2007年06月01日(金) [過去の今日]
#1 Re: それって
2007年06月02日(土) [過去の今日]
#1 警察がいつでも誰でも逮捕できるようにしておく美しい国日本
この日本で車を運転する人で、一度もスピード違反を犯したことが無い人はいるだろうか。捕まったことはなくても、50km/h制限の道路で55〜60km/hくらい出したことは、一度もないだろうか。
「知財推進計画2007」正式決定、ファイル交換ソフトからの複製禁止など という記事。
とうとうダウンロード禁止法案が検討される段階に入ったらしい。しかも著作権の非親告罪化とセットだ。これがどういうことになるか、考えてみよう。
例えば昨年の「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメは、YouTubeはじめ、ネットにコピーをばらまく(あるいはそれを黙認する)ことでバイラル・マーケティングに成功し、大ヒットとなった。これがダウンロード禁止法と非申告罪化が施行された後ならどうなるか。
「ハルヒ」の制作者たちがネットにコピーをばらまく。それをたまたま目にした人が「おもしろい!」と感じてたくさんの人に「見ろよ、これ」と進める。見た人たちは著作物をダウンロードしたということになる。しかも非親告罪なので制作者たちの判断無しに、警察は逮捕できる。
これがどういうことかわかるだろうか。つまるところ「事実上の検閲」になりかねない。
「ハルヒ」がもっと政治的な作品だったらどうだろうか。マスコミを通して大々的なCMをおこなう体力がないので、バイラルマーケティングで……と考えて実行したら、見た人を逮捕してしまえる。全員を逮捕するわけではないだろうが、警察や政府に不利な作品なら、それを見て行動を起こそうとする人たちをかたっぱしから「本格的な行動を起こす前に」逮捕してしまえる。
もちろん、著作権の非親告罪化は海賊版対策だし、ダウンロード禁止法案は匿名ファイル交換ソフトによる著作物の非正規流通対策と、どちらも大規模な著作権侵害への対策のためのものだ。だがその法律が「本来の目的以外」に使われることは無いと、誰が言える?
冒頭のスピード違反の話に戻ろう。スピード超過は危険だから取り締まる、というのが本来の目的のはずだ。だが実際に車を運転してる人はわかるだろうが、法定速度内で走ることより、周囲と同じ速度で走ることのほうがずっと安全に繋がるのだ。速度規制は「目安」としては機能してるが、安全面でそれ以上の効果は無い。
だが実際はどうだ。警察の点数稼ぎのために速度違反の取り締まりが使われてるという言説が減らないのはどういうわけだ。それだけひどい目にあった人が多いということだろう。俺も伝聞だが「速度制限いっぱいで走ってて車線変更したら捕まった」なんて話も聞く。 警察国家 への道はとっくに走りはじめてるのだ。利口な人間はもう警察を信用できる組織だとは思ってない。
結局のところ、警察の規制や法律の運用というのは、誰もが多少法律の範疇からはみ出さざるをえないようにしておいて、理由があれば逮捕、という形なのだろう。いつでも誰でも警察の好きなときに逮捕できるようにしておくという考え方だ。
これはどうにかして止めないといけない。バイラルマーケティングですら違法になりかねない。警察の好き勝手にさせては、警察が不正をしてても誰も暴けなくなる。
今度の選挙で自民党が大敗でも喫してくれれば、少しは変わるだろうか……。どうせ参議院が崩壊してしまうような政治家だらけになっても、衆議院に1回だけ戻す事しかできないんだし……。
(@313)
#2 新作ガンダムはものすごいラブコメになる?
痛いニュースの記事 で知ったのだが、今年の秋から新作ガンダム、 機動戦士ガンダム00 が始まるらしい。へえ、SEEDの3作目じゃないんだ。
しかし、スタッフを見ると……
- 監督:水島精二
- シリーズ構成・脚本:黒田洋介
- キャラ原案:高河ゆん
- キャラデザ:吉田健一
- プロデューサー:竹田P(MBS)
……まて。 黒田洋介 だとっ?!
いや、好きなんだけどね、黒田脚本のアニメ。代表的なものをWikipediaの作品リストからあげてみると、
- 真・天地無用!魎皇鬼
- 魔法少女プリティサミー(1996年)
- エクセル・サーガ(1999年)
- ココロ図書館(2001年、原作脚本も)
- おねがい☆ティーチャー(2002年)
- 陸上防衛隊まおちゃん(2002年)
- おねがい☆ツインズ(2003年)
- ハチミツとクローバー(2005年)
……いや、いいのよ。プリティサミーも好きだったし、おねがい☆ティーチャーとその続編のおねがい☆ツインズなんてホント大好きだし。
でも、でも……悲しいけどこれガンダムなのよね……。
しかもキャラクター原案に高河ゆん。
……………………。 ……………………………………………………………………。 ………………………………………………ものすごい ラブコメなガンダムになりそうじゃないですか?
いや、おもしろければいいんだけどさ……。
(@552)
2007年06月03日(日) [過去の今日]
#1 ニコニコ動画で削除されるアニメ、されないアニメ
ニコニコ動画 にはいろんなおもしろい動画があがっているが、TVで放送されたアニメがものすごい早さであがってることもある。まだ放送中なのに前半部分だけあがってた、なんてこともあった。
これだけ見ると違法サイト、著作権侵害コンテンツだらけのようにも思えるが、実はそうとも限らない。
なぜかというと、削除されるべきアニメは削除されているからだ。
たとえば現在放送中のアニメだと、 アイドルマスターXENOGLOSSIA はアップロードしてもすぐ削除されているようだ。しかし らき☆すた などは1話から全部残っている。ここらへんに戦略の違いが見て取れる。
「らき☆すた」は昨年YouTube経由で大ヒットしたアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」と同じ版元で、主役声優も同じ、制作スタジオも同じと、内容は全然違うものの戦略としては「ハルヒ」を踏襲してる事が見える。だから敢えてニコニコ動画にも削除要請を出さず、「ハルヒ」同様、バイラル的に広がらせる手法を取っているのだろう。
対して「アイドルマスターXENOGLOSSIA」は、「らき☆すた」「ハルヒ」と同じく地方局のみの放送ではあるが、 @niftyによるストリーミング配信 も用意している。niftyのサイトには「@niftyにて独占ネット配信」なんて文字も踊っている。こちらはネット配信はniftyにトラフィックを集めてそこのメディア価値を上げる事に貢献するという戦略なのだろう。だから他のサイトにアップロードされたら削除しなくてはならない。
こうして見ると、ニコニコ動画に残っている動画は、遠慮なく見ていいものだ、ということがわかる。厳密には「黙認」程度のことしかできないのかもしれないが、それはそれ、著作権侵害が親告罪であるうちはこういう戦略も取れるということだ。非親告罪化してしまったら、黙認じゃなくてきちんと合法化しなくてはならないから、ものすごいコストがかかるだろう。
今までニコニコ動画にあがってるアニメを見るのは若干良心の呵責めいたものを感じていたが、きちんと削除される体制が見えた以上、もう遠慮はいらなそうだ。視聴者は見逃しや住んでるところで見れない作品が楽しめるし、著作者はバイラル的に広げる事で利益を得る。まさにwin-winの関係がそこにあるということだ。せっかくだからどんどん楽しむことにしよう。
非親告罪化とダウンロード禁止法が通ってしまったら、もうこんな幸せな状況はありえなくなってしまうかもしれないのだし。
(@347)
#2 警察や政府を信用できる人もいるらしいが、とりあえずGIGAZINEがんばれ
GIGAZINEさんは商売としてアクセスを集める文章を起草しているわけで… という記事。
内容的にも、牧歌的な政府不信というか、警察不信みたいなものが漠然と中核を占めているだけであって、(後略)
むしろなぜ政府や警察をそんなに信用できるのか、聞いてみたい。
日本が民主的な国かというと実際そんなことはなくて、そもそも日本国民の知性レベルがあまりに低いが為に官僚という名の一部のエリートが古式ゆかしい「御上」の役割を担ってどうにかこの日本を民主主義の体裁を保ちつつ運営しているというのが現状であろう。 若い人には実感しがたいだろうが、いまだに「くだらねえこと言ってねえでおかみに任しときゃいいんだ。とっとと働け」というようなおっさんは多いのである。
そんなわけだから官僚側も御上体質になり、何も考えてない民衆のために働いてやってるんだ的考えになるのもしょうがあるまい。実際なにもせず口をあけて待ってるだけの国民が多いのだ。だからいつでも逮捕できるようにしておこうとか、国が管理してやろうとか、そういう発想になる。そんな奴等を信用できるという人のほうが信用できない。
そんな状況下でインターネットというものが日本にやってきて、我々は時代遅れの官僚の考えることなど亀とジェット機のごとく軽々追い越して、膨大な情報と思考の渦に身を置けるようになった。そこでは一部の人しか知らなかった情報が当り前のように入手でき、誰かがそれを見つけては「Ω ΩΩ <な、なんだってー」を繰り返して来たのである。
GIGAZINEの問題の記事 もそのうちのひとつに過ぎない。陰謀論云々はともかく、 年次改革要望書 の存在を広く知らしめた功績は馬鹿にできたものではない。
