狐の王国


2007年08月09日(木) [過去の今日]

#1 いまどきの小学生は原爆記念日を知らないらしい

今日、小学校6年生になる従姉妹と話していたら、どうやら原爆記念日というものを知らないらしい。その姉の中学1年生になる子にも聞いてみたのだが、やはり知らないらしい。

俺が小学生の頃は毎年しつこいくらいこの時期には原爆原爆と教えられたような覚えがあるのだが、今時の子供は教えられないのだろうか。

自虐史観の原流といえばそうかもしれないが、戦争に勝ったとか負けたとか以前に「こんなことは二度とあっちゃいかん」という気持ちがなんとなく日本人の中に強いのは、子供の頃に原爆についてしつこいくらい教えられて来たからじゃないかと思う。

戦争について肯定否定を言う前に、戦争すればどうなるのかは知っておく必要があると思うのだ。そして原爆とその被害について学ぶことは、その究極的な姿を知ることになると思うのだ。

原爆については教えておかなきゃいけないと思う。学校教育でやらないなら、家庭でやるまでだ。どうして学校が教えないのか、それは知りたいのだが……。

何度も書いたが、俺はゆとり教育には賛成の立場だ。カリキュラムに付いて来れない子供が多い以上、それは「落ちこぼれ」ではなく「落ちこぼし」なのだ。システム側でどうにかしないといけない。

だが、実際に子供たちを見てると、とてもじゃないがゆとりがあるようには見えない。どこの学校でもそうかは知らないが、夏休みの半分は学習会と称して半日学校にいる。もう半日は部活動で潰れる。結局1日学校にいて、お昼を食べにだけ家に帰るような有り様だ。おかげで夏休みの宿題も進まない。

結局今のゆとり教育は、学習内容を減らしたあげくに、ゆとりも減ってしまってるという、本末転倒な状況に見える。ゆるいならゆるいでいいのだが、こんな状況では家庭内教育すらままならないだろう。

そこにゆとり教育の必要性を理解せずに無闇なFUDに踊らされた奴等の猛烈な批判の影響があることは認識している。だがそれでもどうにかしなきゃいけないものはどうにかしなきゃいけない。

どうか、芯の通った教育システムを作り上げてもらいたい。中国やインドには数で勝てない以上、質で勝るしか無いのだから。

(@285)

この記事のURI

2006年08月09日(水) [過去の今日]

#1 オープンソースマガジン連載「ハッカー養成塾」リンク集

日本の現役ハッカーたちがリレー形式で連載してる文書のウェブで読めるものを集めたリンク集。

これを読んでると、ハッカーの特徴として語られる諸々の事象が自分にも思い当たり、腕はともかくいわゆるハッカータイプの人間なんだろうなあと思う次第。

が、冷静になってみると、そういう「自分にも思い当たるハッカーの特徴」って、見事に悪癖ばっかじゃん!

ついつい深追いするとか、オフィス仕事に向いてないとか、素早く仕上げるけど中身がアレだとか、たまにまったく書けなくなるとか……あああもう、ほんっとどうしょうもねえな。

せめて腕だけでもそれなりにならんとなあ……。くそう。

(@422)

この記事のURI

2005年08月09日(火) [過去の今日]

#3 debian-volatile

ふーむ、 backports.org みたいなサービスか。 神の日記 に違いが書いてあるな。backports.orgとは違って半公式だよんってことか。debianの方法ではセキュリティfixが難しいmozilla系のプロダクトもこっちでアップデートしてくれるんかなあ。

(@925)

この記事のURI

#2 そういや解散したんだっけ、衆議院。

まあ郵政民営化は自民党の公約だし、公約は守らないとね。そのための解散総選挙ということだろう。

まあ、公約なんて無かったことにしちまえばいいのかもしれないし、実際小泉が総理になったときはどうか知らないが、今国民のどれほどが郵政民営化を望んでるのやら。ある鉄道マニアが教えてくれたのだが、国鉄が民営化されJRになったのち、廃止された路線が多数出たそうだ。そりゃ企業としては赤字路線を運営し続けるメリットは無いわな。国営だからこそそういうコスト度外視のサービスができたのだろうし、全国まとまっていたみたいだから、東京など黒字が出まくる路線の収益を赤字路線の補填に回せたのだろう。

