2007年08月03日(金) [過去の今日]
#1 広告そのものがエンターテイメントになるニコニコ動画と2ch文化
この速さなら買える!――WiiよりXbox360が売れる「ニコニコ市場」 という記事。
有料会員しか広告が見られないので俺はまだ未体験なのだが、ニコニコ動画のAmazonアフィリエイトは想像以上におもしろそうだ。動画にネタとして付けられた広告から商品を買い、それがまたネタになっていく。そんな様子が描かれている。
思えば 痛いニュース などの2chまとめ系ブログにも、オチとしてAmazonアフィリエイトが付いてることが多い。これもまたおもしろくて、最後まで読む理由の一つになってたりもする。
どうやら、2ch文化は広告そのものまで娯楽として消費してしまうらしい。
ウェブ広告市場はこれから爆発的に大きくなる事が期待されてるが、そこで課題になるのは「ウザくない広告」だと考えている。いかにウザくなく、自然にコンテンツに溶け込めるか、それが課題だと、俺は考えていた。
しかし、広告そのものが娯楽となると、話が全然違って来る。
その広告はウザくなくする事なんて考えなくていい。広告で遊んでもらえればいいのだから。「その発想は無かったわw」とはこのことだ。
もうこうなると、広告というものの概念が大きく変わって来る。ニコニコ動画はその回線負荷の高さゆえに潜在能力に留まっているが、それが発露してしまったらもはやテレビなどあっさり越えてしまうかもしれない。
究極のアフィリエイト、ニコニコ市場 という記事では、ニコニコ動画は日本語人口の1%しかカバーしてない、というが、有料会員はもっと少なく、たかだか6万人である。それでもITmediaの試算では1000万円ものアフィリエイトによる売上がある。1億人の日本人がニコニコ動画を見ていたら、160億円くらいの売上になる。これはフジテレビの売上高の半分くらいになる。広告収入だけでだ。
しかもこの広告は「ウザくない」。テレビのCMと違って、視聴を邪魔されることもない。録画でスキップされることもない。トイレタイムに使われることもないのである。
広告主としては、テレビCMなんかよりずっとうれしいではないか。
もう一度確認する。ニコニコ動画のこの潜在能力は、現状のインターネットインフラがニコニコ動画に耐えられないから、潜在能力に留まってるだけだ。
耐えられるインフラが整備されたら……その時、失業者の数は、TV業界の就業者数に近くなるかもしれない。
だが、2ch文化にはこういう格言もある。
「敵にまわすと恐ろしいが、味方に付けると頼りない」
さて、TV業界諸君、ニコニコ動画を「恐ろしい敵」にするか、「頼りない味方」にするか、どちらを選びますか?
(@776)
2007年08月04日(土) [過去の今日]
#1 ユーザーインターフェイスについて、そろそろ考えておくか
作業の進まない夜というのは、無性に何かを書きたくなる。が、そういうときにちょうどいいネタというものはなかなか無いものだ。
ということでちょっと自分の思考を深めるために、UI(ユーザーインターフェイス)について少し考えてみることにする。
個人的に、iPhoneの登場は衝撃的だった。昔から携帯電話というやつのインターフェイスは最悪で、ひどい出来のものになるとPCでいうreturnキーとして機能するものが、シチュエーションによって3つあり、それぞれ使い分けなければならないというものまであった。そこのメーカーの製品は二度と買わないと心に誓ったのだが、選択肢が無くてもう一度買ってしまった。結局ろくすっぽ改善されてなかったので、UIが作れる会社ではないのだろう、あそこは。
しかしiPhoneは、いまだに触ってない俺をも魅了する。特に衝撃的だったのが、 スパムメールが待ち遠しい──動画で解説するiPhoneの魅力(前編) という記事だ。
spamへの対処法は結局のところベイズフィルタが究極的で、そのデータを大量に持ってるGmailが最強、というあたりに落ち着いちゃってる。だがそれでもまだ完璧ではない。
