2003年11月02日(日) [過去の今日]
こちらの掲示板の発言 (参考になる +5)でハッケソ。
要するに切り欠きが二つあるものならAGP1.0のマザーには刺さるってことか。あとは相性問題ってことね。
安いGF4Ti4200でも欲しいところなんだが、予算がねえなあ。キーボードやマウスもヘタれて来たので買い替え時になりつつあるしのう……。
(@882)
2003年11月03日(月) [過去の今日]
鉄分の多い友人がメールで教えてくれたもの。
うーん、鉄分の足りてない俺には何がおもしろいのかよくわからんが……このページを見に来てる人の中には鉄分が多い人もけっこういたりするので張っとく。 ドア故障 とかはおもしろかったけどな。ていうか危険スギ。 サンダーバード もいいな。 ていうか 大江戸線 とか信じちゃいそう。
(@039)
#2 perlはスゴイんだかなんだか
以前書いたプログラムを久しぶりに手直ししてるのだが、こんな行を発見。
@data = `cat $ARGV[0] | nkf --unix`;
こんなコード書いた事をすっかり忘れて、
wget -O - http://www.example.org/ | script.pl
とかよくやってた。こんなんで読めてたっつーのが素晴しい。
(@900)
@ いやむしろ:
なんであれで読めてたんだ……。謎過ぎる。
(@903)
2003年11月06日(木) [過去の今日]
#1 <>
perlで<>というように空のファイルハンドルを与えてやると、引数で与えたファイル名もしくは標準入力から読んでくれたりなんかして便利。しかし、これだと標準入力から読ませてなおかつオプションを与えることができなくなる。んー、なんとかならんかいの。
(@096)
2003年11月09日(日) [過去の今日]
#1 アキバ
ようやくRAID1修復のためアキバへ。 ぱんだ におごってもらいまくり。感謝スギ。
@ サウンドカード受難の時代:
最近はサウンドカードほとんど無いのね。みんなオンボードで満足しちゃってるのかな。SBLive!が3980円だったが、今はつらい。ヤマハチップも見付けたけど、3980円。たけえよ。安いのがとりえなのに。やっぱSBLive!をむりしても買っとくべきだったか。
@ グラボ:
GeForce4MX420を3500円で見付けるも、Low Profileなカードで交換ブラケットも見付からないので断念。くそ。
(@734)
2003年11月10日(月) [過去の今日]
さすが説得力のある文章だなと思ったが、 3ページ目 の
だが、コンテンツがお金を生み出すという社会の「モデル」が崩れたときに、本当にファイル交換ユーザーが「消費したい」と思えるコンテンツが、ファイル交換ネットワークに流れるのかどうかは真剣に考えた方がいいんじゃないだろうか。無料で欲しいファイルがすぐに手に入る一時の楽しさに身を任せ、ファイル交換ユーザーが自分で自分の首を絞めているようにしか思えないのだ。
これを見て、無駄だろうなと思った。 理想はもちろん、P2Pファイル交換システムは、正規入手ルートが無い場合にのみ使われるべきだ。 *1 が、そこまで頭をめぐらせられるほど、実は一般消費者というのは賢くないのである。
頭のいい人ほどこの点について認識が甘い。一般消費者というのはバカなものなのだ。そう言われて「そんなことはない! 俺にだって理解できるのに、みんなが理解できないわけがない!」と思った人は、俺の言う認識の甘い頭のいい人だ。
どうやら一般的な人間というのは、存外想像力が低いらしい。彼らの口癖は 「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」だ。 ちょっと想像力がある人間ならば、何をしていても誰かに迷惑がかかる可能性が存在することは明白であろう。この言葉を発するのは、単純に迷惑をかけてる事、迷惑をかける可能性について、想像を巡らせてない、あるいは巡らせられないだけのことなのである。
WinMXやWinnyにしても、著作権者の利益に付いてまでは想像できる範疇ではない。ましてや間接的にかかってくる自分への損失など、思いもよらない事だ。恐らくコンテンツビジネスが崩壊し、自分にコンテンツが供給されなくなっても、自分のせいだとは微塵も思わないだろう。そこまでの想像力は無いのが一般人というものだ。彼らは自分自身の目の前の利を追うだけで精いっぱいなのである。
過去においては社会規範が厳しく、場によって行動すべき内容というものが様式的に暗黙に定められていた。それに従っていれば問題は無かった。だが今という時代はその様式が崩れた時代である。自分自身の力で考えなければならない時代である。想像力の希薄な一般人には、従うべき規範も無く、自分自身でそれを見出すこともできない時代なのである。
このことを実感として理解できない、あるいは反論したくなる人も多いだろう。そのような人は選挙の結果を見てみるとよい。理性的に考えて当選するはずの無い人物が当選してるケースがある事に気付かないか? 当選してないにしても、どうしてこんな人物にこれだけの票が集まってるのか首をかしげた事は無いか? 前者代表は神の国発言の某元総理大臣、後者代表は某県知事選でのエセフェミニスト教授だ。それでもまだ納得がいかないのなら、街を歩くとよい。放置自転車の多さはどうだ。ポイ捨てされたゴミの多さはどうだ。本当にそれがごく一部の人間の仕業と言える程度の量か?
現実には旧来の社会規範に従っている真面目な一般人も少なくない。そういう一般人は想像力の低さを露呈しないでいるので、目立たないし、深く付き合わない限りはその想像力の低さは見えて来ないだろう。
さて、元の話に戻すが、P2Pファイル交換ユーザにあのような警告を与える事は、社会規範に従う事がある種絶対的価値を持ってた時代には有効であったろう。しかし、そのような価値が崩壊した今の時代では、何の意味もない。無駄だといったのはその点だ。一般人が車を運転する時、安全基準を守るのは安全のためではなく、警察に捕まりたくないからである。 *2 すなわちファイル交換そのものを制限する以外に、彼らのライトコピーを防ぐ手段は無いのである。
しかしながらそうなると自然コンテンツにコピープロテクトがかけられることになり、ユーザーの利便性が著しく下がる。利便性の高い形で得るためにファイル交換ソフトを使う事になる、という例のあとがきにもある問題が出現する。交換ソフトが初心者に優しすぎ、ノウハウを文書化する力が大きすぎるのも問題だと思うが。
そういうわけで、一度著作権ビジネスを崩壊させてみるのがよいと考えている。プロのクリエイターという存在がほとんどいなくなるだろうが、それも時代の流れだろう。その暗黒期を抜けなければ、恐らく人類は、種として文化供給の重要性について学習することができないのだと考えている。そしてその暗黒期、ごく一部の人間によるアンダーグラウンドでの文化活動が行われる事であろう。彼らが暗黒期を抜け出す大きな牽引力になってくれるはずである。
(@991)
*2: 子供:「ねー、どーしてシートベルトしめるのー?」
母親:「しめないとおまわりさんに捕まっちゃうでしょ?」
よくある会話である。