくらいはしょうがないと思う。

2ch界隈で問題になってる生活保護で悠々自適なんて暮らしがあるなら、それは別個に対応すべきで、全体の話と混ぜちゃいけない。本来本当に困ってる人のための公共サービスなのだから、きちんと活用して行った方が社会全体のためにもなるのだ。

(@597)

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2007年08月26日() [過去の今日]

#1 sambaが動かなくなってしょんぼりしてたが、原因は変なところにあったみたい

Debian sidを使ってるのだが、数日前からsambaが動かなくなってちょっと不便だった。基本的にWindowsを使うことはほとんど無いので致命的でないのだが、やっぱりちょっと不便。

てことで原因を探してみたのだが、どうも数日前に一度sambaがpanicを起こしたのが原因だったらしい。

Subject: Panic or segfault in Samba
From: root <root@localhost.localdomain>

The Samba 'panic action' script, /usr/share/samba/panic-action,
was called for PID 4361 (/usr/sbin/smbd).

This means there was a problem with the program, such as a segfault.
Below is a backtrace for this process generated with gdb, which shows
the state of the program at the time the error occurred.  The Samba log
files may contain additional information about the problem.

If the problem persists, you are encouraged to first install the
samba-dbg package, which contains the debugging symbols for the Samba
binaries.  Then submit the provided information as a bug report to
Debian.  For information about the procedure for submitting bug reports,
please see http://www.debian.org/Bugs/Reporting or the reportbug(1)
manual page.

(no debugging symbols found)
Using host libthread_db library "/lib/libthread_db.so.1".
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
(no debugging symbols found)
0xffffe410 in ?? ()
#0  0xffffe410 in ?? ()
#1  0x00000001 in ?? ()
#2  0x00000000 in ?? ()
The program is running.  Quit anyway (and detach it)? (y or n) [answered Y; input not from terminal]

こんなメールが来てsambaを再起動したのだが、それからまったく繋がらない。libcまわりかと思ったのだがよくわからない。panicを起こした原因もよくわからない。

ただ、sambaをrestartしたあと、nmapで見てみると、port 139と445がcloseされてる。しかしsmbdはちゃんと生きてる。

どういうことかしばらくわからなかったのだが、ふと思い立ってOSごと再起動してみると、あっさり繋がるようになった。

ようするにpanicで落ちたときにポートをなんかの形でひっつかんだままになってて、解放されてなかったということか。こういうときって再起動以外に方法は無いのかなあ。

とはいえ、panicの原因がまだよくわからんな……。

(@853)

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#2 ネットユーザーのテレビ離れが激しいのは、コンテンツ云々よりテレビをつけっぱにしてそれで時間の進みを把握するという習慣が無いからじゃないだろうか

どうもテレビっ子世代の50代とかの話聞いてると、テレビを付けっぱなしにしてそれで時間を把握し、行動の指針にしてるみたいなんだよな。

特に朝のTV番組は時刻がいつも大きく出るし、たまに時刻をコールしてくれたりするし、天気予報とか占いもだいたい定刻にやってるんでしょ?

そうすると「ああ、もう占いの時間だ。これ見たら行動開始!」とか「もうすぐ朝の連ドラだから用事全部済ませて、見たら出勤しよう」とか、そうやってスケジューラのように使ってるっぽい。映ってる番組で曜日を感覚したりとかね。ツールとしてのTVって感じ?

これはプッシュ型でリアルタイム性のあるメディアならではの使い方だよな。ネットでそんなことができるサービスはちょっと思い付かない。メールじゃ遅延あるし、そんなしょっちゅうメール来てもウザいし。

でもネットにハマったやつらって、とくに古参ほどテレホーダイ時代を経験してるから、夜更し型だったり昼夜逆転がけっこう日常的だったりとかで、時間に縛られた生活スタイルではなかったりするんだよな。

だからあんまりTVに固執する必要も無くて、無いなら無いなりの生活ができる。そんなとこなんじゃないかと思うようになって来た。

逆にTVをスケジュールリマインダー的なツールとして使ってる人はそこからの脱却はほぼ不可能なのかも。1度ニートにでもなって時間に縛られない生活してみるくらいじゃないと難しいのかもな。

(@981)

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2007年08月27日(月) [過去の今日]

