狐の王国


2005年05月03日(火) [過去の今日]

#1 席を譲らなかった若者

少し前にあちこで話題だった。すぐ俺も反応したかったのだが、なにやら重大な問題をはらんでるような気がして、少し寝かせることにした。

この人たちに気づいたのは、この高齢者組の男性が「最近の若い者は年寄りを立たせても平気なんだから」「ちょっと前は罪悪感からか寝たふりをしたもんだが、最近じゃ寝たフリもしないからふてぶてしい」などと、かなり大きな声で話しているのが耳に入ってきたからだ。

(中略)

「あんたたちさぁ、山は歩けるのに電車では立てないの? それっておかしくない? 遊んできたんだろ? こっちはこれから仕事に行くところなんだよ。だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日も働いてあんたたちの年金を作ってやってるんだって分かってる? 俺があんたみたいなジジイになったら年金なんてもらえなくて、優雅に山登りなんてやっていられないんだよ。とにかく座りたかったらシルバーシートに行けよ」

この指摘は実に的を得ている。それが故に老人たちも反論できずすごすごと去って行ったのだろう。だが引用元のblogの作者さんは、後日 『この若者が2、3年前にいまと同じ立場にいたら、果たして年金の話なんて持ち出したんだろうか?』 と書いている。まさに俺がなんとなく感じた問題は、ここにあることに気付かされた。

年金問題が騒がれはじめたのは、本当に最近の事だ。数年前なら払わない奴がおかしいと思われてたかもしれない。だが、高齢者社会が近付くにつれ、若い世代の間で一つの認識が形成されていった。いわゆる 勝ち逃げ論 である。大きな変化が無ければ、今の50代以上は勝ち逃げが可能であろう。若いときには高度経済成長、年を取っても年金が支給され、悠々自適に死んでいける。

こういう認識の元、20代30代の人間には「アイツらはいい時代に生まれた、オレらは不遇の時代に生まれた」という考え方が成立する。とくにバブル崩壊後にバイトも無ければ就職先も無いような状況で高校大学を過ごして来た世代 *1 からしてみれば、恨めしいのは当然であろう。ましてやバブル崩壊に導いた今の50〜80代に対しては、相当の恨みつらみがあると思っていいのではないだろうか。 彼らからしてみれば、暗い未来と今までの人生の負債は自分の責任ではなく、すべて老人たちが作り上げて来たものであり、その老人たちは責任を取ること無く死んでいくのだ。そして責任を取ってどうにかしなければならないのは、若者なのである。そりゃあ頭に来るというものだ。

ここで「老人をいたわる」という倫理観が崩壊する。社会を作り上げてきてくれた恩人、という考え方が崩壊したからだ。若者から老人を見たとき、社会を崩壊させて修復もせず逃げ去る大悪人なのだから当然だ。老人は尊敬しいたわるべき存在ではなく、卑下し憎むべき存在なのだ。

そう考えたとき、老人に席を譲らない若者の気持ちが手に取るようにわかるのではないだろうか。50代以上の人間たちが責任を取らない以上、彼らの気持ちは変えられないのだと思う。

「彼ら」と言ったが、こういう考えに至ったということは、俺の中にもそのような気持ちが存在しているということに他なるまい。さてはて、どうしたものか。

(@563)


*1: この世代にひきこもりだのNEETと呼ばれる人々を生み出してるのは偶然ではあるまい。
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2005年05月05日(木) [過去の今日]

#1 幸せの定義

大学で教わった範囲じゃ、「人は誰しも幸せを求める」という幸福論が9割だか99%だかを占めてるとか。で、その幸福論において「幸福とは何か」という問いに「快楽」という答えを出すものが8割だか9割だかを占めてるんだとか。で、この 幸福 = 快楽 という考え方を快楽主義と呼ぶ、と習った気がする。

で、快 = 善、苦 = 悪 という考えの元、最大多数の最大幸福だのなんだのが生まれて来るわけなんだが、ギリシャ時代からずーっとこんなんなんだよな。プラトンの本でもソクラテスがプロタゴラスとの対話でこの考え方を主張してたりする。

快楽主義の特徴的なところは(全部がそうかは知らないが)、快楽の中身を問わないところなんだよな。パチンコで得られる快楽も、読書で得られる快楽も、山登りで得られる快楽もいっしょくた。だからアリスティッポスみたいに豊かなときは娼舘に通いまくり、貧しいときは食事なりなんなりに快楽を見いだし、いつも同じように幸せな顔をしてるということができる。

さて、こんな考え方が2500年も続いてなお人は幸せになれてないわけで、快楽の質を問う時代に移行するべきなのか、従来の快楽主義の考え方の浸透を促すべきか、はたまたまったく違うアプローチがあるのか。誰か、とりあえず答え出してみない?