さてはて、郵政民営化で廃止になる郵便局はどれくらい出てくるだろうか。郵便局はそう簡単には潰れないかもしれない。結局全国津々浦々に配達しなければならないわけで、局を潰すことで、もっと遠いところから各家庭に郵便物を配達しなければならなくなる。たとえ赤字の局であっても、潰すことで余計にコスト増になることも考えられなくは無いだろう。

それでも、郵便局のリストラは進むだろうし、潰れる局も出てくるだろう。無くなってはじめてそのありがたみがわかっても、その時にはもう遅い。

かの鉄道マニアは、寂しそうに言っていた。昔は鉄道だけで日本を一周できた。今はもう、それはかなわぬ夢なのだと。

(@451)

この記事のURI

#1 Bフレッツの企業利用を推進するオトナの配慮

Bフレッツの台数制限がろくに機能してないので、企業利用が進んでるって話。

まあ、タテマエでもそういう制限作っとかないと、企業向け回線のサービスやってるとこがご破算しちゃうんだろうなー。NTTの民業圧迫っつーか(いやNTTも民業だけども)。

まあ、あんまりでかすぎる企業がいると他の企業が困ったりなんだりってのは世の常なんだろうな。郵政民営化も銀行・宅配業者潰しにならなきゃいいが。

(@446)

この記事のURI

2004年08月09日(月) [過去の今日]

#2 Windows XP SP2 リリース

セキュリティが強化されてるとのことで期待はしてたのだが、 「XP SP2はインストールしないように」とIBMが指示(ITmedia) なんて記事が出たり、 SP2のISOファイルが475MB、winXP本体のISOが488MB なんて話が飛び出したりと、なかなか笑わせてくれる。

こりゃ周りにも様子見するよう言うしかないな……。

(@921)

この記事のURI

#1 トーチュウ F1 Express の RSS

無いので作ってみた。なんとかうまく動いてくれてる模様。

(@557)

この記事のURI

2003年08月09日() [過去の今日]

#1 原爆忌に手話で平和の誓い、ろうあ者の苦しみ訴える(読売新聞)

気になったのが次の一節。

 ろうあ者は家庭にあっても、日常的な会話のほかは、ニュースやうわさ話から遠ざ けられて、ぽつんと孤立した状況にあります。そのため、詳しい情報は伝えてもらえ ないまま月日が過ぎ、信じられないでしょうが、私は原爆をずっと大きな爆弾と思っ ていました。終戦から1年たったある日、偶然見た写真展で、それが実は「きのこ雲」 の形をした「原子爆弾」だと知りました。

この世に平等など存在しないが、情報を取得する権利だけは平等でなくてはならない。普段からそう思ってはいたが、現実にこうして情報格差の存在が明らかになると、ますますその思いは深まるばかりだ。

ウェブは、そして4.0移行のW3Cに勧告されたHTMLは、バリアフリーを維持しなくてはならない。目が見えれば文字は読める。耳が聞こえれば音声読み上げで読める。指の感覚さえあれば点字で読める。理性と悟性のあるものすべてが平等に情報を得られる。そんな世界を実現していかなくてはならない。情報のバリアフリーを目指して。

(@578)

この記事のURI

2002年08月09日(金) [過去の今日]

#3 地域通貨(まっ杖 wrote)

んー、反論なのかなんなのかいまいち理解に苦しむ。そこからリンクされてた 山形浩生の記事に対する反論 も同様なのだが、「私はわかっている」「あなたはわかっていない」という主張以外は何も読み取れない。まるっきり反「論」になってないのね。だいたい、