我々は進化している。ネットも10年前とは比べ物にならないほどの情報量と正確さを備えている。 きちんとした英語を書けないなら日本語だけ書いてろ みたいな言い方をする人もいるが、きちんとしてなくてもどんどん書いた方が有益なのだ。極一部の「そんなもの常識でしたが?」的な発言など気にすることは無い。 にわかな奴ほど語りたがるの法則 なんてものもあるが、最後にポジティブな応用例が書いてある。逆に言えばにわかなうちに語っておけ(=アウトプットのチャンスはにわかなうち)ということなのだ。
そういうにわかな奴のアウトプットも蓄積していくとものすごい量になり、ツッコミも同時に見ることができる。 「陰謀論というよりはガセネタ」などという役に立たないツッコミではなく、もっと有益なツッコミが見れる事も多い。
そうして我々は進化して来た。
だからGIGAZINEはえらい。にわかでもなんでもきちんとアウトプットを出し続ける姿勢は見習うべきものがあるし、今回の著作権まわり、法改正まわりの記事は良質と言ってもいいだろう。せっかくそういう記事にお金が入る時代になってきたのだ。ぜひこれからもがんばって記事にしていってもらいたい。
……もっとも、いつもの海外で見つけたネタを写真パクって紹介するだけの記事はかんべんしてもらいたいものだけども。
(@527)
2007年06月04日(月) [過去の今日]
#1 大事な道具はパッケージに頼らず手buildしたい
俺の日常環境は、この日記に移った6年前からずっとDebian GNU/Linuxである。当時、ウェブブラウザはさほど重要な要素ではなかったから、Netscape4やw3mなどを適当に使っていた。
だが今はウェブブラウザの重要度が果てしなく上りまくってる。日々の検索、ブックマーク、情報交換、その他もろもろ、ウェブブラウザと睨めっこしてる時間がものすごい長さになってきている。
だから俺は、Debianの提供するパッケージではなく、Firefoxがリリースされるたびにソースからコンパイルしている。もちろん自分のマシン環境にあわせてgccの最適化オプションもつける。そんなに大きくは違わないが、体感でもレスポンスが向上してるのがわかる程度には変わって来るものである。
しかし、Firefoxと並んでもうひとつ重要な道具であるエディタ、EmacsについてはDebianパッケージをそのまま使っている。
Emacsの上でプログラムを書き、HTMLを書き、日記の記事を書き、メールの読み書きをし、IRCもEmacsで動くirchat-pjに少し手を入れて使ってる。
これだけ重要なアプリケーションなのに、Firefoxと違って手ビルドしてないのはなぜか。
簡単に言えば、Emacsで動くelispアプリケーションの存在だ。Firefoxで言うところの拡張機能程度に考えておいてもらっても構わない。
Firefoxの拡張機能は自動でアップデートされる機構が組み込まれているが、Emacsはそうではない。きちんとmakeしないと動かない。そして俺がEmacsで動かしているelispアプリケーションの量は、Firefoxの拡張機能の数とは比べ物にならないほど多いのである。
そんなのいちいちメンテしてられない。
なのでaptでさくさくアップデートされるDebianパッケージに、どうしても頼ってしまうのである。一時期は手ビルドしたEmacsにDebianパッケージのelispを読ませる、なんて荒業もしていたが、これもさすがにいまいちだ。
elispアプリケーションのパッケージがインストールされるとき、コンパイルされるemacsのフレーバーに手ビルドしたEmacsを追加できればいいのだろうか。うーん、しかしどこでそんなことをさせればいいのやら……。
(@352)
#2 MYUTA裁判は自作自演だった、という陰謀論
/.-jのコメント で見つけたのだが、例のオンラインストレージ全般が違法になるんじゃないかと危惧されている MYUTA裁判 が、実は着メロ業者の自作自演なんじゃないか、という陰謀論が流れてるらしい。
確かにCDからユーザーに着メロを作られると商売あがったりな気もするが、それをふせぐためにわざわざサービスを起こしてJASRACを利用して違法認定食らわせるってのはどうなんだろう。
ありえなくはないような気もするが、実際はどうなんだろうね。
そういえばMYUTA側が控訴したって話を聞かないのだが……。このまま控訴しないのなら、怪しまれてもしょうがないかもなあ。
実際のところ判決文を「日本語として解釈」する限りは、オンラインストレージ事業者がいつ逮捕されてもおかしくない判決に見える。法律文として解釈したらどうなるのかは俺にはわからないけども、ウェブサービス事業者全般を萎縮させるには十二分であることは間違いない。
そういうわけで、俺としてはMYUTA側にぜひとも控訴してもらいたい事案なんだけどもなあ。控訴してくれないのかなあ。
(@453)
2007年06月07日(木) [過去の今日]
#1 Advanced/W-ZERO3[es]はなんて略せばいいのか
Willcomの新機種、 Advanced/W-ZERO3[es] をなんて略せばいいのかIRCで相談したところ……
どエス
という答えが帰ってきた。
…………まあいいか。インパクトあるし。
で、その どエス だが、気になっていた「under the control of X」のXとは、Xcrawlと名づけられたセンターキーの事らしい。これがどれだけ使いやすいかが気になるな。
しかしキーが小さい。テンキーでメールを書くのは難しそうに見える。やってみなくてはわからないが、テンキーは諦めた方がいいのだろうか。
期待したカメラは130万画素クラスだそうで、メモ取りに使えるかは微妙。200万画素くらい欲しかったなあ。色もシルバー一色と来たものだ。
しかし、無線LAN搭載、Opera/IEのダブルフルブラウザ搭載、3インチ800x480液晶搭載と、魅力はたくさん。sshクライアントもフリーのものが使えるはずだし、仕事にもかなり使えそうだ。
しかも、 ウィルコム無線LANオプション なんてのも用意されてるのか。
テンキーはさほどこだわるべき場所でもないし、カメラも仕事用のN902isがあるから別に問題じゃないし、色はそもそも気に入った色がある機種がほとんど無いし……。
となると、あとは買わない理由は値段だけか。サポートコインが限度額までたまってるので4000円くらい引かれるはずだし、それで3万円まで下がるようなら機種変してしまいそう。
うーん困った。買わない理由もっと思い付かないかな。
(@375)
#2 防犯カメラ・監視カメラは「流出」している
痛いニュースの記事で 新幹線「N700系」に、防犯カメラ設置→「善良な市民を監視することが正当化されるのか」と市民団体が批判…朝日新聞 というのがあった。
元スレを見てないのでなんとも言えないが、監視カメラに賛成の人達が多数いる模様。 この人達は、本当に監視カメラの恐さを知っているのだろうか?
昨年、 松本人志が写真週刊誌を訴えた「本当の理由」 という記事が はてブ に上がっていた。 ここに、
報道の多くが「プライベートでAVを借りているところを盗撮された」ことを怒っているように書いてありましたが、違うんですよ。そうではなくて、写真を載せる時に「防犯カメラの記録ビデオから転載した」ことをボクは怒ったわけです。
もし、こんなことがこれからも許されるのなら、有名人は(防犯カメラのついている)エレベーターにも乗れないし、スーパーにも行けないし、ということになってしまいますよ…。
という記述がある。
そう、防犯カメラや監視カメラがあっても、それを「見ている人間」は確実に存在する。そしてその「監視カメラの映像を見ている人間」が善人とは限らないのである。
「恐いのは有名人だけじゃないの?」と思う人もいるだろう。そう思うならYouTubeを見てみるといい。監視カメラや防犯カメラの映像と思しきものがしょっちゅう流れている。それも車の運転ミスやちょっとした失敗等々といったものが多い。
要するに街でうっかりしたことをしてしまうと、それがたまたま防犯カメラに映っていたら、ネットで世界中に晒されて笑い者になる、ということだ。
監視カメラ、防犯カメラが増えれば増えるほど、その確率はどんどん上がる。 誰だって失敗は付き物。それを晒し上げられて笑い者にされて、いい気分のはずなかろう。
まだその程度ならマシだ。 岩手大学水泳部員がアルバイト中に皮膚病患者を盗撮・中傷したことについてのまとめ というサイトがある。サイトの名前がすべてを物語っているが、mixiでコンビニ店員が皮膚病患者の写真を撮って誹謗中傷を繰り広げた、という事件である。 これが監視カメラや防犯カメラの流出で起きたとしても不思議ではなかろう。
そのうちコンビニ店員が防犯カメラから、特定カップルが何日置きにコンドームを買いに来るかわかるように編集したビデオとか流れるんじゃないか?
現実に今も監視カメラ、防犯カメラから映像は流出し続けている。被害者がそれに気付いて裁判でも起こせばどうにかなることもあろうが、実際はそれに気付くことすら稀であろう。 警察のNシステム情報ですら流出してる のである。他の組織なら安心なんて事は無いだろう。
電車内の痴漢対策、痴漢冤罪対策にも有用だという声もあるようだが、俺はむしろ「本物の痴漢映像!」とかいってWinnyなりなんなりに放流する職員が出てくるんじゃないかと思っている。その被害者が子供だった場合など目も当てられない状況になるんじゃないのか?
もちろん犯罪対策、防犯という意味での監視カメラ、防犯カメラはとても重要なものだろう。だが設置するならするで、まずは映像の流出対策が先じゃないのか? 個人情報保護法のような法律が、防犯・監視カメラにも必要じゃないのか?
