狐の王国


2005年03月11日(金) [過去の今日]

#1 canna-yubinふるーい

debian-jpのcanna-yubinという追加辞書 なんだが、アホみたいに古い。2002年5月ってWoodyが出た頃か?

で、apt-get source canna-yubin してみると、 郵政公社から落せる ken_all.csv と jigyosyo.csv がそのまま転がってるので、最新の物に入れ換えて debuild -rfakeroot -uc -us して dpkg -i しといた。

んー、表に出すにはREADMEの変更とかも必要っぽいが、スクリプトがちゃんとしてるおかげか簡単なアップデートだなあ。中の人ならNMUしちゃうんだけど……。

てかこんなパッケージ、debian.orgのほうには入れてもらえないだろうなあ……。やっぱjpパッケージって必要な気がするんだが。

(@812)

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2005年03月12日() [過去の今日]

#1 こんなにあったUI特許----ジャスト-松下裁判で浮かび上がる課題

ぐへえ、大量にあるんだな。

オープンソース陣営には戦々恐々だよなあ。なんかfjあたりで思い付いたことがすがす書き殴る場所作ったらいいんじゃねえかと思ったりするんだが。素人の妄想とかでも、先行アイディアとして認められるかもしらんし。

(@035)

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#2 合否確認のためのシステム侵入で不合格に

旧聞に属すであろうニュースだが、この「システム侵入」とやらが実に簡単な事だったらしい。

World Wide Walker で見付けたのだが、 /.-jのコメントに詳細があり 、それによると単純にURIを推測して入力するだけというもののようだ。

下にぶら下がってるコメントでも賛否両論だが、ひどい話ではあるなあ。こんなものが不正アクセス扱いになるのは、今後悪い影響しか思い浮かばない。不合格にするかは裁量の問題、というのは理解できるにしても、不正侵入とはいえないわな。

まあ、サーバ管理者さんとシステム開発者さん、もうちょっと真面目にやろうよってことで。

(@137)

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#3 蛍光灯交換

まあ、年末にやりそびれて放置だったのだが、いい加減半分死んでた蛍光灯を交換した。前回はやたらまぶしかったので、今回はナチュラル色を使用。いやはや、こんなんでも部屋の雰囲気がずいぶん変わるのね。事務所ばりにホワイト!って感じの以前に比べ、ずいぶん落ち着いてハウス的な雰囲気になった。目にも優しい気がする。

以前は4本の蛍光灯を全部つけてるとまぶしくてしょうがなかったし、ディスプレイへの映り込みもひどくてどうしようもなかったが、今は4本点灯させててもさほど映り込みも気にならない。なかなか快適になりそうだ。

(@297)

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2005年03月14日(月) [過去の今日]

#1 [バ科事典]日本について外国人はこう思っている!(かもしれない)

おもしれえ。外れてるようで的を得てるのがイカス。

(@031)

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#2 ProFTPd NLSTパッチ

ふーん、FFFTPでファイル一覧が出てこなくなったのはそういうことか。まあ、FFFTP側でLISTで取得するように設定するとか、オプションを変更するとかでもいいのだけども。

そのへんの解説がめんどうな場合はこういうパッチ当てた方がいいのかのう。NLSTのオプションをどうこうしたからってセキュリティホールに繋がるわけじゃないだろうしなあ。ProFTPdの開発者さんたちも器量が狭いんじゃないかという気がしなくもない。発信は厳密に、受信は寛容にって言ったの誰だっけっかなあ。

(@713)

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2005年03月15日(火) [過去の今日]

#1 NLISTコマンド

もちろんその通りなんだが、誰が開発者さんを説得するかという政治的問題ががが

(@305)

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#2 蔵王で遭難の韓国人一行、捜索費用の支払い拒む

コリアン・ザ・サード のコメントでハッケソ。

11万円で命拾いしたなら安いものだと思うのだが、一部マスコミによる実名報道を恨みに持ってるらしい。ま、これはマスコミの勇み足であって、報道しちゃったマスコミは謝罪と賠償しとけ。

むしろ吹き出したのがこれ。

一行はその後も、日韓両国の懸案でもある「竹島問題」を持ち出して、支払い拒否の姿勢を変えていない。

なんでこんなとこで領土問題持ってくるかね。ホテル側が捜索費用を肩代りする動きもあるらしいが、それもなあ。

文化の違い:

俺が子供の頃は「恥ずかしい日本人」という言葉がよく使われてたように思う。海外旅行先のレストランで持ち込んだ梅干しを食べるとか、フォークとナイフがうまく使えないとか、日本語くらい喋れとフロントや店でどなりちらすとか、そういう日本人旅行者を恥ずかしいと言っていた。

ま、今は韓国人が日本でこれと同じことをやってるわけだわね。それをどう捉えるかって問題かもなあ。

とはいえ、さすがにパールハーバーや原爆がどうのこうのと言い出して支払い拒否する日本人は聞いたこと無いな。もしかしたらいたのかもだが。

(@336)

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2005年03月16日(水) [過去の今日]

#1 米国政府が最初にWindowsのパッチを入手することに

セキュリティホールmemo でハッケソ。

つまり米国政府では最大一ヶ月早く、Windowsの脆弱性を知ることができるわけね。一ヶ月もあれば余裕でアタックするソフト作って蔓延させられるだろうなあ。米国政府はこのへんの情報をどう統制していくつもりなのかね。米国政府から脆弱性情報が漏れる -> 世界中でアタックが蔓延 というシナリオしか思い付かないんだが。