(@752)

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2005年05月07日() [過去の今日]

#1 性別に言及されないことの幸せ

圏外からのひとこと でハッケソ。

なんかおかしいな、と思うのは、運転士はすでに「これだから若者は」とか「若者には任せられない」とか言われてるはずなんだよね。なぜ性別だけをそこまで気にするのかが、俺には理解できない。

そもそも男だって女ばかりのところに行けば「これだから男は」「男には任せられない」とか言われるわけで。その集団のメインストリームから外れてる存在は、その外れてる特性をもってああだこうだ言われるのはごく普通の事だわな。その是非はともかく *1 として。

結局のところ、女性が性別コンプレックスに陥りがちなのは、男社会の職場が多いということなんだろうなあ。女性の社会進出だのなんだの言っても、まだまだ絶対数は少ないということなんだろうか。

もっとも、ホントにほとんどの職場が男女比50:50になってしまったら、子供もいなくなってしまうだろう。そうなれば国として終焉を迎えざるを得ない。国がそれこそシングルマザーでもやってけるような体制を整えるようなこともでないかぎり、女性はほとんどの職場でマイノリティのままなのだろう。それを動かせるのは、女性の世論しかあるまい。

もっとも:

性別によって適した職業というのがないわけじゃない。男性のエステティシャンには抵抗がある人も多いだろうし、それは売り上げに直結してしまう問題だ。最近は平然と女性が働いててびっくりするが、深夜営業の店員は男性じゃないと危険すぎるだろう。夜遅くに帰宅するような仕事も、女性につかせるのは平和ボケしてるとしか思えない。犯罪者に性差別するなって言って聞いてくれりゃいいんだけどね。

個人的に女性が増えて欲しいと思う職場:

産婦人科……。エロ医者少なくないぞ、けっこう。

(@308)


*1: 本来議論されるべきは性別よりもこちらだわな。
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#2 BARホンダ、2戦出場停止のバックグラウンド

そういうわけで、スペインGPとモナコGPでBARホンダの姿が見られなくなったわけだが、非常にひっかかる裁定だとは思わないだろうか。レーススチュワードがOKを出した車検にも関わらず、FIAがいきなり横槍を入れる形での出場停止処分。いくらなんでも強引すぎるとは思わないだろうか。

さらに、 NIFTY F1の記事 によると、ミハエル・シューマッハのコメントとして以下のような文が掲載されている。

「競争力ある2台のマシンがグリッドに並ばないというのは残念なことだけど、事はあまりにも政治的なものだからコメントはできないよ。 せっかくの表彰台が無効にされてしまったバトンは可哀想だけど、次また頑張って欲しいね」とはシューマッハ。

政治的、そう「政治的」な事なのだそうだ。翻訳文であるので実際にかの皇帝がなんと言ったかはわからないが、俺はこの「政治的」という言葉が非常に気になる。ミハエルは何かを知ってるのではないかという気になる。

もし、本当に言葉通り今回の処分が政治的なものだとしたら、いったいその裏側はどうなってるのだろうか。BARホンダが出場停止になって得をする存在とは、誰なのだろうか。

ウィリアムズ説:

まず思い付くのはウィリアムズが仕掛けたという説だ。昨年からウィリアムズは、BARホンダが擁するジェンソン・バトンを欲しがっていた。確かに華は無い *2 ものの確実にポイントを得て来るレーサーであるし、ウィリアムズとしても欲しいのだろう。今回の裁定により、 BARはパフォーマンス条項をクリアできなくなる 可能性が高い。そうなればバトンはBARの契約から解放され、ウィリアムズに移籍できる。しかもウィリアムズは成績を理由に安くバトンを買い叩く事が可能だろう。ウィリアムズは今回の処分できっと得をするはずだ。

トヨタ説:

次に思い付くのは、トヨタ説だ。ご存知の通り、トヨタはヨーロッパ市場での自動車販売成績を上げるためにF1に参戦している。だとすると、同じ日本車であるホンダには絶対に負けられないはずだ。今年は順調にホンダより前にいけるかと思えば、復活の兆しを見せ始めたBARホンダ。ここは叩き潰さねばならないだろう。トヨタはBARホンダの出場停止で得をするはずだ。

ミッドランド説:

最後に某と話してて浮上して来たのが、ミッドランド説。ジョーダンチームを買い取り、ミナルディには負けない程度のこの弱小チームだが、ミッドランドは本気でF1をやろうと思ってるに違いない。しかし、ミッドランドに足りないものはエンジンだ。勝てるエンジンが必要なのである。今使っているトヨタエンジンには実績が無い。

そこでミッドランドはホンダエンジンに目を付けた。ホンダは最強を誇った実績もあり、現状のF1エンジンを見渡してもそのパワーはトップクラスだ。BARというチームのダメさを露呈させ、こちらにエンジンを供給すればBARよりもいい成績を出して見せると主張すれば、あるいはBARを売りたがってるBATと交渉し、ホンダとのパートナーシップごと、BARを買い取れば……。

これはさすがに妄想すぎるだろうか。

(@382)


*2: モデルもやれるルックス、という華はあるが。
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2005年05月09日(月) [過去の今日]

#1 名古屋巻き

先日、ドライブしていたら、後ろに乗っていた子供たちが「お蝶夫人ごっこ」をやっていて大笑い。よく知ってるなー。

それはともかく、あのお蝶夫人の縦ロールの髪型を、子供たちが「名古屋巻き」と呼んでいた。なぜに名古屋。お蝶夫人のセリフが「いきますわよ、よくって?」から「いくだぎゃあ、ええかね?」になっちまう。

そしたら、 ご当地巻き っていう髪の毛の巻き方があるんだってさ。名古屋巻きってのはそのうちの一つかね?

