狐の王国


2007年05月04日(金) [過去の今日]

#1 とある日の脳内会議

とある日の脳内会議。
オレ「あーくそ、ちょっとした雑用とかウェブデザインとかがめんどくせえ」
夢想家のオレ「CSSとstrictなHTMLが書けてSEO対策もできる給料タダの社員とかこねーかな」
一同「ねーよ」
現実主義のオレ「あ、でもそういう嫁もらえばいいんじゃね? いればだけど」
夢想家のオレ「お前アタマいーな」
オレ「労働力として嫁をもらうって農家みたいだな」
現実主義のオレ「だから農家は嫁不足なんだよなあ」
夢想家のオレ「きっと探せばいるって」
現実主義のオレ「CSSもHTMLもSEO対策もできて嫁いでくれるような女がか? いねーだろ、常識的に考えて」
オタクのオレ「 長門は俺の嫁
一同「 ねーーよ!
現実主義のオレ「あー、でも長門なら100人月くらいの仕事でもさくっと片付けられそうではあるな」
オレ「まあ確かにな。あのプログラミング能力はすさまじい」
夢想家のオレ「てことは受注取りまくりでオレ働かなくていいじゃん。人月60でも100人月こなせるなら年商7200万だぜ?」
オレ「いーね、それ。フェラーリ買えるんじゃね?」
オタクのオレ「長門のヒモでウハウハか、理想だな」
現実主義のオレ「長門は実在しねーけどな」
オタクのオレ「それを言うなって」
夢想家のオレ「まあ長門とまではいかないでも、それなりに使える嫁さえもらえば……」
現実主義のオレ「だからそんな女いねーってばよ」
夢想家のオレ「いるかもしんないじゃん! 探そうよ!」
オタクのオレ「リュミエールはどうよ?」
一同「お前はダマレ」
現実主義のオレ「いいこと思い付いた、 Piroさん を嫁にもらえばいいんじゃね?」
一同「 ねーーよ!!

勝手にネタにしてすみません >Piroさん

(@713)

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2006年05月04日(木) [過去の今日]

#3 みんなわがままになっている

/.-jのこのスレッド のことかなあ。

Winny等を使って従来では視聴できなかった作品が視聴できるようになった、というのはそれ自体はすばらしいことなんだよね。版元の都合でリリースできないものってのはたくさんあって、それは市場が小さすぎるからだったり、契約のとれたTV局が地域限定だったりと、いろんな理由がある。それは今まで解決法が無かったから我慢もできたのだろうが、インターネットの出現によって解決法が産まれてしまった。

いま、「インターネットの出現によって」と書いた。「Winnyの出現によって」ではない。実は動画や音楽の非合法交換の歴史というのはけっこう古く、アンダーグラウンドのFTPサイトやウェブサイトでは、そのようなファイル交換コミュニティが形成されていた。

ファイル交換はP2Pじゃなくても存在する:

俺がPC UNIXをいじりはじめた頃の話だ。まだISDNのテレホーダイだったのだが、身内でちょっとしたファイルをやりとりするためにFTPサーバを立ち上げていた。テレホーダイで浮動アドレスなので、あまりセキュリティは気にせず、anonymousで書き込みもできるようにしてあった。しかし、ふと気付くとHDDの消費量がやけに上がっている。よく見れば、HDDにはソフトウェアや音楽のコピーがごろごろと……。ログを調べてみると、どうやらフランスやイタリアからアップロードされたものらしかった。そんなところから日本のanonymous FTPサーバを見つけてファイル交換に利用していたのだ。俺は驚き、慌ててanonymousでの書き込みを禁止し、当該ファイルを削除した。

2006年の今になっても、こういうコミュニティは世界各地にある。特に日本のアニメは人気が高く、UHFで3局程度でしか放映されない番組も、翌日には中国のサイトなどで発見されるという話も聞く。

P2Pファイル交換ソフトの出現は、こうしたコミュニティの勢いを加速したのは確かだ。だがP2Pやファイル交換ソフトが本質なのではない。

わがままだという断罪は無価値である:

もちろん、上記のようなファイル交換は違法である。しかし、視聴する機会が無い作品は我慢できても、非合法とはいえその機会があるのに我慢しろというのは酷は話ではある。不可能ならしょうがないが、可能なのに視聴できないというのはストレスがたまるものだ。それをわがままと言ってしまうのは簡単だが、それでは何も産まれない。そもそも逆に視聴させないのは版元のわがままとも言えるではないか。それに、文明というのは人間のわがままを実現することで発達してきた。

風呂が無かった時代のことを考えてみよう。風呂など入らないのが当り前だった時代は、あったはずだ。せいぜい水で身体を洗う程度か。それがお湯の発見により、より効率的に汗や汚れを流せ、石鹸の発明により油脂を流す手段が確立された。そしてそれが普及したのは、そこから得られる快楽が原動力であろう。今では風呂に入らないことのほうが非倫理的だと言われる。誰も風呂に入ることがわがままだなどとは言わない。

今、インターネットとP2Pが実現したのは、身体をさっぱりさせる技術ではなく、作品を限りなくゼロに近いコストで配信/受信する技術である。それによってP2Pユーザーは作品を視聴する快楽、おそらく一生かかっても視聴し切れない作品に埋もれる快楽を手にした。これは作品を見られないという飢餓状態からの脱却であり、本質的には身体を洗えないという不満状態から風呂によって脱却したのと変わらないだろう。

そしてここで気付かされるのは、従来は「制作コストを流通コストに上乗せして回収していた」ということである。つまり、流通は物品の流通だけでなく、コストの流通にも利用されていたという、考えてみれば当り前の話である。しかし、流通コストが限りなくゼロに近付いたことで、そこに制作コストを上乗せするのが難しくなってしまった。結果、非合法の流通が跋扈し、制作コストの回収も利益の取得もできなくなっている。

そう、簡単にいえば権利ビジネスが時代においてけぼりにされてしまっているということだ。これをわがままと断罪して終らせるわけにはいくまい。人のわがままは、飯の種になるからだ。

そうして飯の種にしてしまったのがiTMSだろう。音楽ファイルを比較的自由に取り扱える形で販売し、けっこうな利益をあげている。そしてiTunesという優秀なソフトによって、購入コストを下げている。そう、「購入コスト」だ。

流通コストは実は「ユーザーの手に渡るまで」ではない。それは販売側の考える流通コストであって、ユーザー側が販売価格外に負担している流通コストも存在する。それは店にいって買って帰るという、ショップからホームの流通だ。このコストを無くして成功したのがアマゾン *1 であり、iTMSなのだ。そして各種P2Pもまた、このコストを無くして広まったのである。

流通コストが限りなくゼロに近付いたとき、別経路で制作コスト回収と利益取得を行わなければならない。それを実現した企業がいくつも出てきて実証してるというのに、まだそれを「わがまま」の一言で断罪してしまうのか。Web2.0をただのバズワードだと思い込んでる人も多い現状では、それも致し方ないのかもしれない。

ただ、確かに言えるのは時代は変わっているということだ。流通コストゼロが見せる未来は、もう目の前にある。そこにビジネスチャンスを見出せた企業だけが、新しい時代を作り上げていけるだろう。

もう一度言う。わがままだと断罪してしまうだけでは、何も産まれない。金にならない。利益をあげられるのは、わがままを実現した企業だ。

(@492)


*1: 1500円以上で送料まで無くなっちゃうのはすごいと思う。1400円くらいだとむりしてももう1冊買っちゃおうかと思ってしまう。
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#2 本当はすごい「Windowsの互換性維持」

Life is beautifulの記事「Windows95と地上の星」 でハッケソ。

へえ、Windowsの互換モードってこうやって作られてたのか。表題記事は外部から、ハッケソ元は実際にWindowsの互換モードを作ってた人の手による回顧録のようだ。

確かにこれだけのデータベースを作り上げるくらいなら、エミュレータを作っちゃったほうが速いかもなあ。Vista以降はVirtualPCが付属するんだっけ。使ったことは無いが、便利に使えるといいね。

(@432)

