2005年05月05日(木) [過去の今日]
大学で教わった範囲じゃ、「人は誰しも幸せを求める」という幸福論が9割だか99%だかを占めてるとか。で、その幸福論において「幸福とは何か」という問いに「快楽」という答えを出すものが8割だか9割だかを占めてるんだとか。で、この 幸福 = 快楽 という考え方を快楽主義と呼ぶ、と習った気がする。
で、快 = 善、苦 = 悪 という考えの元、最大多数の最大幸福だのなんだのが生まれて来るわけなんだが、ギリシャ時代からずーっとこんなんなんだよな。プラトンの本でもソクラテスがプロタゴラスとの対話でこの考え方を主張してたりする。
快楽主義の特徴的なところは(全部がそうかは知らないが)、快楽の中身を問わないところなんだよな。パチンコで得られる快楽も、読書で得られる快楽も、山登りで得られる快楽もいっしょくた。だからアリスティッポスみたいに豊かなときは娼舘に通いまくり、貧しいときは食事なりなんなりに快楽を見いだし、いつも同じように幸せな顔をしてるということができる。
さて、こんな考え方が2500年も続いてなお人は幸せになれてないわけで、快楽の質を問う時代に移行するべきなのか、従来の快楽主義の考え方の浸透を促すべきか、はたまたまったく違うアプローチがあるのか。誰か、とりあえず答え出してみない?
(@752)