#1 死刑廃止派の弁護士たちが時代を読み間違えてて、戦略上どんどん不利になってる件

光市母子殺害事件弁護団が提訴〜橋下弁護士のテレビ発言で損害賠償請求へ という記事。 2chのスレ でハッケソ。

昔だったら裁判の内容を広く知らしめるのなんてマスコミだけだったし、マスコミががんばって報道しないと国民の意識に広く訴えるなんてことはできなかった。

でも今はネットもあるし、2chやブログを中心にどんどん市民の言論がものすごい勢いで加速してるし、引用やコピペで裁判内容もどんどん広がっていく。

だから昔は裁判官さえ説得できればよかったのかもしれないけども、今は裁判官だけ見てるとその内容ががんがんにネットに漏れ出して来て、市民を完全に敵にまわしちゃう事にもなりかねない。

で、実際に敵にまわしちゃったのが死刑廃止派の弁護士たちなんだわな。

今回のマスコミによく出てるタレント弁護士を訴えた件にしても、こうして2chで話題になってブログで話題になって、結局「あいつらは力で言論をねじ伏せてなんかたくらんでる悪いやつらだ」というイメージを市民に植えつける結果にしかならない。もちろん本人は本気でいいことしてるつもりなのかもしれないけどね。

俺は個人的に死刑廃止に賛成も反対もしない立場(どちらがよりよい社会に貢献するか判断材料にとぼしいので)だが、もし死刑廃止論者になってそれを押し進めようとしたら、こういう戦略は絶対に取らないだろう。2chに死刑はよくないと思えるようなエピソードをいい話系のコピペにまとめて投下するとか、そういう方法を取ると思う。

でも、これはたまたま俺が今の時代を読めてるからそういう発想が出てくるだけのことで、そうじゃない場合はどうなるだろうか。特にこの弁護士たちはほぼネットという存在が眼中に入ってないように見える。

自分がまったくあずかり知らぬところでものすごい批判が盛り上がってて、その批判にアクセスする術すら持たないような状況で、どんどん自分が不利になっていて、なんとか逆転しようとするんだけども、あずかり知らないところでおきてるから戦略間違えまくりで、さらに事態が悪化している。

弁護士たちにとってはそういう状況なのではないだろうか。もしかしたら、悪化してることにすら気付いてないのかも。

よくよく考えてみれば恐ろしい話だ。どこから攻撃されてるのかまったく認識できない超必殺技をなすすべもなく受け続ける対戦格ゲー初心者みたいな状況が社会で起きてるってことだろ?

時代があまりに急速に変化してるから、こうやってついてけない人が出てくる。 自分が時代を読めなくなったらそうなるかもしれない。そう考えるとめちゃくちゃ恐ろしい話だなーと思うんだよなあ。

(@543)

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2007年08月28日(火) [過去の今日]

#1 幸せなゲーマー人生を送る団塊ジュニア世代

タイトル:1975年生まれくらいの人は幸せなゲーマー人生を送っている仮説 という記事。

実は俺は1974年生まれなのだが、ここに書かれてる以上に幸せなゲーマー生活を送って来ている。

ファミコン出現以前にはカセットビジョンで遊んでいたし、その前はゲームウォッチで遊んでいた。さらにその前はPongみたいなビデオゲームをテレビに繋いで遊んでいたし、もっと前は親やその友人に連れられてゲーセンや喫茶店でインベーダーやギャラガを遊んでいた。 もちろん「ゲームセンターあらし」もリアルタイムで見ていた。

ついでに言えば元記事では

エロゲデビューできる歳にはすでに同級生があり

と書かれているが、実はゲームの世界に18禁が導入されたのはそんな昔ではなく(以下自粛)。

さらに俺はもってなかったが、MSX世代でもあるので、MSXのゲームたちにも小中学生時代に触れられていた世代でもあるし、AoE(RoR)の対戦ブームの頃にそのブームの中心だった大学にもいられた世代。その後のMMORPG時代は社会人になってて廃人化しないですんだ世代とも言える。

確かにやたら幸せなゲーマー人生かもなあ。タイミングよすぎ。

(@033)

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#2 ネットのピークが2006年という大嘘を書く日経BPは腹を割って詫びるべき

ピークは2006年!? ネットの世界は低迷の時代に入っている という記事。referer経由 カトゆー家断絶さん でハッケソ

うん、実は俺も最初誤解してたんだ。最近、特に今年の春頃から、どこのサイトも低迷してるなあと。でもね、 Alexa のグラフって、よく見ると「パーセント」なんだよ。要するに視聴率なわけで、視聴者数や視聴時間ではないわけね。