しかし、iPhoneは「メールを削除する」という行為が「楽しい」と思えるUIを用意した。spamの絶対量が少ない携帯電話において、これはまさに「完璧な解決」になり得るんじゃないだろうか。
かように、めんどうで嫌な事でも、UIが変わることで突然「楽しいもの」に変わることがあるわけだ。操作のステップを減らすというのは当然としても、その操作感が楽しくなることで、作業がまったく違ったものになる。
これは企業的に見れば、社員の労働効率に直接響く。ダルいUIで嫌々作業してたら、当然効率は落ちる。操作してて楽しいUIなら、同じステップ数だとしても効率が全然変わって来るし、健康にも影響して来る。
効率+α。αの中身は「楽しさ」だ。そこにお金をかける必要がある。
だが、実際にはみんなUIになんて興味無くて、効率すら求められてない事が多すぎるんだよね。
俺は直接UIを作るような立場ではないが、ウェブではUIめいたものも作ることもある。たいていはデザイナーが送って来たものに合わせこむだけなので考える必要はないのだが、HTMLコーディングもやるはめになる事もある。
そういうとき、ふとiPhoneが脳裏をよぎるのだ。UIをもっとよくできないか、もっと楽しく操作できないか。気がつくと、忙しいのにそこに数時間もかけてしまってることがある。おかげで作業が遅れる。
だが、それは最初から織り込まなきゃいけないところだったんだ。楽しいUIは、ユーザーのストレスを軽減する。それは操作効率をあげるのと同じ効果があるはずなんだ。効率+αで、さらに効率があがるんだ。
UIについて思うこと という記事で、
「よし読もう!」っていう気になった時にしか読めないインターフェースだと 本と同じで、ついつい「積ん読」になっちゃわないかな…!
という指摘がある。
これと同じで、作業も気合いを入れて始めないといけないという時点で、「気合いを入れる」という時間が必要になる。気合いなど入れずに自然に作業開始できたほうが、効率面からも精神衛生上からもいいに決まってる。
俺はふだん、Emacsやzshなど、キャラクタベースのUIしか使ってない。例外はウェブブラウザくらいで、他はたまにOffice系アプリを触る必要が出てくるくらいだ。 だから正直、GUIというのがウザったくてしょうがない。まどろっこしくてやってられないのだ。
だが、キャラクタベースで追い求められるのは効率だけだ。+αはプログラミングする楽しみくらいしかなく、それはユーザーに委ねられすぎている。
だから何年も前から、俺はUNIXシェルのようにふだんの操作から自然にプログラミングできるGUIがあったらいいなと思ってた。そういうアプローチはこれから検討されていってもいいと今でも思ってるが、それよりもまずきちんと効率を出すこと、触っていて楽しいUIにすること、これができてなきゃ話にならないわけだ。
今まで使って来た携帯電話の中で、比較的よいUIだと思えたのはパナソニックのものだった。KX-HS110という機種で、中央レバーを右倒しして電話帳を呼び出し、検索して電話をかけるまでのステップが非常に少なく、また操作性もよかった。今もP902iSという機種を使っているが、これもけっこうきちんと作られている印象を受ける。
パナソニックは国内企業としてはきちんとUIが作れる数少ない会社なのだとは思うが、もうそれだけではダメなのだ。+αが必要な、そういう時代に来ている。
iPhoneはそれを教えてくれた。そして必要最低限である操作効率すらまともに作りこめない日本の企業たち。このままでは、もう二度と日本は経済大国と呼ばれる事は無くなるだろう。
アジアから一つ先進国が消えるのは、そう遠い未来でも無いのかもしれない。
(@855)
2007年08月05日(日) [過去の今日]
#1 絶望した! 絶望先生5〜9巻を注文して9巻だけ先に送って来るAmazonに絶望した!!