もっとも、そういうだだ漏れの社会になったらなったで、 ガラス張り企業 のような安心感はあるのかもだけどね。かつて田舎が持ってた「どこに行っても知ってる人がいるので悪いことなんてできやしない」という状況が、都会にも監視カメラとWinnyによって実現するのかもしれない。
それはそれで、いいのかもしれないけどね。
(@811)
2007年06月08日(金) [過去の今日]
#1 「こどものじかん」発売中止は当然のこと
『こどものじかん』北米で発売中止になった経緯。 という記事が気になって、実際に3巻まで買って読んでみた。
内容は、超おマセな小学3年生の女子児童たちが、新人の男性教師に逆セクハラ等々をして困らせる、というコメディ作品。「クレヨンしんちゃん」の女の子版とでも言うべきか。
あまりのマセガキっぷりにリアリティの欠損を感じなくもないが、昨今の性の低年齢化を考えると「シャレになる」年齢はこのへんなのかも、という気はする。もっとも、主人公である新人教師にとってはシャレになってないのだけども。
内容自体はとてもおもしろいし、登場人物の一人であるレイジの過去の描写などは重厚で、ただのコメディではない人物の厚みを感じさせてくれる。また、大人・子供問わず、登場人物たちの心の揺れは、共感する部分も多く、じんとくるシーンも多かった。
ただ、確かに下着や裸の描写は無闇に多い。問題になりそうなシーンはいくつかあったし、それが物語上必要なものとも認められなかった。
はっきり言えば、幼女趣味を持つ変態さんを喜ばせるためだけのシーン、という誹りを受けても擁護しかねる部分がある、ということだ。
物語自体に文句を付けるつもりもないし、むしろ子供に振り回されたり癒されたりするところなど、秀作と言ってもいい代物である。ただ、ありていに言えば「無駄にエロい」ということである。もちろんそういう要素が悪いとは言わないが、問題なのはそれが子供を使ってるということだ。
「物語自体がすばらしい」からこそ、無闇に児童の性的虐待を想起させるような描写は謹むべきだ。本人が嫌がってなければ虐待じゃないと思う愚か者もいるかもしれないが、嫌がってないならそれが尚更ひどい虐待であることは知っておくべきだろう。
俺はもちろん表現の自由は最大限確保すべしという立場である。だが同時に子供を性の対象とするような輩は断じて許さないという立場でもある。これは身近に子供がいる人間としては当然すぎる事だろう。
何度も言うが、ストーリー自体は悪くないのだ。だからこそ深読みすると存在するようにも取れる性的虐待に、読者の思考を向かせるべきではない。
もし実際に作中に暗に性的虐待が描かれてるとしたら、そして「マセガキ」の理由がそこにあるとしたら、この「こどものじかん」という作品は最低最悪の漫画になってしまう。
これでは北米での発売中止もしかたあるまい。国内での発売中止すら検討されてもおかしくない。性的虐待はあるけど幸せそうに暮らしてますみたいな作品が世間に認められるはずはないだろう。現実の被害者を嘲笑うようなものだ。
だから俺は──こんな事を思うのは生まれて初めての事であるが──この作品は修正されるべきだと思う。子供の性的虐待など存在しようがないように、表現を改めるべきだ。 「こどものじかん」という漫画は、「深読みさえしなければ」、すばらしい作品なのだから。
(@648)
@ 追記:
ついでだから具体的に、深読みすると性的虐待が存在するようにも取れるシーンをいくつかあげておこう。俺が気付いたところだけなので、北米では他にも問題とされるシーンがあるのかもしれない。
- 2巻75P〜78P。性的虐待の前後とも取れるシーンがある。
- ネタ元にもあるが3巻129P〜131P。性交に及んだようにも見えなくはない。
この他にも3巻には「性的虐待」という言葉を用いてその存在を疑うシーンもあるが、ここらへんは微妙。心理描写の範疇と考えるべきかもしれないが、それを言いだすと作品全体がやっぱ微妙ってことになりそう。
(@699)
2007年06月09日(土) [過去の今日]
#1 素人評論が「上から目線」でつまらない件
強い読者になろう という記事。ほぼ同意。
というかね、素人評論ってのは昔から糞つまらないものの代表格で、日曜の朝なんかにやってるTV番組の視聴者からの意見やら、TV雑誌に投稿される評論家気取りの素人文等々、いろいろ見てきたがホントにつまらん。
例えば昼ドラの大家族ものに対しては「家があんなきれいなわけない、お母さんがあんなきれいなわけない。リアリティが無い」などと言いだす。「あらこんなところに牛肉が」というCMに対しては「そんなところに牛肉があるわけない、視聴者をバカにしてる」とか言いだす。
元ネタの記事 にしても、オタク界隈でよく見かける「オタクはバカにされてんだよ、気付かないで見てる奴がバカなんだよ」という論調。
これらの共通点を考えてみると、それはやはり「優越感」だろう。
つまるところ「マスメディアに流れるコンテンツ」というある種の「権威」に対して「上から目線」でものを語り、「俺は普通の人が気付かないところにツッコミを入れられるんだぜ」という優越感を味わっているように見える。
それがつまらなさの原因だろう。
評論をするなら、作品に愛が欲しい。愛の無い評論など、ただの罵倒か提灯にしかなるまい。そんなものがおもしろいわけがないのである。
(@550)
#2 予定表とToDo管理に特化したカスタムポータルは無いだろうか
refererを見てたら、 netvibes というサイトからのアクセスがあった。何かと思えば、iGoogleのようなカスタムポータルのもよう。どうやら1ヵ月くらい前に話題になってたようだ。見のがしてたなあ。
で、なんとなく使ってみたのだが、まあiGoogleよりはマシ、という程度で、これといったおもしろさは感じない。モジュールはいろいろ使えるようだが、モジュールを作るドキュメントはどこかにあるのだろうか。
前からブラウザのホームページを自分でカスタムできるサイトがあるといいのになあとは思ってたのだが、実際目にしてみると案外おもしろくない。なんでだろうか。
結局日常の巡回はRSSリーダーに頼りきりだし、調べものはFirefoxの検索窓があるし、その他はせいぜいはてなブックマークの上位とこの日記のrefererを見るくらいで、別段ホームページがあってもなくても用は無いのだよな。まあ予定表やToDoが出てくるのはとてもいいとは思うのだが。
むしろ予定表とToDo管理に特化した方がいいんじゃないか? オマケでRSSリーダー機能的なものがあれば使い道もある。twitterモジュールみたいなのもユーザーがガンガン開発していけるような感じだともっといい。
うーん、そんなの見てみたいなあ。見てみたら見てみたで「やっぱつまんない」とか言いだすのかもしれないが。
(@933)
2007年06月10日(日) [過去の今日]
#1 Winny/ShareがP2Pを殺すのか?
referer -> とりあえずアップ という記事 -> DTIの帯域制御は「本当に」アップロードだけ? という記事経由で、 ISP規制情報Wiki というサイトを見つけた。
ここの記述を見て驚いた。ランクAとされる「規制が(ほぼ全域で)始まってない 快速なプロバ」が、たった3つしかないのである。俺が見た時点では、InfoSphereとeo、commuf@だけ。フレッツシリーズに対応してるのはInfoSphere1社のみというこの状況。
要するに主なISPはほぼP2P規制を始めてるということか?
困る、困るなあ。P2Pはこれからどんどん広がって行ってもらわないといけない技術。ファイル配布のBitTorrentに始まり、最近だとP2Pで動画配信するサービスがいくつか出てきてるようだ。YouTubeもP2P配信を検討してたはず。SkypeだってP2Pだ。
俺も大きなファイルの配布にBitTorrentを使おうとしてたので、15GB/day制限の予定されているDTIは近いうちに解約するつもりだった。代わりのISPを検討しなきゃと思ってたらこれだ。乗換え先が見つからないではないか。
結局のところ、Winny/Shareが使われすぎているということなのだろうか。トラフィックの何%を占めるのかはわからないが、相当な量なのだろう。
だとするなら、P2Pを殺すのはWinny/Shareということになる。P2Pが広まるきっかけになったソフトウェアがP2Pを殺すはめになるとは、なんたる皮肉。違法ファイルが主なコンテンツじゃしょうがないんだろうけども……。
しかしそれでP2Pプロトコル全般が事実上規制されるような動きは喜ばしくない。 従量課金がいいんじゃね という記事があるが、確かに繋がらなくなるよりはずっといいのかもしれない。DoCoMoみたいに破算してしまいそうな金額になるんじゃ使いものにならないが、水道や光熱費程度に、使いすぎてもせいぜい数万円にしかならないなら、受け入れられるんじゃないだろうか。
それに、実際数万円の回線使用料が請求されるようになったら、そもそもコンテンツをタダで手に入れたいという程度の理由でWinny/Shareを使ってる人間は排除できるのでは? もしそれでも減らないようなら……たぶんそれは、ビジネスチャンスだ。 *1
(@129)
#2 5年後のアニメはネット配信が中心になる
経営者倶楽部 2011年、テレビが消える という記事を Matzにっき でハッケソ。
放送に流れてる広告費がネットに流れ込んで来て、2〜3年で今のTVの広告売上は半減するだろうとおととしくらいから考えていた。さすがに半減とは言わないまでも、じりじりとネット広告は伸びているようである。
しかし考えてみれば地上波デジタルに完全移行となる2011年、本当に全家庭が地デジに移行するとは思えない。だったら見なくていいや、という世帯が少なからず出てくるはずである。代替手段はネットでもCSでもいくらでもあるのだから。
となると、TV局の広告売上半減というのも現実味をおびて来る。2011年は日本におけるネット広告の爆発的普及が見込まれるだろう。
そこでオタクのはしくれとして真っ先に心配になるのは、アニメの供給である。
今はアナログ地上波があるから、録画してiPodで見れる形式に変換したり、デジタルデータに落しこんで見れない地域の友達同士で融通しあったり、ということができる。地デジ時代でもアナログキャプチャなりHDMIキャプチャなりで、苦労はしても同じような事はできるだろうと考えていた。
しかし、TVの広告価値が半減してしまうのでは、そもそもTVでアニメを放送するかどうか疑問になってくる。
現状のYouTubeやニコニコ動画の状況を見てもわかるが、オタクはたいていコンピュータが扱えるし、アニメならばネット配信でも充分成り立っていける土壌はある。向こう4年のうちにネット配信のノウハウを確立してしまえば、現行のUHFアニメなどは視聴者層を広げられるし、そのままDVDや原作本、あるいは類似作品関連商品の通信販売に繋げられるしで、いいことずくめだ。
そうしてネットでのストリーミング配信がアニメの中心を占めるようになると、問題は録画である。
ストリーミングは表向き録画できない事になっているし、どうにか保存しようと思ってもかなりめんどうなのである。ましてやiPod用のビデオ形式に変換まで考えると、元ソースはさすがにTV放送よりは質も落ちるし、少なくとも今より良くなる事なんてありえない。
まあオンデマンドで見られるなら録画の意義もさほど無いのかもしれない。ホットスポットが増えて、モバイル機器でもWLAN経由でさくさくとアニメが見れるようになるのかもしれない。
そして録画できないとなれば、手元に置いとくにはDVDを買うしか無い。アニメの売上もアップである。
うーん、録画できなくなる心配を書こうと思ったのだが、むしろ天国のような未来が見えて来たな。それはそれでいいのかもしれないが。
(@875)
2007年06月11日(月) [過去の今日]
#1 Linux版Flashの日本語入力はkinput2じゃないとダメ?
