狐の王国


2004年06月12日() [過去の今日]

#1 えふわんじゃば

今週末はカナダGPが開催中。せっかく地上波も生放送なのだし、 オフィシャルサイト のJava Appletなタイミングモニタを見ながら観戦したいなと思ったのだが、これが動かない。上位3名くらいまでは出るのだが、それ以後白い四角がかぶさるような感じで覆い隠してしまう。

j2reが原因かと思い、 でびあんじゃば などを参考にあちこちのj2reを入れてみたが変わらず。うーん、何が原因なんだろう。

ふとGecko以外のブラウザで試してないことに思いいたり、konquerorなども試すが、こちらはAppletが起動せず。うーん、HTMLのソースを見てみると、JavaScriptなんかでごにょごにょやっとるな。CSSもつことる。もしかしたらGeckoのJavaScriptかCSSの解釈が原因か?

試しにプレーンにAppletだけのHTMLに書き直してみたら、見事に動いた。なるほど、こういうことか。j2reは無罪だったのだな。

ま、とにかくこれで明日のカナダGP決勝はタイミングモニタを見ながら観戦できるな。ふふふ、楽しみだ。

(@081)

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#2 建築業界が文化庁にロビー活動を行うと

圏外からのひとこと でハッケソ。いつもおもしろいものを見せてくださってありがとうございます。

さて、これは行きすぎた規制がいかに活性化と逆方向に進むかということを直感的に理解させてくれる名文だろう。著作権法の第一条にはこうある。

第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

法文というのはややこしくて専門家でなければその真意を汲むことは不可能なのではあるが、これを見る限り著作権法が著作物他の権利を保護するのは、「文化の発展に寄与」するためである。保護が行きすぎて文化の発展を阻害してしまっては、この法律の目的を果たすこと能わず、なのである。

例えばリミックス音楽等は一つの大きな文化だ。さまざまな既存の音楽・音声から一つの新しい音楽を作り出す。でもこれは元著作権者から訴えられかねないのだそうだ。リミックスをやってるDJさんのblogでそういう話を読んだのだが、URIを紛失してしまった。

当然過ぎて誰も指摘してない気がするのだが、著作物というのは完成品だけではない。むしろ元著作者が完成だと思い込んでいたとしても、他人の手によって大きく生まれ変わる可能性を内在するものだ。典型的な例であれば翻訳もそうであるし、最近の例では 2ch 界隈にあるような既存の楽曲をテーマにしたFlash作品がそうであろう。

以前、Bump of Chicken の 「K」という曲のFlashが話題になった事があった。「K」は嫌われ者の黒猫が絵描きに拾われて一緒に暮らし出すという叙事詩であり、そのシンプルかつストレートなストーリーと黒猫の想い、そして最後に伝えられる"K"というタイトルの真意はすばらしいものであった。しかし、この曲はアルバムの片隅に収録されてる作品であり、あまり知られてもおらず、また肝心の"K"というタイトルの意味にもいまいち伝わりにくいものだった。

しかし、その後2chにアスキーアートで「K」のストーリーにあわせた挿絵を発表する者が出現し、それを用いて件のFlashが作成されるに至るや、大勢の人間の目に、耳に、「K」という名曲が流れたのである。曲だけではわかりにくい"K"の文字の意味も、はっきりとわかった。それからと言うもの、元曲を聞きたいが為にCD屋に走る者、「K」のストーリーを下地に漫画を書く者、小説を書く者が現れ、これらの作品は今もインターネットの中を漂流している。

これが「文化の発展」というものだ。オリジナルを作り出すだけが文化ではない。オリジナルから派生していくことが発展というものなのだ。オリジナル至上主義は文化の発展を阻害する。

もちろん著作者への還元と保護は重要である。しかし、ジャズ喫茶を潰してしまうような保護のしかたでは文化の発展は望めない。「K」の派生作品たちも、JASRACに見付かれば高額の著作権使用料を請求され、潰れてしまうだろう。だからあえてリンクはしない。法律も我々も、目指すべは発展であり、保護は手段でしかない。このことをよく再認識する必要を、切に感じるのである。

(@120)

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2004年06月13日() [過去の今日]

#1 ル・マン24時間レース

世界三大自動車レースの一つが、日本の地上波で見れなくなる日が来るとはなあ。いい加減地上波は捨てる時期かね。なんとかしなきゃ。

(@119)

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#2 手足を縛られた自衛隊

うーん、と考え込まされた。俺は自衛隊派遣に関してはどんどんやれと思ってる方だが、こうも不自由では自衛官たちの命が危ないし、そもそも真っ当な活動もままならん。

やはりああいうアホな政治家しかいない日本の民主主義に欠陥があるとしか思えんなあ。政治家がアホだということは、国民がアホだということ、それが民主主義というものなわけだが、はてさて。