「理論が完璧じゃなければ動いてはいけない」

などとは誰も言ってないわけで、俺は単に「成功の可能性が見出せない」と言ってるだけ。 例の記事 も同様だと思われ。
このような誤読も甚だしいのだが、それ以上に、

まあ、どっちみち、こういうのは実際に自分が働いてお金を稼ぐ立場になったことが ないとわからないものだがな。

というこの意見もひどいもんだ。失礼極まりないのはもちろんだが、これはいわゆる論理の誤謬を呼び込む弁論術の一つであり、意見を言う資格を相手から奪い取ろうとする手法だね。相手の意見ではなく、人間そのものに向けられてるところがミソ。反論できなくても弁論に勝つことができるのね。おそらく、意識しないでやっているのだろう。その証拠に

何を見聞きしても、自分の中にそれがなければわからないものだ。

とも直後に述べている。ここの「それ」というのは理解の素とでも言うべきものだろう。1+1=2を知らない人間が二次方程式を理解できないのと同じで、1+1=2が理解の素になるわけね。ま、これは確かにその通りだ。ただ、前にも言ったけどまっ杖の記事は決めつけが多い。今回の決めつけは「体験」と「理解の素」を同一視してるところだね。ある体験が一つの理解の素を生む事が真だとしても、その一つの理解の素を生むのがその体験だけだとは限らない。ここにも論理の誤謬が見受けられるね。
(@208)

この記事のURI

#2 著作権なんて無くなればいいバウ

著作権は特許問題とあわせて最近 でかいの たちとIRCで論議したのだけど、特許は、そしてたぶん著作権も、未来永劫人類の資産としてオープンに誰でもがアクセスできる為に作られた法律なんだと言う事らしい。そうでないと特許技術なんて一社が独占しちゃって墓場まで持っていかれちゃうからね。人類の資産として登録しておく代わりに、しばらくの間は独占してていいですよというのが法律の趣旨らしい。
いぬ が著作権なんて無くなればいいというのは、たぶんこういうことだよね。利権が云々ではなく、みんなが自由に著作物を楽しんで欲しいと。でも、誰でもちょっとは収入が欲しい。収入と自由にに楽しんでもらう事との矛盾。アーティストなら一度位それに悩む事があるのかもしれないね。
その矛盾の解決には、著作権が無くならなければならない。そしたら収入が無くなるじゃないかって思うかもしれないが、何もあらゆる著作権が認められてはいけないとは言ってない。ある程度時間がたったら消滅すればいいんだよ。実際、今の日本の法律では著作権は無くなる。著作者の死後50年たったらね。著作者が死んで50年たてば、誰もが自由にその作品に触れられる。特許の場合は登録日から20年だね。
もちろん、そういうわけだから問題ないなんてことはこれっぽっちも思わない。現代のように技術の更新ペースが早い中で20年なんて長すぎるし、著作者の権利を死んだ後50も守らなきゃならないなんてのはおかしいと思うよ。ようするに保護期間が長すぎるんだ。
たぶん、適正な保護期間というものを設定できれば、例の矛盾は解決する。特許は登録日から10年、著作権は著作者の死後20年ってところが妥当じゃないだろうか。著作権は著作者の遺族が生活する分も考えてあげないとかわいそうだしね。著作者がそれを望まなければ、それこそ著作権を行使して 山形浩生の遺言状 みたいなこともできるはずだ。
これで著作権に関するすべての問題が解決するわけではないが、これ以上の解決策はどうも思い付かない。少なくとも現状の保護期間が長すぎるのは確かだし、これだけでもなんとかして欲しいところだね。
(@0)

この記事のURI

#1 少林サッカー、サウンドトラックのCDは全世界的にも発売していないらしい

マジですかーーーーー! 少林サッカーの音楽は耳に残っちゃって残っちゃって、CD欲しいと思ってたのにーーーー。頼むから発売してくれー
(@997)

この記事のURI

2001年08月09日(木) [過去の今日]

#1 ご無体な(笑)

 しくしくしくしく
(@602)

この記事のURI

最近の記事

以上、7 日分

タイトル一覧


カテゴリ分類
Powered by hns-2.19.8, HyperNikkiSystem Project

過去にこの日記が置いてあったcgi.misao.gr.jpは廃止されました。それによって記事へのURIが変わってしまっています。cgi.misao.gr.jpをwww.misao.gr.jpと置き換えるだけで同じ記事にアクセスできるはずです。

Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
日記管理ページ