むう、FirefoxからFlashのフォームに日本語を書こうとして、IMがオンにならないことに気付いた。SCIMをGTK_IM_MODULEにセットして使ってるのだが、これだとダメってことか? Canna使ってるので、UIMとかは使いたくないんだよなあ。
うーむ、いまさらkinput2に戻りたくないんだが……。しょんぼり。
(@759)
@ な、なんだってー:
@ 翌日追記:
ぬ、GTK_IM_MODULE=scim、XMODIFIERS=@im=kinput2 で、GTKウィジェットはSCIM、非GTKウィジェット(Flashのフォームなど)はkinput2で行けることが判明。
しばらくこれでしのいでみるかー。
2007年06月12日(火) [過去の今日]
#1 google流が席巻してるように見えて実はmixiの囲い込みが着々と進んでる件について
最近、Web界隈はgoogleを手本として、API公開や他のサイトとのマッシュアップが全盛である。オープンな方針が世の中を変えて行く、そんな空気がある。
だが、こと日本国内に置いてはどうもそうとは限らないようである。
確かに日本企業もgoogle流のオープンな戦略をどんどん出してるところが多い。だが会員1000万人を抱える日本最大のコミュニティとなった mixi は、どんどんクローズドになっている。
こないだこの日記を携帯電話からも見れるように簡単な設定を施したので、携帯電話だけでmixiをやってるマイミクにも見てもらえるようになると思ってたのだが、非常に甘い判断だった。
ためしにモバイル版mixiからこの日記にアクセスしようとしたら、「mixiの日記を使ってないので表示できません」などというメッセージが。アホかー。最近のblogサービスはどこもモバイル対応してるわ!!
さらにIRCで指摘されて気付いたのだが、外部ブログを使ってる人のRSSを取りに来るタイミングが非常に遅い。1日に1回か2回チェックしに来るだけのよう。
n3.59-106-61-92.mixi.jp - - [06/Jun/2007:14:04:41 +0900] "GET /~koshian/index.rdf HTTP/1.1" 304 - "-" "Mixi RSS Fetcher - Version 0.1" n3.59-106-61-92.mixi.jp - - [07/Jun/2007:04:54:10 +0900] "GET /~koshian/index.rdf HTTP/1.1" 304 - "-" "Mixi RSS Fetcher - Version 0.1" n3.59-106-61-92.mixi.jp - - [07/Jun/2007:19:01:33 +0900] "GET /~koshian/index.rdf HTTP/1.1" 200 9109 "-" "Mixi RSS Fetcher - Version 0.1" n3.59-106-61-92.mixi.jp - - [08/Jun/2007:09:57:18 +0900] "GET /~koshian/index.rdf HTTP/1.1" 200 9006 "-" "Mixi RSS Fetcher - Version 0.1" n3.59-106-61-92.mixi.jp - - [09/Jun/2007:01:02:43 +0900] "GET /~koshian/index.rdf HTTP/1.1" 200 9021 "-" "Mixi RSS Fetcher - Version 0.1" n3.59-106-61-92.mixi.jp - - [09/Jun/2007:16:01:55 +0900] "GET /~koshian/index.rdf HTTP/1.1" 304 - "-" "Mixi RSS Fetcher - Version 0.1" n3.59-106-61-92.mixi.jp - - [10/Jun/2007:07:03:23 +0900] "GET /~koshian/index.rdf HTTP/1.1" 200 8552 "-" "Mixi RSS Fetcher - Version 0.1" n3.59-106-61-92.mixi.jp - - [10/Jun/2007:21:58:58 +0900] "GET /~koshian/index.rdf HTTP/1.1" 200 8257 "-" "Mixi RSS Fetcher - Version 0.1" n3.59-106-61-92.mixi.jp - - [11/Jun/2007:13:01:06 +0900] "GET /~koshian/index.rdf HTTP/1.1" 200 8853 "-" "Mixi RSS Fetcher - Version 0.1" n3.59-106-61-92.mixi.jp - - [12/Jun/2007:03:54:07 +0900] "GET /~koshian/index.rdf HTTP/1.1" 200 8811 "-" "Mixi RSS Fetcher - Version 0.1"
最近のアクセスはこんなものである。
このmixiの「外部ブログ差別」により、mixiはコンテンツをmixi内部だけに納めようとしている。mixiの外には決して出さないよう、注意を払っている。そう、mixiの中だけならmixiがコントロールできるからだ。
mixiの広告価値だけを向上させ、mixiがいつでも削除できる場所にだけコンテンツを集める事で、mixiにだけ都合がいい世界を作り上げようとしているのだ。
まあ何事も御上任せの日本人の国民性から言えば、これがマッチしてるのかもしれない。ウェブにおける対Google戦略と思えば悪くないのかもしれない。
だが、俺はこういうのは嫌いだ。他人の作った箱庭だけでなんて生きていけない。俺は俺の箱庭が欲しい。
ウェブとは、いやインターネットとは、そもそも箱庭同士を繋げる技術ではなかったか。
だからmixi住民よ、mixiを捨てよ。mixiの外にも携帯電話から書けるブログはいっぱいある。いわんやコンピュータを持ってるなら、いますぐ Livedoor blog でも nowa でも はてな でもいいからとっととblogを作ってこい! お前はお前の箱庭を作るのだ。
世界は広い。mixi人口1000万人など、インターネット人口10億人に比べれば、大海と池のようなものだ。さあその池から出て、一緒に自分の世界を作って行こう。ウェブは、両手を広げて待っている。
(@121)
2007年06月13日(水) [過去の今日]
#1 C言語のポインタが難しくて挫折した経験
プログラマーになれる人なれない人 という記事を読んでて、ポインタと再帰が難しいという話が出てきた。
俺が昔、プログラミングができなかった頃、C言語にチャレンジして挫折したのは、やはりポインタだった。
解説書を読み、「ポインタはデータのメモリアドレスが参照できるもの」みたいな説明を読んでああなるほどね、と簡単に理解した。プログラミングができないとはいっても、BASICでゲームを作って遊んでた事はあるし、マシン語でメモリの特定番地から何バイトデータをもってくるみたいな事はやってたから、別にメモリアドレス云々はすぐ理解できた。
が、俺はここで悩み込んでしまった。みんなポインタは難しいって言ってる。理解できないって言ってる。俺はポインタをメモリ番地だと理解したけど、それで合ってるのか? メモリアドレス以外の何かがあるのか? もしかして俺はとんでもない勘違いをしてるのか? どういうことなんだ? わからない、ポインタってなんなんだ!
その後、perlでreferenceという概念に出会い、それと同じようなものかと思ったのだが、C言語を理解してる友人には違うものだと言われた。もうさっぱりわからない。
結局いまだにCを使う機会もなく、ポインタという概念を本当に俺が理解してるのかもよくわからない。OpenSSLのソースを追っかけてて、ポインタの参照先が関数になってたりしてるのを見て、いろんな使い方ができるもんだなあと感心した程度。PerlやJavaScriptでも変数に関数を放りこんだりはできるし、そのメモリ番地にロードされてるものがデータかプログラムかなんてたいした違いでも無いだろうから、別にそのへんは不思議に思ったりはしないけども。
とりあえず俺はいま、スクリプトを書いてお金を頂くようになったけども、プログラマに向いてるのかどうか、プログラマになれているのかどうかはよくわからない。Cを書くことがこれからあるのか、それもわからない。
ただ、これからもキーボードを叩いて生きて行きたいと思っている。
(@083)
#2 F1カナダGP 琢磨とSAF1は正しかった
琢磨6位 ワークス全盛のF1に一石投じた というレーシングドライバー片山右京の書いた記事。
個人的な見解だが、もしペナルティー覚悟で給油もやっていれば、ブルツの前でゴール、表彰台に上れていたかもしれない。あくまでタラレバなのだが、十分にあり得たと思う。
片山右京という俺の心のヒーローに対してケチを付ける気は更々無いのだが、これはさすがに無いと思う。
俺も一瞬そう思ったのだが、すぐ否定した。なぜならペナルティを食らったら、次のピットでタイヤを交換できなかったからだ。
「最後のセーフティーカー出動の時、ピットに戻ることにした。セーフティーカー先導下の数周をオプションタイヤで走ろうと思ったんだ。その後、まだセーフティーカーが出ている間にまたピットインして、プライムタイヤに換えた。おかげで他のドライバーたちがソフト寄りのタイヤで苦戦する中、僕は全力でプッシュできたんだ」
という佐藤琢磨のコメントが掲載されている。
今季のF1では、タイヤメーカーが用意した2種類のタイヤを2つとも、決勝レース中に1度は使わなくては行けないことになっている。妙なルールだが、タイヤメーカーのコストに配慮した結果だろう。
そして今回のカナダGPのジル・ヴィルヌーヴ・サーキットは、公園の周回道路を利用したコースということもあり、ソフトなオプションタイヤではすぐダレてしまって速く走れない。
つまるところ、琢磨とスーパーアグリがあのピットでやるべきだったのは、すばやくタイヤだけ交換してセーフティカーの後ろに付き、まだセーフティカーが出てる間にもう1度ピットに入ってタイヤ交換と給油を済ませる、ということだったわけだ。
つまりやるべきことはやっていた、というわけである。いけなかったのは給油するしないで揉めてピットから出るのが遅くなった事だけだ。しかしそれもセーフティカー中にどのみちもう1ピット入らなくてはいけなかったのだから、大きなロスでは無かったのかもしれない。
しかし実にわかりにくいルールである。セーフティカーが入ったら給油してはいけないと一言で言うと簡単だが、実際にあったようにセーフティカーが出る直前にピットに入ったらそれは給油してはいけないのかとか、具体的なタイミングがさっぱり見えない。こういうルールはレースを惑わせ、観客の混乱を招く、最悪のルールだろう。
思い切って給油を禁止してしまった方がいいのかもしれない。軽い方が有利なのだから、燃費も改善されるのではないか?