例えばPVを公開してるところを他にしらないので GIGAZINEさん を例に取るけども、 GIGAZINEさんのトラフィックグラフ を見ると、この4ヵ月で右肩下がりなのがわかると思う。どんどん下がってる。

でも、GIGAZINEさんが公開してるトラフィックを見てみると、

2007年4月
2007年4月のページビュー:1948万(先月比40万増)
ユニークユーザー数:729万2000(先月比6万5000増)
転送量:2135GB(先月比374GB増)
2007年5月
ページビュー:2196万(先月比248万増)
ユニークユーザー数:814万5000(先月比85万3000増)
転送量:2499GB(先月比364GB増)
2007年6月
ページビュー:2312万(先月比116万増)
ユニークユーザー数:820万7000(先月比6万2000増)
転送量:2782GB(先月比283GB増)
2007年7月
ページビュー:2512万(先月比200万増)
ユニークユーザー数:893万(先月比72万3000増)
転送量:2875GB(先月比93GB増)

と、増えることはあっても減ってないわけ。もちろんGIGAZINEさんの出してるデータが真正だという前提の元だけどね。

要するにウェブ全体のトラフィックが急速に増大してて、相対的に視聴率が落ちてるだけなんじゃないかな。新しいサービスはどんどん出ているし、新しいサイトもどんどん生まれてる。

むしろ2007年のウェブ界隈は、活況と言えるんじゃないかね。

(@532)

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2007年08月31日(金) [過去の今日]

#1 ネットの知り合いの名前に付けるべき敬称は「くん」でも「さん」でもなく「id」というはてな村

ネットで親しくない年下の人に、いきなり「“君”呼びタメ口」で話かける人にロクな人はいない という記事経由で ネットにおける“俺ケット”の存在について という記事。

これを見てはたと敬称について考えてしまった。

まあ普通日本人の感覚としては「◯◯さん」と付けるのがまっとうなんだろなーと思うんだけども、長いことIRCなんぞしてると「◯◯さ」とか「◯◯さめ」という呼び方がけっこう普及してる事に気付く。

やっぱり「◯◯さん」って堅苦しいんだよな。もっと砕けたいけど、呼び捨ては抵抗があるし……という感じで「◯◯さ」と言われるわけだな。俺はIRCではKoshianというnickなので、「こしあんさ」とか「こしあんさめ」とか呼ばれる事もけっこうあるが、なんとなく受け入れてる。まあ、長い付き合いの奴等はたいてい「こしあん」とか「あんこ」とか呼び捨てされんのが普通だし、街中でもそう呼ばれてちゃんと振り返る。あんこじゃねーけどな。

で、ふと思い出したのが はてな村 。 なんかはてな界隈の人達ってお互いのはてなダイアリーにリンクする記法があるから、 id:otsune だとか id:kanose だとか、さんも付けずにリンクしてるパターン多いよね。この「id:」ってのがすでに敬称として受け入れられてるのか、はたまた親しくなって呼び捨てにしてるだけなのかよくわからないのだけど、敬称として考えた方がなんとなくおもしろそう。

もう「口からクソたれる前にid:と言え!」みたいな感じで。

(@105)

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#2 Perlでそうそう文字化けしない文字コード変換のやり方まとめ

なんかチャット仲間のところで動いているPerlスクリプトなのだが、いくつかのサイトの情報を取得する代物。この日記も取得してるのだが、なぜかうちサイトだけ文字化けする。

で、コードを見せてもらったら、NKF.pmだのjcodd.plだのJcode.pmだの使ってて、それぞれのライブラリに文字コード判別任せてるみたい。ずいぶん昔のコードなんだろうなあ。

というわけで、自分のためのメモという意味もこめて、文字化けしにくい現代的な文字コード自動判別のやり方を書いておこう。

use Encode;
use Encode::Guess qw/ascii utf8 euc-jp shiftjis 7bit-jis/;

my $dec = Encode::Guess->guess($str);
if (ref $dec) {
    # utf8フラグを付けた文字列を取得
    my $utf8str = $dec->decode($str);

    # 上と同じだが別のやり方
    my $utf8str = Encode::decode($dec->name, $str);

    # Shift_JISに変換した文字列を取得
    my $sjis_str =  Encode::encode('shiftjis', Encode::decode($dec->name, $str));

    # $strの中味をEUC-JPに変換
    Encode::from_to($str, $dec->name, 'euc-jp');
}

ってな感じ。

EncodeもEncode::Guessもperlの標準モジュールになってるから、相当古いPerlでもなければ入ってるはず。

(@307)

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