2006年05月04日(木) [過去の今日]
/.-jのこのスレッド のことかなあ。
Winny等を使って従来では視聴できなかった作品が視聴できるようになった、というのはそれ自体はすばらしいことなんだよね。版元の都合でリリースできないものってのはたくさんあって、それは市場が小さすぎるからだったり、契約のとれたTV局が地域限定だったりと、いろんな理由がある。それは今まで解決法が無かったから我慢もできたのだろうが、インターネットの出現によって解決法が産まれてしまった。
いま、「インターネットの出現によって」と書いた。「Winnyの出現によって」ではない。実は動画や音楽の非合法交換の歴史というのはけっこう古く、アンダーグラウンドのFTPサイトやウェブサイトでは、そのようなファイル交換コミュニティが形成されていた。
@ ファイル交換はP2Pじゃなくても存在する:
俺がPC UNIXをいじりはじめた頃の話だ。まだISDNのテレホーダイだったのだが、身内でちょっとしたファイルをやりとりするためにFTPサーバを立ち上げていた。テレホーダイで浮動アドレスなので、あまりセキュリティは気にせず、anonymousで書き込みもできるようにしてあった。しかし、ふと気付くとHDDの消費量がやけに上がっている。よく見れば、HDDにはソフトウェアや音楽のコピーがごろごろと……。ログを調べてみると、どうやらフランスやイタリアからアップロードされたものらしかった。そんなところから日本のanonymous FTPサーバを見つけてファイル交換に利用していたのだ。俺は驚き、慌ててanonymousでの書き込みを禁止し、当該ファイルを削除した。
2006年の今になっても、こういうコミュニティは世界各地にある。特に日本のアニメは人気が高く、UHFで3局程度でしか放映されない番組も、翌日には中国のサイトなどで発見されるという話も聞く。
P2Pファイル交換ソフトの出現は、こうしたコミュニティの勢いを加速したのは確かだ。だがP2Pやファイル交換ソフトが本質なのではない。
@ わがままだという断罪は無価値である:
もちろん、上記のようなファイル交換は違法である。しかし、視聴する機会が無い作品は我慢できても、非合法とはいえその機会があるのに我慢しろというのは酷は話ではある。不可能ならしょうがないが、可能なのに視聴できないというのはストレスがたまるものだ。それをわがままと言ってしまうのは簡単だが、それでは何も産まれない。そもそも逆に視聴させないのは版元のわがままとも言えるではないか。それに、文明というのは人間のわがままを実現することで発達してきた。
風呂が無かった時代のことを考えてみよう。風呂など入らないのが当り前だった時代は、あったはずだ。せいぜい水で身体を洗う程度か。それがお湯の発見により、より効率的に汗や汚れを流せ、石鹸の発明により油脂を流す手段が確立された。そしてそれが普及したのは、そこから得られる快楽が原動力であろう。今では風呂に入らないことのほうが非倫理的だと言われる。誰も風呂に入ることがわがままだなどとは言わない。
今、インターネットとP2Pが実現したのは、身体をさっぱりさせる技術ではなく、作品を限りなくゼロに近いコストで配信/受信する技術である。それによってP2Pユーザーは作品を視聴する快楽、おそらく一生かかっても視聴し切れない作品に埋もれる快楽を手にした。これは作品を見られないという飢餓状態からの脱却であり、本質的には身体を洗えないという不満状態から風呂によって脱却したのと変わらないだろう。
そしてここで気付かされるのは、従来は「制作コストを流通コストに上乗せして回収していた」ということである。つまり、流通は物品の流通だけでなく、コストの流通にも利用されていたという、考えてみれば当り前の話である。しかし、流通コストが限りなくゼロに近付いたことで、そこに制作コストを上乗せするのが難しくなってしまった。結果、非合法の流通が跋扈し、制作コストの回収も利益の取得もできなくなっている。
そう、簡単にいえば権利ビジネスが時代においてけぼりにされてしまっているということだ。これをわがままと断罪して終らせるわけにはいくまい。人のわがままは、飯の種になるからだ。
そうして飯の種にしてしまったのがiTMSだろう。音楽ファイルを比較的自由に取り扱える形で販売し、けっこうな利益をあげている。そしてiTunesという優秀なソフトによって、購入コストを下げている。そう、「購入コスト」だ。
流通コストは実は「ユーザーの手に渡るまで」ではない。それは販売側の考える流通コストであって、ユーザー側が販売価格外に負担している流通コストも存在する。それは店にいって買って帰るという、ショップからホームの流通だ。このコストを無くして成功したのがアマゾン *1 であり、iTMSなのだ。そして各種P2Pもまた、このコストを無くして広まったのである。
流通コストが限りなくゼロに近付いたとき、別経路で制作コスト回収と利益取得を行わなければならない。それを実現した企業がいくつも出てきて実証してるというのに、まだそれを「わがまま」の一言で断罪してしまうのか。Web2.0をただのバズワードだと思い込んでる人も多い現状では、それも致し方ないのかもしれない。
ただ、確かに言えるのは時代は変わっているということだ。流通コストゼロが見せる未来は、もう目の前にある。そこにビジネスチャンスを見出せた企業だけが、新しい時代を作り上げていけるだろう。
もう一度言う。わがままだと断罪してしまうだけでは、何も産まれない。金にならない。利益をあげられるのは、わがままを実現した企業だ。
(@492)