#3 F1 佐藤琢磨のすごさは、ブレーキとセッティング
カナダGPでの佐藤琢磨6位入賞は、見ていて大興奮だった。
スーパーアグリとホンダと佐藤琢磨という、日本チームが日本のエンジンで日本人ドライバーがポイントを取るというのはそれだけでも前代未聞で、6位入賞までやってのけたのは快挙と言う他無い。「健闘」などと簡単に言ってのけたフジTVの女子アナは腹を割って詫びるべきである。
日本は高度経済成長後、世界第2位の経済大国として、またそれを背景に世界中で日本人の活躍が見られている。特に自動車に関しては、日本車はひとつのブランドを確立するまでになった。
だが、それでもF1で勝った日本人はまだ誰一人としていないのである。エンジンだけならホンダが何度も優勝した事があるが、それももう過去の話だ。チームでもホンダが昨年39年ぶりに勝ったが、それもただのまぐれ、たまたま速い車が全部潰れただけである。ましてやレーサーとしてF1で勝てた日本人など皆無だ。
それだけF1というスポーツは難しいのだ。チームも、エンジンも、ドライバーも良くなくては勝てない。すべてを揃えた者だけが勝利を手にする。
日本人は「勝つ」ことに慣れすぎてしまったのかもしれない。だから6位程度じゃ、喜べないのだろうか。
実際、これほど難しい世界で、佐藤琢磨という才能あるレーサーをホンダが解雇しなくてはならない状況に追い込まれたとき、彼の現役続行のために急造されたスーパーアグリF1チームが、瞬く間にこれだけの成績を残せるようになったのは奇跡的な事だ。
このカナダGP、我々日本人にとって最大の見せ場となった、昨年の世界チャンピオンであり、現在最速のマクラーレン・メルセデスを駆るフェルナンド・アロンソを、佐藤琢磨がオーバーテイクするシーンがYouTubeにあがっていた。どこの局のものかわからないが、アップロードから3日たっても削除されてないようだし、おそらくYouTubeと提携した局の映像だろう。
このオーバーテイクシーンをよく見て欲しい。シルバーアローと呼ばれる銀色のカラーリングを施されたマクラーレン・メルセデス、そのスリップストリームから佐藤琢磨のSAF1が出た瞬間に注目してもらいたい。
気がついただろうか? スリップストリームから琢磨が出たとき、アロンソの横に「並べてない」のである。普通、スリップストリームに付いた後続マシンのほうが余力を残してるはずで、コーナー手前では真横に並ぶものだろう。それがスリップから出てもまだマシン半分ほど負けていて、まったく並べていない。
Yahoo! F1にあるスピードトラップ を見てみると、アロンソの最高速度は324.2km/h、対して琢磨は317.5km/hである。 今季のF1はエンジン開発が凍結され、19000rpmでリミットがかけられているため、各メーカーともさほどエンジンに差は無い。つまるところ、それだけSAF1のマシンが不安定で、最高速度を犠牲にしてでもウィングを立てないと走れないということなのだ。
この速度さにも関わらず琢磨がアロンソを抜けたのは、アロンソのタイヤがぼろぼろだったこともあろうが、何よりそのブレーキングの上手さだ。2004年のアメリカGPで佐藤琢磨が見せてくれたオーバーテイクショーでも、やはりブレーキングの上手さが際立っていた。並べてない相手もガツンとブレーキを踏んだ瞬間、後方にぶっ飛んでいく様は、見ていて非常に気持ちがいい。その時の映像もあった。
こちらなどちょうど1馬身まるまる後ろにいるのに、ブレーキを踏んだ途端に前に出ている。すばらしいの一言である。
また、BARホンダ時代もSAF1時代も、佐藤琢磨がいるチームはマシンがどんどんよくなる傾向にある。おそらく琢磨はデーモン・ヒルなどと同じく、テストドライバーとしても優秀なのだろう。開発能力も高いに違いない。琢磨が2003年にテストドライバーをしていたBARホンダは、2004年にトップ3入りするほどの活躍を見せた。逆にレギュラードライバーになったあと、前任の世界チャンプでもあるジャック・ヴィルヌーヴに付いてたメカニックチームを丸々引き継いだのだが、これが恐らくよくなかったのだろう。
ジャック・ヴィルヌーヴはBARではまったく自分の思いどおりの走りができてなかった。頭のいいレーサーだし、その後ザウバーに移籍した際は短期間とはいえきちんとマシンを前進させていた事から見ても、開発能力のあるレーサーのはずである。BARのジャックチームはそれを活かせてなかったとしか思えない。
そのチームを引き継いでしまった琢磨は、期待通りの成果を挙げることができなかった。2005年のBARから100%ホンダチームとなった時も、やはり沈み込んでいった。それが結局琢磨のキャリアに影を落すことになるのだが、考えようによればそのようなチームに長くいないほうがよかったのかもしれない。
現実に今、SAF1で琢磨は伸び伸びとレースをし、マシンを開発し、今では元いたホンダチームより常に前のポジションにいる。これも琢磨の開発能力の賜物だろう。
また、タイミングモニタを見ていると、カナダGPで琢磨は細かいミスを何度もしているのがわかる。そりゃあれだけ滑る路面だし、不安定なSAF1なのだから当然なのだが、すごいのはミスしても抜かれず、致命的なダメージを負ったりもしてない事だ。
これはミスが致命的にならないギリギリコントロール可能なところに、セッティングの妥協点を見つけてる証拠だと、俺は思う。最高速度などウィングを寝かせればすぐ出るし、実際トヨタ勢やルノー勢は最高速度だけならトップクラスなのである。だがラップタイムはさほど上がらない。要するにトヨタやルノーはセッティングに失敗してるのだ。
しかしSAF1と佐藤琢磨はきちんと高度な妥協点を見つけてる。これがセッティングが上手いと言わずしてなんと言おう。
佐藤琢磨のすごさは、ブレーキとセッティング、そして開発能力にあるのだと、俺は思うのである。
(@741)
2007年06月14日(木) [過去の今日]
#1 GMailの読み方
GMail が便利そうだというのは分かってたのだが、ショートカットが分からなくて今まで使ってなかった。ヘルプ通り押しても動かなくて、なんだこりゃーと思ってたのだ。
たまたま先日、設定でショートカットを有効にしないとショートカットが使えないことに気付いてオンにしてみたら、ちゃんとヘルプ通りのショートカットが使えたので、今さらではあるがさっそくメールの読み方を研究してみた。
まずgmailにログインしたら、受信箱が見える。ここにメールがずらりと並ぶのだが、これを1つのメールだと考えてはいけない。これはメールではなくスレッドなのだ。
ショートカット、jとkでスレッドを選択する。読みたいスレッドにカーソルを合わせ、oを押すとスレッドが展開される。スレッドの展開はストレートで、階層型にはなってないようだ。最新のメールが表示され、過去のメールは差出人と時刻だけが表示されている。
ここでショートカット、nとpを使い、メールを選択できる。選択したメールでoを押すと、メール内容が展開される。jとkを使うと、直接前後のスレッドが展開される。受信箱に戻るときはuを押す。
ここまではいいとして、問題はsubjectだけ見て既読にする操作だ。これができないと大量のメールは処理できない。
が、ここさすがgoogle、この問題を新しい方法で解決している。それはスレッドのミュートだ。
受信箱でjkを使い、読まないと決めたスレッドにあわせ、xを押す。そしてmを押すと、そのスレッドはミュートされ、その後そのスレッドに繋がるメールは送られて来ても見えなくなる。もちろん「すべてのメール」を選択すると、ミュートされたメールも読めるし、受信トレイに戻してやればまた見られるようになる。すばらしい。
その他のショートカットは ヘルプの「ショートカットとは何ですか。」 を参照されたし。
さすがにGoogleが作っただけあって、よく考えられている。ゼロベースからメールの読み方を考え直したのだろう。検索はそもそもお手のものだし、検索能力が充分ならフォルダ分けも要らないということか。確かに最近は真面目にフォルダ分けするのもめんどくさくなって来た。
しかし、まだGMailに乗り換える、という気にはならない。他人のサーバにメールを預けるのは、何年も前から自前のメールサーバを使って来た自分には、抵抗があるからだ。もしいまだにISPのメールサーバからPOPで読みこむだけのメール環境なら、すぐにも乗り換えていただろう。
そこをどうやって自分の中で折り合いを付けて行くか、考えていこうと思う。
(@000)
2007年06月15日(金) [過去の今日]
#1 ポインタとリファレンス
先日 Cのポインタがわからん というのを、まあ半分愚痴なのだが何気に書いてみたところ、意外にも反応がもらえた。 参照(reference)とポインタの間の大きい(かも知れない)溝 という記事で、
参照 → increment/decrementのような操作ができない ポインタ → increment/decrementのような操作ができる
との由。
あれ、そうだっけ、と思ってやってみると、
$ perl -le 'sub hoge{(local(*i)) = @_; $i++;} my $i = 10; hoge(\$i);print $i;' 11
……できてるな。
ちょっと検索してみたら、 Q.Cにはreference(参照)が無いと聞きましたが本当でしょうか? referenceが無ければリンクリストすら表現できないと思うのですが? という質問と回答を見つけた。確かにreferenceとpointerの違いとして、
Cのポインターは+, -, ++, --(加算、減算、インクリメント、デクリメント)などの算術演算が可能
と、述べられてるな。
つまりあれか、俺がPerlのreferenceのつもりで言ってたのが、前の記事の某友人や反応くださった方にはJavaのreferenceとして認識されてたわけか。そりゃー違うわけだ。C++にも参照があるみたいだからそっちかもしれんな。
しかし、Perlの参照(reference)ってこう見るとCのポインタとほとんど変わらないように見えるなあ。配列型も関数型もいけるし、メモリアドレスというわけじゃないってのが違うくらいか。
さっきのワンライナーをCでやると、
#include <stdio.h> int hoge(int *i) { (*i)++; } int main() { int i; i = 10; hoge(&i); printf("%d\n", i); }
こんな感じか。 渡し方と受け取り方が違うだけに見えるなあ。
というわけで紛らわしい言い方してごめんよ >某友人。
紛らわしい書き方してごめんなさい & 反応ありがとうございました。 >雑記帖リターンズの方
(@040)
2007年06月16日(土) [過去の今日]
#1 「いじめられる側の問題」を主張する人は、いじめの本質が見えてない
「いじめられる側にも問題がある」と思います。 という記事。
著者はいじめられっ子という立場から問題があるという主張をしてらっしゃり、それに異論があるわけではない。だが、それは問題の本質じゃないと思うのだ。
そりゃあ考えても見れば、話が通じない奴とは関わりたくないからシカトするだろうし、運動のできない奴とスポーツを一緒にやっても思いどおりのプレーができないだろう。気に入らない奴と同じ狭い教室で一日の大半を過ごさなきゃいけないのは、ストレスに決まっている。
そこで「みんなに気に入られない奴が悪い」という結論に持って行くか? そりゃ問題はあるだろうさ。でもね、問題があることと解決の糸口になることとは、別なんだよ。
よく考えてみよう。社会には自分の気に入らない奴なんていっぱいいる。一緒に仕事をしててドンくさい、やってられないと思う事もあるだろう。その時、みんなどうやって解決してる?