しかし、小学生とは言えさすが女の子。ファッションには敏感なのだねえ。

(@258)

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#2 マスゴミ

某掲示板付近ではマスコミの事を「マスゴミ」と呼ぶ。ゴミをまき散らし、夜中までヘリを飛ばして救出作業を妨害したり周辺住民に迷惑をかけ、遺族の涙の映像を撮影せんがためにあの手この手を使って一般人を巻き込む。そして叩ける存在は自分の事を棚にあげて徹底的に叩く。

まあ、当然ゴミ扱いされてもしょうがない事をしてきてるわけだが、 アカ日新聞がコククジラを殺そうとしてる という話に呆然。

マスコミは必要な存在だが、それをきちんと批判できる存在が今まで無かった。blogという形式のウェブサイトはそれを比較的簡単にできるメディアだ。blogジャーナリズムともいうべき情報伝播のあり方が、もっと広まるといいなと思う。

……というか、すべての新聞社のニュースサイトはトラックバックを受け付けるべきだな。こうした情報はトラックバックによって新聞社のサイトに入るようにしなくてはなるまい。この手の技術物では先んじてきた実績のある 朝日新聞社 にこそ、やってもらいたい。

(@313)

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#3 IEたんはoverflowがお嫌い?

IEユーザーの方から連絡を頂いて、このページの表示が崩れてるとのこと。簡単に対応できるものならしてみようと検証。ちょうどWindows立ち上げてたしな。

で、どうやらPRE要素がoverflow起こしてると、サイドバーの横に本文が来ず、下に行ってしまうということらしい。で、pre要素にoverflow: scroll;を指定。が、Firefoxでは問題なくスクロールバーが出現するものの、IEでは出ない。謎。

で、よくぐぐってみたら、IEはwidthを指定してないとoverflowが効かないらしい。めんどうな。で、width: 80%; overflow: scroll; で解決っぽい。

しかし、どうせ横スクロールが出るなら全体を横スクロールしたほうが見やすいと思うのだけどなあ。

(@397)

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#4 Firefox 1.0.3 に最高レベルの脆弱性

ぐは……file.launch()ってなんだよ。

まあ、要するにXULアプリはもちろんローカルファイルの読み書き実行ができるわけなんだが、その関数がXPIインストールの時にも使えてしまう、という感じなのかな。これはひどいなあ……。Firefoxがこれでどうやって対応するのかが見物。

とりあえずしばらくJavaScriptオフにして暮らすか。

(@436)

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#5 壊れずの銀矢駆け抜くコロセウム──スペインGP

というわけでスペインGPなのだが、まさかマクラーレンが壊れないとは思わなかったなあ。信頼性確保してきたってことだろうか。スピードはルノーより圧倒的に上だったのは前からだし、今後はライコネン旋風が巻きおこるのかな。

しかし忘れちゃ行けないフェラーリ。今回はどうやら何かを踏んでタイヤを失ったようだが、タイムは悪くない。予選1回目こそトップから0.5秒も遅れているが、レースディスタンスの半分を走り切るだけの燃料を積んでトップから1.7秒落ちはたいしたものだろう。しかも31周目には1分15秒648というラップを叩き出している。これはファステストであるフィジケラの1分15秒641とわずか7/1000秒差でしかない。F2005は決して遅いわけじゃないのだ。しかも次はミハエルの得意コース、モンテカルロ。期待せずにはいられないだろう。

それに、今のフェラーリは、このまま黙って引き下がる程甘いチームじゃなくなっているはず。必ずや選手権に絡んで来るだろう。そのとき、アロンソやライコネンと堂々とワールドチャンピオンを賭けて戦ってくれるはずだ。

願わくば、そこに琢磨の姿があらんことを。

(@736)

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#6 運の悪い佐藤琢磨

で、あまりにも悪運が付きまとう琢磨だが、ついにその原因が明かされた。

こちらのサイト に「佐藤琢磨、男性、未婚、40歳未満」と入れて見ると、

主運 ;当人の一生の中心を司ります。結婚により姓が変わると主運も変わりますが、中年以降に強く現れます。

34画:破壊波乱、悲運の霊位を示す最凶数
散る、乱れる、壊れるの暗示のある悲運数で、事故遭遇や身内のトラブルなどが起きやすく、事業の倒産、病弱など肉体的・精神的に薄幸の傷心が続き、晩年孤独に終わる悲運数とされています。(可能であれば改名された方が宜しいです。)

主運にこの数字が現れているあなたには、特に強く作用しますので注意が必要です。

まさに「な、なんだってー(AA略」である。

そういうわけだから、琢磨よ、すぐに改名するのだ。そしたら勝てる(ホントか?)。佐藤 → 佐東 だけでもかなり運勢よくなるしな。

(@745)

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#7 ミナルディ

あれ、走ってたのか、スペインGP。

(@775)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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