こういうところも米国以外の政府機関がLinuxを選択しようとしてる理由なんだろうなあ。1企業に支配されたシステムってのは、やっぱ恐ろしいや。

(@129)

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#2 Firefox "Save Link As..." Status Bar Spoofing Weakness

セキュリティホールmemo でハッケソ。

まあ、Firefoxも広まって来たおかげか、脆弱性情報がごりごり出るようになったわね。さすがにIEみたいに毎月のように緊急レベルの穴が発見されたりはしないが。

で、今回のもたいした穴じゃないのな。通常クリックでダウンロードする分には問題ないし、右クリックで保存したり、URLをコピーしたりすると隠しリンクのURLが使われる、ということらしい。つまりはクリックしてすぐさま攻撃されるような穴ではなく、ダウンロードしたファイルはウィルススキャンしてから使いましょうという当り前の運用さえしてればいいわけだな。

実際にやってみたけどけっこうおもしろいな、全然違うURIが出てきて笑った。

(@140)

組み合わせでは危険かも?:

ダウンロード時にすぐさまファイルが実行されるような脆弱性が発見されたら、それと組み合わさったときはめちゃくちゃ危険度が上がるね。

今のところそういう脆弱性は見付かってないけども、オープンソースの世界ではMS-Windowsみたいに単一の脆弱性で攻略されることは近年あまりなく、複数の脆弱性を組み合わせて攻略する手法が増えている。

そういう脆弱性が見付からないとは限らないし、早めにパッチが出るといいやね。

(@160)

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#3 ウィルコム定額プラン

安いし助かるからぜひ使いたいんだが、 制約がけっこう厳しい ようだ。特に長期利用割引が無いのが悲しいなあ。100ヶ月以上使ってるんだから、ちったあ特典くれよ。

まあ、それ以外は元々安いのであんまり気にならないし、2時間45分以上の連続通話に課金ってのもそこまで長話にはならんからいいやな。京ぽんの新機種も一緒に出てくれたら、速攻で変更かなあ。

(@220)

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2005年03月17日(木) [過去の今日]

#1 [FreeBSD-users-jp 83448] Re: CD-R メ ディアの消去

おもしろい。CD-Rの消去一つとってもいろんな方法があるものだな。レンジはいいかもだが、やっぱ専用破砕機が欲しいなあ。

(@489)

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2005年03月20日() [過去の今日]

#1 Adobe Reader 7 for Linux

いつの間にか出てたのね。 /.-jのコメント を見て日本語設定してPDFを閲覧しまくりだが、Acrobat Reader 5 for Linux よりずいぶん速くなってるように感じる。文字も見やすくなったような。MotifからGTK+に変わったことが大きいのかな。

さて、商用の電子ブックとかも見れるのかな。どっかサンプルねえかなあ。

(@411)

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#2 目が点になる

広辞苑にも載ってる言い回しだが、先日TVを見ていたら意外と最近できたものだそうで。なんでも、シンガーソングライターのさだまさし氏の音楽スタッフ(ギターの人だったかな)が、「嗚呼!! 花の応援団」という漫画の目が点になる絵を見て言い出した表現なのだとか。

確かに漫画的な表現だなとは思ってたのだが、まさかこんな最近できた言葉だとは思わなかった。「嗚呼!! 花の応援団」の連載開始が1975年だそうで、広辞苑第5版の発売が1998年。たかだか20年ちょっとで我らが日本語に新しい熟語が追加されたことになる。言語の変化の速さというものを思い知らされる。「正しい日本語」とやらを標榜し、言葉狩りを行う連中に知らせてやりたい。

そもそも自然言語に一定の規則を見出したものがいわゆる「正しい日本語」なのであるが、規則を絶対ととらえる人間が多くて困る。言葉が先か規則が先かなどと書くと鶏卵問題的ではあるが、言語規則は人間がまさしく言葉を以て体系化した代物なのだから、言葉が先でなければおかしい。そして人間の理性は不完全であるが故に、言語規則から外れた言葉も存在しうるのである。同様のことは自然科学にも言える。眼前にある自然を数学を以て体系化しようという試み *1 が自然科学であるはずだが、それを忘れて「自然は数学でできている」などと言いはじめるともはや一つの宗教になってしまうだろう。数学もまた、所詮は人の作りしものなのである。

ソクラテスが言い遺した「無知の知」という言葉は、人間の不完全な理性を指摘した言葉であろう。古代ギリシャにおいても西洋哲学においても、神という完全なる理性の対比として人間の不完全な理性が語られて来ており、己は神ならぬ人であるという自戒めいた空気を感じることができる。だが、我々現代日本人に神はいない。欧米にも無神の時代が忍び寄りつつあると聞く。それが完全なる理性というものを忘れさせ、人間の理性を過信し、言語規則や科学を絶対的に捉えがちになる理由だろうか。だとしたら、我々はどうやって己の理性の不完全さを知ることができるのだろうか。

(@527)


*1: 哲学の根元的問いと言われる三つの問いのうちの第一「世界とは何か」に対しての数学的アプローチと言い換えていいはず。
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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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