(@461)

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2004年06月16日(水) [過去の今日]

#1 irchat-pj の DCC

なんかしらん、kernelを2.6系列にあげてからチャット専用に突っ込んであるmuleでDCC SENDできなくなった。ポートとアドレスを固定するためにかなり怪しいhackを仕込んだのでそのせいかしら。

というわけで現実逃避がてらirchat-pjのDCC周りを再点検。特にCで書かれたdccプログラムのソースや挙動を調べて行くと、前回意味のわからなかった、四つ目と五つ目の引数がようやく理解できた。

Usage: dcc file send <filename> <port> <ircserver>

usageにはこうある。四つ目の引数である<port>はDCCにおいて自分がlistenするポート、ircserverは恐らく自分のIPアドレスを調べるために、繋いでるIRCサーバを指定するのだろう。つまり、IPアドレスに関してはこのdccプログラムに任せて、NAT BOXというか、ルータのの内側からDCCをするためにはポートさえ固定してやればいい、ということになる。 *1

しかし、オプショナルな四つ目五つ目の引数はirchat-pjでは利用されてないようだ。せっかくだからきっちり利用させていただき、 DCCポート固定パッチ を作ってみた。

(setq irchat-dcc-port "6667")

とかいう感じでポートを指定してそこに穴を開けておいてやれば、DCC SENDが通る。普通に繋ぐ分にはこれで充分なはずだ。

うちの場合、変な位置にplumを挟んで繋いでいるのでこれだけではダメで、plum.confに、

+ ctcp/dcc/nat.plm
ctcp.dcc.nat.mapping: 192.168.xxx.xxx xxx.xxx.xxx.xxx

という感じでローカルアドレスをグローバルアドレスにマッピングしてやる必要があった。他のマシンからplumに繋いでいる場合でも、それぞれにポートを転送してやり、マッピングしてやればちゃんとDCCが通る。便利便利。

というわけで見事解決、と思いきや、これでもmuleでは動かない。dccプロセスは上がってるのだが、どうにもDCC SENDをサーバに送ってくれないようだ。思い切ってノーマルなirchat-pjを突っ込んでも見たのだが、やはりダメ。要するに2.6カーネル系列上でのmuleの挙動の問題なのかもしれない。コンパイルしなおせば動くのかなあ。まあ、メイン環境がemcws21になっているので、チャット専用Emacsをemacs20-dlにしちゃってもいいのだけども。マルチバイト文字が入ったファイルをDCCできない問題も解決するだろうし。

(@404)


*1: ま、こんなことしなくてもルータがLinux BoxならIRCモジュールで簡単にDCC SENDが通るんだけどね……。
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#2 Emacs20とEmacs21のフォント設定

さて、Emacs20をチャット用、Emacs21(emcws)をメイン環境として共存させることにしたはいいのだが、チャット用のEmacsはmplusフォントで小さく、メイン環境は東雲で大きくしている関係で、同一のフォント設定を読み込んでしまうこの二つのemacsのフォント設定を振り分けるのは難しい。

Emacs20も21も.Xresourcesに

Emacs.Fontset-0:-misc-fixed-medium-r-normal--14-*-*-*-*-*-fontset-14
Emacs.Font: fontset-14

と書いて、aliasを使って-misc-fixed-のboldやらなにやらを揃えてやるのが一番確実なフォント設定だった。

Emacs20の時だけ別の設定を読み込ませる方法を探してみたのだが、一応.Xresources内でも分岐させることは可能らしい。かといってEmacsのバージョンを見る方法がわかるわけでもなく、やはり.emacs内部で分岐させる必要がある。

Emacsのフォントは、単にフォントセットを揃えてどのフォントセットを使うか指定してやればいい。ただ、ちゃんと動かないのが常なので、いくつかの方法があちこちで模索されてるようだ。今回、うちの環境でちゃんと動いたのは、.Xresourcesでフォントセットを作り、.emacsで割り当てる、というもの。

.Xresourcesにはこう書く。

Emacs.Fontset-0:-misc-fixed-medium-r-normal--14-*-*-*-*-*-fontset-14
Emacs.Fontset-1:-mplus-gothic-medium-r-normal--13-120-75-75-c-60-fontset-mplus12,\
 	    ascii:-mplus-gothic-medium-r-normal--13-120-75-75-c-60-iso8859-1,\
 katakana-jisx0201:-mplus-gothic-medium-r-normal--13-120-75-75-c-60-jisx0201.1976-0,\
 japanese-jisx0208:-mplus-gothic-medium-r-normal--13-120-75-75-c-120-jisx0208.1983-0
Emacs.Fontset-2:-mplus-gothic-bold-r-normal--13-120-75-75-c-60-fontset-mplus12