配置転換をお願いしたり、一緒に仕事しないで済むようにどうにかしたり、少しマシな奴だとどうにか仕事を覚えてもらえるように協力したりするんじゃない?
それはお金を稼ぐ、という目的を持ってそこに集まってるからだよね。みんなそこだけは一致してるし、どうにもならなければ別な場所でやればいいのもわかってる。
でも、学校はそうじゃない。義務だから行ってるだけという人が大半じゃないか? それもクラスはおろか、学校だって学区で決められていて、自分で望んでそこにいる、なんて奴はほとんどいるはずがない。
要するに、子供たちは逃げ場が無いんだ。どうにもできないのがわかってるから、しかたなくいじめに走る。
そりゃあ40人も子供を集めれば、1人や2人、ちょっとおかしい奴くらいいるさ。それは自然な事だ。人間をはじめ動物はみな多様性を持って生まれて来る。その多様性が急激な環境変化の中でも種が生き残る力になる。だからおかしい奴がいるのは当り前なんだ。
でも子供たちはそんなの理解できない。大人だって理解できない人が多いのに、子供に理解できるわけがない。おかしい奴が近くにいるのは、子供たちにとって脅威だったり、ストレスだったりするもんなんだ。
おかしい奴がいるけど逃げられない、目的をひとつにもできない。だからいじめが起きるんだ。
だからいじめ問題の本質は、教育制度そのものにある。今の義務教育のシステムは、いじめが生まれるようにできている。その事をまずは認識してもらいたいと、俺は思う。
ただもうひとつ、別のケースもある。それは「他人をいじめないと生きて行けない子」がいるという問題だ。ある種の病ではないかと思う。それが育った環境に原因があるのか、それともこれも多様性の一環なのかは、俺にはわからない。
(@007)
#2 はてブをdel.icio.usに移動してみた
なんかdel.icio.usのタグ整理機能が便利で便利でしょうがなくて、突発的にdel.icio.usに乗り換えることにした。
例によってCPANに WebService::SyncSBS::D2H というのがあったので、これをそのまま使おうとしたのだが、はてなはAtomAPIじゃ最近の30件しか取得できない模様。
よく見たら設定のエクスポートに同じ形式で全件取得できるURLがあったので、そっちから取得するようにWebService::SyncSBS::D2HとWebService::SyncSBS::D2H::Hatenaに手を入れた。
diff -ur WebService-SyncSBS-D2H-0.03.orig/lib/WebService/SyncSBS/D2H.pm WebService-SyncSBS-D2H-0.03/lib/WebService/SyncSBS/D2H.pm --- WebService-SyncSBS-D2H-0.03.orig/lib/WebService/SyncSBS/D2H.pm 2005-12-01 18:43:15.000000000 +0900 +++ WebService-SyncSBS-D2H-0.03/lib/WebService/SyncSBS/D2H.pm 2007-06-16 07:41:53.000000000 +0900 @@ -26,6 +26,7 @@ hatena => WebService::SyncSBS::Hatena->new({ user => $args->{hatena_user}, pass => $args->{hatena_pass}, + dump_all => $args->{hatena_dump_all}, }), }, $class; diff -ur WebService-SyncSBS-D2H-0.03.orig/lib/WebService/SyncSBS/Hatena.pm WebService-SyncSBS-D2H-0.03/lib/WebService/SyncSBS/Hatena.pm --- WebService-SyncSBS-D2H-0.03.orig/lib/WebService/SyncSBS/Hatena.pm 2005-12-01 18:43:01.000000000 +0900 +++ WebService-SyncSBS-D2H-0.03/lib/WebService/SyncSBS/Hatena.pm 2007-06-16 07:41:53.000000000 +0900 @@ -12,7 +12,11 @@ use XML::Atom::Link; use XML::Atom::Client; -my $ep_root = 'http://b.hatena.ne.jp/atom'; +my $yes = 'yes'; + +my $hb_root = 'http://b.hatena.ne.jp'; +my $hb_dump = $hb_root . '/dump'; +my $ep_root = $hb_root . '/atom'; my $ep_post = $ep_root . '/post'; my $ep_edit = $ep_root . '/edit'; my $ep_feed = $ep_root . '/feed'; @@ -24,6 +28,7 @@ my $self = bless { user => $args->{user}, pass => $args->{pass}, + dump_all => $args->{dump_all} }, $class; $self->{api} = XML::Atom::Client->new; @@ -35,10 +40,10 @@ sub get_recent { my $self = shift; - + my $feed_url = $self->{dump_all} eq $yes ? $hb_dump : $ep_feed; my $ret = {}; - my $feed = $self->{api}->getFeed($ep_feed); + my $feed = $self->{api}->getFeed($feed_url); return $ret unless $feed; foreach ($feed->entries) { my $href;
これでぶんまわしてみると、なぜかはてなよりdel.icio.usのほうがアイテムが多い……まいっか。一応全部いけてるっぽいし
このライブラリのすごいところは、一方通行じゃなくてはてなとdel.icio.usの両方を見てお互い無いものを足してくれるところ。要するにdel.icio.usに移行してもしなくても、どっちかにclipしておけばどっちにも反映されるわけだ。さっそくcronでまわしておくことにした。
ブックマーク追加インターフェイスがはてなでもdel.icio.usでも選べてついでにお互いがお互いのバックアップにもなるなんて最高だね。
(@060)
2007年06月17日(日) [過去の今日]
#1 アフィリエイトはみんなが幸せになるから積極的にやるべきだ
「自由気ままな名無し」というblogの記事 に、「世界を見る目が変わる50の事実」という2chのコピペらしきものが転載されていた。
知ってる人はとっくに気付いただろうが、これはジェシカ・ウィリアムズ著 世界を見る目が変わる50の事実 である。
俺は堅苦しいことを言うつもりはないのだが、こういう他人の著作物からの転載をせっせとするというのはどうなんだろうか。せめてAmazonへのリンクくらい張っておいてくれてもいいだろう。タイトルそのまんまなんだし、すぐ見つかるはずだ。
そこから誰かが本を買えば著者の利益になるし、アフィリエイトIDを付けておけば自分の利益にもなる。そうすれば誰も損しないのに、どうしてやらないのだろうか。
そういえば、2chの スレ紹介blogの閉鎖が相次いだ のは1年ほど前だったか。あれもアフィリエイトを付けていたのが反感を買ったようだが、そこから2chへの流入もあったはずだし、結局のところは2ch運営も黙認状態になっている。
どうもいまだに儲かるとか儲けるとかいう事に対して罪悪感を持つ人が多いような気がしてならない。それも他人の儲けとなると親のかたきのように嫌う人もいるようだ。
別に儲からなくてもいいのである。それが目的でアフィリエイトリンクを付けるわけじゃなく、みんなが利益を分け合えるように付けるだけなのである。
よく紹介されてる商品を買うときに、アフィリエイトリンクを避けて買いに行く人もいるが、あれは意味が無い。紹介者に払われるはずだった分がAmazonならAmazonの儲けになるだけである。別に買う値段が変わるわけでもないし、著作者に行く金が減るわけでもない。ましてや自分の懷に何が入って来るわけでもない。
blogというメディアは、一つ一つを見れば非常に小さなメディアだ。しかしそれが何百万もの数になると、俄然巨大なメディアになる。月間5000PVのサイトも100万集まれば5 0億PVになる。広告主にとっては充分魅力的だろう。ましてや日本のblogだけでも数百万あると言われてるのだから。
そのほとんどが趣味でやってるだけだろうが、そこに広告を付けるだけで「誰かの利益」になる。コンテンツマッチ広告だと誰の利益になるかわからないが、わからないからこそ気兼ねする心配もない。その利益が自分の利益になることもあるが、それは期待しなくていい。どうせ何年かたったころにお小遣い程度入って来るだけだ。しかし、そんなものでも嬉しいではないか?