2007年08月06日(月) [過去の今日]
#1 mltermはXresourcesの*loginShellを無視しちゃうのかな
どうもmltermを立ち上げたときの/bin/shが~/.profileを読んでくれない。おかしいなあと思ってると、どうやら~/.Xresourcesに設定した *loginShell: ture という記述が無視されてる模様。
~/.mlterm/main で明示的に
use_login_shell=true
と書いておけばいいらしい。
何やら非常にめんどうな端末だなこれは。
(@985)
2007年08月08日(水) [過去の今日]
#1 ブログのコメント欄はたいてい匿名発言 = リスクは2chと同等
周囲にあんまりコメント欄を付けろ付けろ言われるので、改めてコメント欄について考えてみたのだが、どうしてもネガティブな結論しか出てこない。
過去の議論を探してみると、 そもそも他人のブログのコメント欄では誰もが「匿名」かもしれない という記事が見つかった。
そう、考えてみれば他人のブログのコメント欄なんて、そのブログサービスのアカウントでも持ってなければ匿名発言にしかならない。URLやメールアドレスを書いたところで、なりすましの可能性を否定するのは難しい。
ようするに、コメント欄を解放するのは2chを運営するのとたいして変わりはない、ということだ。
どうもコメント欄を付けろと言われることに違和感を感じ続けて来たのだが、ここにきてその正体がようやくわかった。コメント欄を付けろと要求するのは、「お前のサイトでなりすましや匿名発言をさせろ」と言ってるのと等しいのだ。
それならまだトラックバックのほうが付けるモチベーションはあるというもの。こっちはspamが巧妙化してるので、それ相応の対策が必要になるけどね。
解決法としては、認証APIを用いて誰の発言か明確にすることが考えられるが、これも結局アカウントがブログサービス依存であったり、相互乗り入れがほとんど行われてないのでいくつものアカウントが必要であったり、サービスによってはアカウントが無尽蔵に作れてしまったりと、問題が多い。
そもそも匿名の人間を匿名と意識させなければよい、という考え方もある。つまり、以下のようにする。
- 書き込み元のIPアドレス及びホストネームは表示する
- cookieを用いてトラッキングIDを表示する
- proxy経由の書き込みは検出し、弾く
さらにはてなかtypekeyの認証APIを用い、spam防止にPOSTリクエストにBASIC認証を……までやるとやりすぎか。せいぜい認証APIだな。
ここまでやれば2ch並のリスクは背負わなくて済むかもしれない。
(@127)
#2 朝青龍が鬱病? 太ってる人は鬱病にならないって医者が言ってたんだけど
無自覚な正義の名のいじめ という記事。
内容はとても同意なのだが、朝青龍ってホントに鬱病なの?
実は俺も数年前に、原因不明の全身倦怠感が長く断続的に続いてたことがあって、内科医が鬱病の可能性があると言って精神病院に送り込まれたことがある。
そのときの精神科の医者が言うには、「太ってる人は鬱病にならないんだよ」とのこと。睡眠導入剤だけもらって帰されてしまった。
いまだに全身倦怠感の原因は不明のままなのだが、ここ数年は症状が出てないので、よくわからないがたぶん治ったのだろう。
周囲からは「太ってる人でも鬱病になる」とは言われるのだが、専門医に断言されちゃったら信じるしかないよねえ。
というわけで俺のかかった医者が間違ってなけりゃ、朝青龍は鬱病のはずはない、のだが……。
(@713)
2007年08月09日(木) [過去の今日]
#1 いまどきの小学生は原爆記念日を知らないらしい
今日、小学校6年生になる従姉妹と話していたら、どうやら原爆記念日というものを知らないらしい。その姉の中学1年生になる子にも聞いてみたのだが、やはり知らないらしい。
俺が小学生の頃は毎年しつこいくらいこの時期には原爆原爆と教えられたような覚えがあるのだが、今時の子供は教えられないのだろうか。