Emacs.Font: fontset-14

これで「fontset-14」と「fontoset-mplus12」というフォントセットが出来上がる。Fontset-2がポイントで、こうすることでboldが正しく表示されるようだ。デフォルトではfontoset-14を利用する。

次に、.emacsにこう書く。

(cond (window-system
       (if (= emacs-major-version 20)
           (setq default-frame-alist (append '((font . "fontset-mplus12")))))))

これでうまいことemacs20の時はmplusを利用できるようになったのである。

しかし、emacs -f irchat などとするとちゃんとboldが出ないな……。普通に立ち上げてから M-x irchat する分には大丈夫なのに……謎。

(@420)

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2004年06月18日(金) [過去の今日]

#1 さざなみフォント リリース

ふぇみにん日記 でハッケソ。

例の東風代替フォントの正式版ということになるのかな。さっそく使ってみた。いい感じ。埋め込みビットマップがライセンスの問題でnaga10からmplusになった関係で、小さいフォントがかわいらしくなってしまったけども、可読性は高くなった気がする。スケーラブルなほうも東風とあんまり変わらない品質な気がするなあ。もっと詳しい人が見ればいろいろ見えて来るんだろうけど、とりあえず firefoxでさざなみを利用したスクリーンショット を取ってみた。

とりあえず日常的に東風を利用してるのはmozillaでアンチエイリアスがかからない状態なので、もう全然問題無く使えるな。明朝の方は文字幅がやたら広くなって読みにくいけども。

ちうか、東風のころもそうだったんだが、mozillaで"\"が表示されないのはうちだけなのかなあ……。

(@225)

ぬ?:

"\":

あー、出てた出てた。確認した箇所がmonospaceになってて、そこが東風のまんまだったのか。

進化:

個人的にはAAのかからないスケーラブルフォントを目にする機会がほとんど無いので、俺としては東風より進化だな。満足満足。

(@262)

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#2 視点の移動

「愛奈です・・・」「ぱど厨になってみて」 という、二つの小中学生コミュニティ潜入レポートを読んだ。

この二つからわかったのは、ベースは女子小中学生の友達関係なのだな、ということ。はたから見れば異常なほどウェットで、その内実憎愛の嵐が吹く世界。女性の脳は元々論理的思考が苦手だと言われてるが、それを実証するかのような感情のぶつかりあい。大人になれば多少は抑えも効く *1 んだろうけどねえ。

こういう潜入レポートでおもしろいなと思ったのは、インターネットによる視点の移動である。以前、俺が昔から住み着いてるIRCチャンネルに、小学生の男の子がやってきたことがあった。彼もやはり潜入レポートにあるような身勝手ぶりが目立ち、さんざん叩かれていた。そこには小学生とはいえ「大人の視点」が求められていた。大人のコミュニティにいる以上、小学生だからと言って身勝手は許されない、その軋轢であった。

件の潜入レポートは真逆の子供の視点を得ようとする試みであろう。インターネットによってこうして自分の視点を強制移動させることが可能であるという、おもしろい事例だと思う。

しかし:

すごいね、小中学生コミュニティ……。俺ルールを作って周りに押しつけるって意味では、議論を読んだリンク許可制やら何やら、昔からある変なサイトと一緒だな。「ホームページ」という語感から、閲覧者は自分の家の訪問者という認識なんだろうな。それがより顕在化してるのが小中学生コミュニティということか。

(@273)


*1: 人間観察はけっこう好きなのでよくやっていたのだが、大人になりすぎると今度はまたおさえが効かなくなるようである。どうやら20〜30代が一番まともで、それより若いと今回書いたような事が起き、それより年を取ると周囲の迷惑を顧みず道を占拠し通路を占拠し大声でお喋りに興じるおばさんになるようである。このようなおばさん化傾向はサラリーマンの男性にも存在することがあり、興味深い現象である。
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#3 eblook

emacs20でうまくlookupが動かなかったので、なんとなくバックエンドをeblookに変更してみた。なんかよくわからんがうまく動いた。

(setq lookup-search-agents '((ndeb "/usr/local/share/dict/chujiten")
                             (ndeb "/usr/local/share/dict/kojien")
                             (ndeb "/usr/local/share/dict/wdic")))

しかもndtpdよりめちゃくちゃ高速な気が。設定も簡単だし、こりゃいいな。

(@440)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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