自分のblogに広告を出すのに、別にお金はかからない。広告を出すコストはGoogleなりなんなりの広告代理店が、広告主から支払われたお金の中から捻り出してくれている。広告効果を上げる仕事は、それこそGoogleなどのコンテンツマッチ技術がやってくれる。それでGoogleは巨大な利益をあげている。
我々はその巨大な利益の中から、たまにお小遣いをもらえばいい。副収入だとかサイドビジネスだとか、そんなことまで考える必要は無い。ただ、たいしてアクセスの無いようなサイトでも、広告を出すことで誰かの役に立つ。広告主は何十万ものサイトに広告が出せるし、広告代理店はそれで儲かるし、サイトオーナーはたまーにお小遣いがもらえる。コンテンツマッチ技術があれば、サイトにアクセスした人に自分の書いた情報以外の選択肢も自動で提示できる。ほら、みんな幸せになれるでしょ?
もちろんそれをビジネスとしてやってる人たちもいるし、 今後ネットの広告価値が上がる ことで、少なくとも向こう十何年かは拡大して行く業態だろう。それはやりたい人がやればいい。
趣味のブログは、趣味のついでに誰かの役に立ち、役にたった分だけお小遣いをもらう。それだけでいいのだ。それだけでみんなが幸せになれる。
だから堂々と広告をつけて、誰かの役に立って欲しい。
(@150)
2007年06月18日(月) [過去の今日]
#1 ふところ具合いが悪いです
はてブでもらったコメント に、
懷 → 懐じゃなくて懷なのが、ちょっと気になった
というのがあって、はて、と。
よーくみるとどうやら旧字のほうを使ってたらしい。-misc-fixed-の14じゃわかんねーよ!
んで 美紗緒辞書 のmmain.ctdに該当バグはっけそ。
ふところ #T35 懷 懐
うっへり、こんなとろこで順番逆だったか。
しっかし、パッと見違いわからんなあ。とりあえず修正ー
(@086)
#2 bashを捨ててzshを使うべきたった3つの理由
去年だったか一昨年あたりだったかからbashをやめてzshを使っているのだが、実はその理由というのはたいしたものではない。
世の中にはzshを使うとこんなに幸せになれますよ的な記事がいっぱいあるのだが、そこまでカスタマイズにハマり込むほど暇でもないし、bash程度でコマンドラインは充分すぎるほど便利なのだ。それ以上の事をするならそれこそスクリプトでも書いて~/binに入れておけばいい。
で、それなのになんでzshを使ってるかというと、それでもbashには無い魅力がそこにあるからだ。
@ 1. ヒストリが共有できる:
もうこれが最大の理由。
コマンドライン、CLIの魅力のひとつに、実行したコマンドを保存しておけるというのがある。使い方のうろ覚えなコマンドなど、Ctrl+rを押してヒストリをインクリメンタル検索し、過去に実行したときのオプションとかを引っ張り出して来るのが超簡単。
だから俺はHISTSIZEを1万以上にしてるし、重複は保存しないようにhist_ignore_all_dupsオプションも入れてある。これなら数ヶ月分のコマンド履歴が保存される。
そんな使い方をするのだから、 GNU screen を使って何個ものシェルを立ち上げてると、ヒストリが分裂してしまうのは困るのである。zshのshare_historyオプションは欠かせない。
@ 2. bashより速い:
これもけっこう重要。bashもbash_complitionをロードすればzsh並みの強力なオプション補完機能が得られるのだが、zshのそれよりどうしても遅い。screenで画面を作ったりすると数秒待たされる。マシンにもよるだろうが、zshなら1秒もかからない。
@ 3. 補完で大文字小文字を区別しない:
大文字小文字の区別はしてくれた方が便利なのだが、ことコマンドラインの補完に関してはしてくれないほうが便利。大文字か小文字かなんて覚えてないし、いちいちShift押すのもかったるい。それくらい機械がさっくり補完してくれと思う。Emacsの補完もそうできないかなあ。 *1
@ まとめ:
というわけで、こんな理由で使ってるものだから、bashもヒストリ共有ができて速くなって補完に大文字小文字区別しなくなればbashに戻っちゃうと思う。別にzshならではというわけでもないし、bashを開発すれば実現可能な気がする。さすがにそんな手間かける気無いけども。
最後に、上のような理由でzshを使ってる俺の~/.zshrcをはっつけておこう。使いはじめのときにあちこちからコピペしたり友人からもらったりしたので、どこかで見たものばかりだと思うけどね。
bindkey -e PATH=$HOME/bin:/usr/games:/sbin:/usr/sbin:/usr/local/sbin:$PATH PS1=$'%n@%m:%~\n$ ' RPS1=$'%D' ## 補完時に大小文字を区別しない zstyle ':completion:*' matcher-list 'm:{a-z}={A-Z}' zstyle ':completion:*' menu select=1 autoload -U compinit && compinit ## options setopt BASH_AUTO_LIST setopt LIST_AMBIGUOUS setopt AUTO_PUSHD ## history HISTFILE="$HOME/.zsh_history" HISTSIZE=16384 SAVEHIST=16384 setopt hist_ignore_all_dups setopt hist_reduce_blanks setopt share_history
しかし、16384なんてヒストリサイズにしたのはなんでだろうか? 記憶が無い。
~/.zsh_historyを確認してみたら、去年の秋頃の作業と思しきものが頭のほうにあったので、およそ8〜9ヵ月分のヒストリが保存されてる模様。もっと増やしてもいいな。
(@113)
2007年06月24日(日) [過去の今日]
#1 ふりかかった不幸をなるたけポジティブに捉えてみるテスト
なんかここ数日いろいろあってさすがにしょんぼり気味なので、自分を奮い立たせる為にもポジティブシンキングしてみるテスト。
- 先月、ゲーム&テスト用サブマシンのグラフィックカードが壊れた
- 別ハードで必要なテストは今無いし、ゲームに誘惑されずに仕事ができてよかった。息抜きはゲームの代わりにニコニコ動画になったけど、おかげで何個かお気に入り動画も見つけられて良かった。
- 先週、家の洗濯機が壊れた
- 憧れのドラム式洗濯機が目の前に! すばらしい!!
- 金曜日にアキバで買い出しの予定が電車の架線切断事故で行けなかった
- おかげで突然休日がふってわいた。
- 土曜日に車のドアを開けたら、ドアと車庫の柱で人差し指を挟んですごく痛かった
- 即座に湿布したおかげで大事に至らなかったし、急ぎの仕事も無い時でよかった
- 同じく土曜日、 5年前に買ったCRT が映らなくなった。
- まあ色も暗くなって来て辛かったし、液晶にできて机広くなるし、CRT用のクリーナーも手に入らなくなって来てたし、急ぎの仕事も(略)ってことで。今までありがとう、RDF221S。酷使しちゃったけど、ゆっくり休んでね。
- 日曜日、今度は針金を指に刺す
- これも痛かったけど、近くにコンビニがあってすぐ絆創膏を用意できてラッキーだった
- 同じく日曜日、お茶の用意中に子供用の椅子に足をひっかけて盛大にすっころび、座ってた人におもいっきり頭突きしてしまった
- めちゃくちゃ痛かったけど、幸いお互いにうちどころがよくて怪我もしなかったし、お茶を運んでるときじゃなくてお砂糖を運んでる時だったのでラッキーだった
うむうむ、俺はラッキー。とってもラッキー。
(@623)
2007年06月26日(火) [過去の今日]
#1 20インチ液晶モニタ、RDT201Lが届いた
先日5年弱使った22インチCRTがとうとう壊れてしまったので、液晶モニタを購入。条件としては、
- 1600x1200でCRTを使ってたので解像度は同じがいい
- とりあえずすぐ送ってくれるところ
- 急ぎなのでとりあえず安いものを
ってあたりで探してみると、 RDT201L がショップによっては5万切った値段で出してくれてる模様。Dellはもっと安いのだが、通常10日〜2週間なんて書いてあったので、一度は注文したのだが即座にキャンセル。
某店舗だと5万切った価格で送料代引手数料無料、土曜日注文で火曜日到着とのことなのでさっそく注文。午前中到着を指定したのだが、なかなか来ない。ショップのほうに電話してみたら、配送業者に確認してくれて、「あと15分で届けます」との事。そば屋の出前かいな。この配送業者、安くて通販でよく使われてるけど、やっぱ微妙すぎるな。今回は急ぎでしょうがなかったけど、今後は配送業者をちゃんとチェックして買おう。
とりあえず開封して設置してみたが、20インチ液晶って意外と小さいのね。前の22インチCRTのほうが迫力あったわ。
こうして比べてみるとあまり違いが無いようにも見えるかな。なんか若干横長にも見えるのは気のせいだろうか?