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#1 サンマリノGP

やっと見れた。

ていうかね、何あのホンダ勢のていたらくは。まあ井手の下手投げは見事と言う他無いのだが、これはSAF1のほうなのでまあ比較的どうでもいい。ホンダのピットチームはいったい何を考えてるんだろう。あれだけ豪快にピットミスしてりゃ、そりゃ勝てるものも勝てなくなる。

それにひきかえ、フェラーリのピット作業の見事なこと。41周目、アロンソが痺れを切らしてピットに入るやいなや、翌周ピットに飛びこむミハエル。この42周目のタイムはわからないが、きっと必死に走っただろう。そして一閃、瞬く間にピット作業を済ませてトラックにマシンを送り出したピットクルー。どう考えても不利なはずの状況を、これでひっくりかえした。ミハエルとクルーの勝利に対する執念、貪欲さはすさまじい。

ホンダに足りないものはこれだ。何が何でも勝つというモチベーションだ。これがあればピット作業も必死に練習するし、そうすれば早く正確になりミスも減るはず。それができてないのは、モチベーションの不足に他なるまい。

今思えば、現ホンダの前身BARホンダにおいて、モチベーションの塊のようなあの佐藤琢磨が結果を残せなかったのは、この熱意のギャップに原因があったのではないだろうか。そんなことすら思う程、ホンダのクルーたちのモチベーションは低く見えるのである。BARはBARであって、買収されたからといっていきなり全員がホンダマンになるわけじゃないだろう。だからといって、熱い伝説の数々に彩られたホンダの名前には、彼らは似つかわしくない。それは間違いない。

(@403)

アロンソとミハエル:

しかし、すごいなと思うのはミハエルのドライビングテクニックと、ルノーの安定性だ。アロンソとのバトル中、ブレーキとアクセルの開度が表示されていたが、ミハエルがブレーキ中も小刻みにアクセルで姿勢を制御し、エンジンの回転数を保っているのに対し、アロンソはゲームのようにアクセルとブレーキをオンオフしていた。

これはミハエルのテクニックの凄さと、ルノーの安定性の高さを示していると言えるだろう。どちらも高評価に値するのではないだろうか。そしてこの両者がほぼ互格の戦いをしていたということは、まだまだアロンソはミハエルに敵わないという当然の結論が導かれるのである。そしてミハエルとフェラーリに見られる「ちょっとでも速く」するための努力、これこそが5年連続チャンピオンという結果をもたらした、最高のモチベーションの現れではないだろうか。

もちろん、テクニックだけの世界でもマシンだけの世界でもないので、この両者の戦いの結論が出るわけではない。が、ギリギリの状態のとき、このミハエルの「ちょっとでも速く」という意識が、どこかで差を産むことになるかもしれない。

(@486)

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2004年05月04日(火) [過去の今日]

#1 片山右京 F1 Blog

ま、まさか右京のblogが読めるとは……。もう毎日チェックするしかだな。ていうかどこのファイルの更新時刻チェックすればいいんだろこれ。

(@706)

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2003年05月04日() [過去の今日]

#2 えふわん

アロンソ大活躍だねー。まさかこんなに速いとは。シューマッハのF2003-GAにあれだけ食いつけるなんて信じられない。

ていうかむしろバリチェロ遅すぎだろう。シューマッハに18秒遅れっていったい何よ。新車にまだ慣れてないのかなあ。

しかし、フェラーリのいい時期、つまりマシンが熟成してる時期ってのは、セカンドドライバーがめっちゃ速い。シューマッハに予選タイムで0.2秒程度の差しか付かなかったりする。それを考えるとマシンがまだまだ熟成されてないか、バリチェロが新しいマシンに合わないか、どちらかなんだろうなあ。

(@777)

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#1 at

atに録画予約させてるんだけど、なんかsid環境のat、動かなくなってねーかこれ。見事に予約失敗(涙) 昨日の予選はどーなったんだー。

どうもatで予約しても、/var/spool/cron/atjobs以下にきちんと書き込まれないみたい。空ファイルしかできなかった。とりあえずBTS眺めながら原因調査中……とほほ。

やっぱstableな録画予約マシン欲しいなあ。

(@103)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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