2007年08月05日(日) [過去の今日]
#1 絶望した! 絶望先生5〜9巻を注文して9巻だけ先に送って来るAmazonに絶望した!!
2006年08月05日(土) [過去の今日]
#1 しっかしようつべ
今回のボクシング事件といい、こないだのお笑い芸人事件といい、youtubeのランキングに日本のTV映像がアップロードされまくり閲覧されまくりでランキング上位を埋めてたりすることもけっこうあるのだが、日本人以外はうざったく感じてるんじゃなかろうか。
動画にも言語タグとかあるといいのかもだけど、出会いが無くなっちゃうのもおもしろくないしなあ。言葉の壁かあ……。
(@026)
2004年08月05日(木) [過去の今日]
2003年08月05日(火) [過去の今日]
#5 wlのFrom自動切換
メールアカウントをいろいろもってると、アカウントごとにFromのメールアドレスを変更したくなる。WindowsやMacのMUAでは、アカウント自体を切替えるという概念があるが、fetchmailで拾い集めて来て読んでる俺にはアカウント切替えなどあり得ない。せめてToを見てFromを書き換えられればなあ。
ということでちょいと調べてみたら、wl-draft-config-alistを使えばいい事がわかった。
(setq wl-draft-config-alist '((reply ; 返信元のバッファを見る "^To:.*@sugano\\.ac" ("From" . "SUGANO Yoshihisa <y@sugano.ac>") ("Organization" . "SUGANO ArChitect")) (reply "^To:.*@nifty.*" ("From" . "SUGANO Yoshihisa <BXW04666@nifty.ne.jp>")) (reply "^To:.*koshian@akihabara\\.ne\\.jp" ("From" . "狐志庵 <koshian@akihabara.ne.jp>")) (reply "^To:.*@teroknor.org" ("From" . "SUGANO \"Koshian\" Yoshihisa(E) <koshian@teroknor.org")) ))
メインで使ってるメアド以外をこうやって書いてやれば、C-cC-cした時にぱっと書き換わる。どうせならdraftバッファ用意した時に書き換えてくれりゃいいのになあ。Toのアドレスをそのまま引っ張る方法とかも無いかしら。
(@933)
#4 朝日新聞への抗議ページ
いやあ、めんどくさいから日記に書いちゃおうかとも思ってたんだけど、別ページにしておいて良かった。たいして目立たないだろうと思ったらすごいアクセス来てるの。今日までに8000hit越えてたかな。なんかblogmapとかにも載ってるし。日記はCGIで出力してるので、こんな負荷かけられたらサーバ死んじゃうかもだ。
それでついでにログから参照元抜き出してあちこち見てみたのだが、意外にも朝日新聞への嫌悪は変わらない人が多かった。何人かは俺と同じ印象を感じたようだけど、朝日新聞のKさんの対応はとても人間的で好感を持ってたのだ。
結局あの連載は「英語と同じでまずは話せ」という幼児教育の論理で押し通したようだけど、原稿の修正が間に合わなかったのだと信じたい。
@ 今後:
今後を考えるために作ったのだから考えたいのだが、未だにまとまらん。差別的なサイトを批判する活動でも始めるか、自分が正しいHTMLの解説を書くか、それとも他に方法があるか。まあ、やらなきゃならないことも積み重なってるし、やりながらもう少し考えてみる事にする。
(@475)
郵便貯金のクレジットカードをいろいろ共用できるらしいのだが、電子マネーが付くというのが新しいらしい。しかし、 eLIO も Edy も栃木県内ではほとんど使える店が無い。am/pmくらいか。
使わなきゃ普及しないんだろうが、使いでが無いなあ。せめて7-11とかローソンとかファミマならそこそこ利用するのだが。あ、あとTSUTAYAで使えたら便利だな。
(@466)
#2 クーラー
故障というか、水を出す配管がつまってた模様。なんか室外のほうから何かをしてもらったら直っちまった。こまめに掃除してなかったせいっぽい。ううむ、さすがに16年使ってる機械だからな、気をつけんとなあ。
(@111)
要望があったので Back to HOME のリンクを全ページに作った。
$ for i in *.html; do cat $i | sed -e 's/<\/body>/<div class=\"back\"><a href=\".\/\">Back to HOME<\/a><\/div>\n<\/body>/' > $i.new; mv $i.new $i; done
とかやって作ったんだが、バグってない事を祈ろう。
(@055)
2001年08月05日(日) [過去の今日]
いぬ@誕生日おめでとう に何度も「うちには幻の12話があるんだぞ」と自慢されてたのを思い出す。見たいという気持ちも強いけど、それよりこの記事を読んで思ったのは、差別というものに対する考え方のこと。
差別はいけないこととずっと言われてきたし、それは正しいことではあるだろう。だが、本当に「差別しない」ということがどういうことかという問題は、つい最近までほとんど論じられなかったように思う。
差別しないことと、被差別者を守るということは、決して同義ではない。守ろうとすればするほど、その対象を特別視していることになるからだ。特別視するということは差別とまさに同義だ。
だから、差別しないということは「特別視しない」ということであるはずだ。なにも難しいことじゃない。世の中にはビデオの予約が出来ない人もいれば、重い物を持てない人もいるし、棚に手が届かない人だっている。耳や目が機能しないことも被曝していることも、それと同じだと考えればいい。
ようは過剰に考える必要はない、普通にしていればいいということだ。目が見えなかろうが、耳が聞こえなかろうが、あるいは被曝していようが、たいていは普通に生活できる。良くも悪くも気にする必要はないし、必要があれば助ければいい。ビデオの予約を変わりにしてあげるのと同じように。
被差別者も、下手に劣等感を感じるからいつまでも差別されるのだろう。堂々としてれば、誰も文句は言わないのに。
これはいじめ問題と同じだ。いじめも、いじめられる側が下手に劣等感を感じているからいじめられる。堂々としてればいいのに。
だいたいこういうことを言うと「誰もがそんな風に生きられるわけじゃない」とか「自分には出来ない」とかいう答えが返ってくる。そんな言葉に真面目に返答する気はない。ようは「自分を変えるか、現状を受け入れるか」という二者択一でしかないということだからだ。
人間は誰も優越感を感じたがっている。だから劣等感を感じている人間を見つけて、優越感に浸りたがる。被差別者もいじめられっこも、人間のこの根本的行動を抑制する方法を見つけるか、自分を変える以外に、状況を打開する方法はない。そして前者はまず不可能であろう。だから二者択一なのだ。
(@701)