急いで注文したとは言え、たまに巡回してる2chの 目が疲れにくい・目に優しい液晶モニタ というスレッドで紹介されてるモニタのひとつだった。それを見てみると、
・三菱 RDT201L(疲れにくさB 静止画D- 動画C+ 視野角E)
しっとりとした画質でギラツキやザラツキは感じられず、疲れにくさはまずまず。
ただ、視野角による色変化が気になり、正面から見ても上下の明るさが異なる。
6msの高速応答がウリだが、OD無しのため動画はそれほど強くない感じ。
構造的に高さの調節ができないのも注意。テキスト・オフィス系専用の人には結構お勧め。
【20.1inch 1600x1200 800:1 300cd 6ms パネル不明(TN)】
とのことで、思ったより悪いものではなさそう。今までのモニタが暗かったので若干まぶしくも感じるが、暗い色合いのサイトも楽々読めるようになった。
しかしここでトラップ。DVI接続するとアナログ接続のサブモニタ(1024x768の古い液晶)のほうがプライマリモニタとして認識される模様。それだけなら左右を入れ換えればすむのだが、つられて解像度の上限が1024x768になってしまった。しょんぼり。しょうがないのでアナログ接続で使用。まあこれくらいはしょうがないか。
お、Amazonのほうではまだレビューがないのか。あとで書いてみようかな。
(@392)
2007年06月27日(水) [過去の今日]
#1 絶望した白田秀彰氏が本当に我々に伝えたかったこと
平成十九年六月十五日白田秀彰演説記録 を巡り、 白田秀彰先生のサイト で緊急声明が出されるという事態にまで発展した。
とはいっても、概ねネットに流れた演説の通りであるとのことで、取り立てて騒ぐことでもないのかもしれない。だが、緊急声明にはひとつ見逃せない言葉がある。
そうした皆さんの力強い応援をいただいているのですが、残念ながら私は少し皆さんに絶望しているのです。シンポジウムの中でも「もう絶望してます」と表明したのですが、そのあたりは報道されていないようです。
このへんは ITmediaの記事 の 2ページ目 に書いてある、
「(前略)改正の提案ががやれるなら、ぜひやってほしい」――久保氏は白田氏にこう水を向けるが、白田氏は「わたしは10年近く、パブリックコメントを出したりしてそれこそ、外山恒一のように1人で地道にやってきた。だが誰も反応してこない。もう絶望している」という。
という部分だろう。
だが待って欲しい。白田秀彰という男は、軽々しく絶望などという言葉を吐く男だろうか?
ほんとうの知的財産戦略について という記事で、白田秀彰先生はこう書いている。
私は、これを「理想は信じる力によって支えられている。理想が打ち砕かれる時がくるなら、私達はその時にむかって理想を抱きつづけるしかない。私達は、好むと好まざるとにかかわらず、絶望しつつ、くり返しくり返しその時を越えて進まねばならない。」と読み替えます。私達が我らのほんとうの知的財産を守れますよう。
これが書かれているのは、この非常に長い記事の末尾だ。そしてこの記事と、件の緊急声明で、白田秀彰先生が繰り返し言っている事はこうだ。
私は、政治的に勝利することを目指しているのではありません。より多くの人が十分な知識と教養を備え、実質ある議会制民主主義を支えうる市民へと成長していただきたいと思っているのです。
ここから読み取れる白田先生のメッセージはこうだ。
お前ら何したらいいかわかんねえとか言ってないで、俺の書いたもの読んで勉強しろよ! 自分の行動くらい自分で考えられるようになれよ!! そうじゃないと本当に大事なものなんて守れないんだぞ! 自由主義経済も民主主義も、崩壊しちゃうんだぞ!
だから敢えて「絶望した」などと言って、諦めたフリをしているのだろう。「俺に頼るな! 自分の足で歩け!」、そう俺たちに檄を飛ばしてくださってるのだ。
だからきっと、こんな解説記事めいた事を書いたら、白田先生には怒られるかもしれない。この答えには、一人一人に辿り着いて欲しいと願っているのだろうから。
でもね、俺は知っているんだ。白田秀彰先生が思う程、大衆が利口ではないことを。
まだ人の多い都会はいい。ちゃんと本屋がある。図書館も整備されている。手を伸ばせば、知の泉にいつでも触れられる。
だがちょっと田舎に行けば、本屋などあっても雑誌中心であったり、レンタルビデオ屋のオマケ程度だったりして、ロクなものがない。岩波文庫や講談社学術文庫は書店の買い取りになるとかで、そもそも仕入れられないらしい。図書館も小さくて、漫画とライトノベルに押されてたりする。今は通販があるから本を買うのに困らないけど、そもそも啓蒙が必要な層はインターネットが何なのかもよくわかってないし、ほとんど使ってない。
そういう人達は、政治にも興味が無い。あるのは目前の利益だけ。もちろんすべてとは言わないが、仕事を発注してくれるありがたい人だからその人の支持してる政党に票を入れるなんてことが、平気でまかり通ってる。俺はもう既に、日本で議会制民主主義が機能してない事を知ってしまっている。
そういう意味で、本当に絶望してるのは俺自身かもしれない。
だが、まだ俺は絶望しきっているわけじゃない。幸い今の時代はネットがある。blogがある。掲示板がある。メッセージを伝える手段はわんさかある。そしてメッセージを発信してる人も、山のようにいるのだ。
俺は彼等のメッセージを、自分自身のメッセージを、いろんな形で人から人へ、伝えて行きたい。敢えて白田秀彰先生のメッセージを解釈してみせたのも、そのうちのひとつだ。あれじゃ理解できない友達が、何人か思い浮かぶからだ。その友達に向けて、俺はこの記事を書いている。
そりゃもちろん、俺も民衆一人一人が教養を持ち、議会制民主主義を支えられるようになればいいと思ってる。でもまだそれは無理だ。少なくともこの日本では無理だ。
その前に、壊さなきゃならないものがたくさんある。作らなきゃならないものが山程ある。そしてその過程で、きっとそういう理想的な民主主義国家に辿り着く手段が見えて来ると、俺は信じている。
(@390)
2007年06月29日(金) [過去の今日]
#1 ライブドアのhttpsログインがデフォルトじゃないのがうざったいので
2007年06月30日(土) [過去の今日]
#1 アフィリエイトへの嫌悪感と儲けることへの罪悪感
はてな匿名ダイアリー に、この前書いた アフィリエイトはみんなが幸せになるから積極的にやるべきだ という記事への反論があった。いや、反論と呼べるようなものではないのだけども。
前の記事への反応 はおおむね好意的で、「アフィ厨死ね!」くらいの反応が来るかと思ってたので、ちょっと肩透しを食らったような気分だった。予想してた反応がまさか匿名でしかこないなんて、ちょっとショック。
で、なんで匿名なのかなーと考えてみると、結局のところ「儲けてる人への嫌悪感」が中心を占めてるからじゃないだろうか? 「アフィリエイトへの嫌悪感 = 儲けてる人への嫌悪感」と考えると、けっこう納得いくような気もする。 そんな嫌悪感を記名で丸出しにできるような人は、そうそういないだろうしね。
で、実際アフィリエイトって儲かるのかっていうと、全然儲からない。そりゃ月に何十万何百万っていうページビューがあるサイトならともかく、普通のblogや日記の類なんて、ちょっと盛り上がってるところでもせいぜい3〜5万PVだ。その程度のアクセスじゃ、Googleからお小遣いなんてもらえるのは数年先のこと。クリック率の高いコンテンツを持ってる知人もいるが、そこもアクセスはたいしてなくて、Googleからお小遣いをもらうのに2年半かかったとか言ってた。実はこんなこと言ってる俺自身も、GoogleやAmazonからお小遣いをもらったことはまだ無かったりする。
実際のところ、アフィリエイトで儲けられる奴ってのは、それだけのコンテンツを作る実力があるってことなんだよ。
だから 「自分が儲けるためにブログ書いてるのか、と少しでも思われるのが嫌だからだ。」 なんて言う前に、儲けられるだけのコンテンツ作ってみろよ、と俺は思うのね。儲かるならそれは正当な評価だから素直に受け取りゃいいし、儲からなくても前の記事に書いたように、検索でうっかり迷い込んできちゃった人に代替情報を提示できるんだから。
もしこの日記に広告貼ってるのを見て「儲けるためにやってんの?」って思う人がいるなら、俺はこう言いたい。
儲かるわけねーだろ! お前世の中甘く見すぎ!
アフィリエイトで利益あげてるところだって、別に楽して儲けてるわけじゃないしね……。なんか楽して大儲けできるんだろうくらいの、世間をナメた意見にしか聞こえないんだよな。そんな甘く無いっすよ。
毎月数万円程度の収入であれば、ちょっとがんばれば実現可能ではある。でもそのために費す時間を考えたら、コンビニでバイトでもしてたほうが確実に儲かるわ。中国やインドやアフリカなら、物価が違うからまた話は変わるけどね。
まあ、そんなわけで「儲かっちゃったらどうしよう」なんて心配いらないから、安心してアフィってくれ。
それはそれとして、例の匿名記事は実に興味深い。
(前略)だって自分も他人も幸せになるなんてバカみたいな話があるわけがない。(中略)俺は誰かが幸せになるくらいなら俺が不幸せになっても他人をもっと不幸にしたいタイプだから、こういうのを見ると反射的に「死ね!」とか思う。(中略)つか、俺は金儲けることは基本的に悪だ、と両親から教え込まれて育ったんだよな。(後略)
要するにこの人の世界観というのは、
- 幸せの総量は決まってる
- だから人が幸せになると自分の幸せが減る
- お金は汚いもの
ということなんだろうな。だからWin-Winの関係なんてのが想像できないのだろう。確かにこう考えてる人がいるから、世の交渉事がうまく進まないんだろうなあ。「『お互い幸せになりましょう』が交渉の基本」と10年前のTRPG本にすら書いてあるのにな。
現代の経済社会の中にいる以上、お金は幸せの必要条件なのだが、そこに罪悪感を持ってたら、そりゃ確かに幸せになんかなれっこない。貧しくても幸せなんてのは、最低限の稼ぎがあるか、自給自足を成立させてないとありえない。
要するに自給自足がある程度成り立ってた時代、お金を求めすぎて破綻するストーリーなどからのイメージが、儲けることへの罪悪感に結び付いてるのだろう。そういう時代ならそれも間違いじゃない。
今、日本は経済大国になってしまった。そうなった以上、金儲けをしないことには国力が維持できない。そういう時代だから、金儲けが善であるという意識と、旧来の金儲けへの罪悪感とが、この日本でせめぎ合っているのだろう。それが先の匿名記事の、
もちろんその後に「しかし金を儲けないと生きていけないのでほとんどの人は悪党だ」と続くんだけど。
というあたりになるわけだろう。
こういう意識をあぶり出せたのは、収穫だったな。アフィリエイトへの理解も進んでる事が分かったし、あの記事を書いて本当に良かった。
肯定してくれた人も、反論してくれた人も、みんなありがとう!
(@167)