自虐史観の原流といえばそうかもしれないが、戦争に勝ったとか負けたとか以前に「こんなことは二度とあっちゃいかん」という気持ちがなんとなく日本人の中に強いのは、子供の頃に原爆についてしつこいくらい教えられて来たからじゃないかと思う。
戦争について肯定否定を言う前に、戦争すればどうなるのかは知っておく必要があると思うのだ。そして原爆とその被害について学ぶことは、その究極的な姿を知ることになると思うのだ。
原爆については教えておかなきゃいけないと思う。学校教育でやらないなら、家庭でやるまでだ。どうして学校が教えないのか、それは知りたいのだが……。
何度も書いたが、俺はゆとり教育には賛成の立場だ。カリキュラムに付いて来れない子供が多い以上、それは「落ちこぼれ」ではなく「落ちこぼし」なのだ。システム側でどうにかしないといけない。
だが、実際に子供たちを見てると、とてもじゃないがゆとりがあるようには見えない。どこの学校でもそうかは知らないが、夏休みの半分は学習会と称して半日学校にいる。もう半日は部活動で潰れる。結局1日学校にいて、お昼を食べにだけ家に帰るような有り様だ。おかげで夏休みの宿題も進まない。
結局今のゆとり教育は、学習内容を減らしたあげくに、ゆとりも減ってしまってるという、本末転倒な状況に見える。ゆるいならゆるいでいいのだが、こんな状況では家庭内教育すらままならないだろう。
そこにゆとり教育の必要性を理解せずに無闇なFUDに踊らされた奴等の猛烈な批判の影響があることは認識している。だがそれでもどうにかしなきゃいけないものはどうにかしなきゃいけない。
どうか、芯の通った教育システムを作り上げてもらいたい。中国やインドには数で勝てない以上、質で勝るしか無いのだから。
(@285)
2007年08月10日(金) [過去の今日]
#1 狐の杯
ちょっと tumblr を真面目に使ってみようかなあと思って、 狐の杯 と名前を変えてうっかり取ってしまったドメインを割り当ててみた。
はてなブックマークやtwitterの発言なんかも放りこんで見てるが、どういう形で使ってくかはまだ模索中。いろいろできて面白いんだが、いろいろできすぎて形が定まらない。
ま、それでもいいかなとね。ReBlog便利だし。
(@371)
#2 「ケータイ中心」はありえない
ネット利用はケータイが中心になる──モバイルに賭ける起業家たちの未来予想 という記事。
うん、気持ちはわかるし、俺もそう考えた時期もあった。けど、今はもうそんなのありえないと確信している。
なんでかって言えば、日本の「ケータイ」が独自進化しちゃってるから。
そういう独自進化した端末にあわせたサイトが中心になってくなんて事はあってはならないし、実際あるわけがない。万が一あったとしても、それは本当にごくローカルな事象になるだろうし、その時は日本のネットが完全にガラパゴス化する時だ。
要するに、本当に「ケータイ中心」になったとしたら、すなわちウェブ業界の破綻に繋がるということだ。
海外の進化やブームにもついていけなくなるし、それこそ海外接続を切られたも同然のネットになるだろう。そんなの魅力があるとは思えない。
もちろん、各キャリアやメーカーが努力して、世界標準のサイトが閲覧できるブラウザを搭載してくるという可能性も無くは無い。
でも期待しないほうがいいだろう。なんせいまだにcookieを処理できるケータイブラウザすら少数派もいいところなのだ。このおかげでGmailやtwiiterのモバイル版すらi-modeでまともに使えない、なんて事態が起きている。
こんな「終った端末」、中心になられても困るし、なることはあり得ないだろう。せいぜい独自路線で滅びの道を歩んでください、ってところだ。
もっとも、まったく無視できるとまでは思ってない。実際どこでもネットが見れるのは便利だ。FirefoxやOperaが動く端末の補助としては充分利用できるだろうし、裾野が広い事も確かだ。
でも「中心」はありえない。あり得るとしたら、ケータイ向けのOperaあたりが標準になってからだろう。
(@416)