2007年03月20日(火) [過去の今日]
#2 VMware ServerのGUIが起動しないので
検索したら、 こんなのが見つかった。
なるほど、dbusですか。libdbus-1.so.3をLD_PRELOADに突っ込んでやればいいらしい。しかし、vm_append_lib()で追加してもダメみたい。リンク先のサイトに書いてあるように、wrapper-gtk24.shの先頭でexportしてやればOK。
ずっと起動しなくてvmware consoleをchroot先のsargeに入れて使ってたから、気付かなかったな。
(@559)
#1 目立ったミスをした人間だけが処罰される──川口園児事故裁判によせて
先日から、 川口園児事故裁判 が話題である。業務上過失致死傷の罪としては最大の懲役5年が、短すぎるという話題である。なぜ危険運転致死傷が適用されないのかという意見もある。
もちろん被告の過失は重大であるし、それが引き起こした大惨事はとうてい許容できるものではない。懲役5年では足りないというのも、理解できる。
だが、今回の事故の責をすべて被告に押しつけるような言論には、反対である。
そもそも 現場写真 や報道の再現CGなどを見てみると、園児らが道路の左側を歩行していた事がわかる。また、道路の制限速度が60km/hだったとは思えないほど狭い事も見て取れる。
速度制限そのものの是非は置いておくにしても、子供たちを左側通行させていた保育士や、速度制限をかけてなかった自治体にも、大きな責任のある事故だと言える。
繰り返すが、だからといって被告の罪が軽減される必要はまったく無く、懲役5年では足りないと言われてもしょうがない事件だ。だが、子供を預かる保育士の責任も、道路を管理する自治体ないし国の責任も、きちんと問われるべきだと、俺は思うのである。
(@028)
2005年03月20日(日) [過去の今日]
#2 目が点になる
広辞苑にも載ってる言い回しだが、先日TVを見ていたら意外と最近できたものだそうで。なんでも、シンガーソングライターのさだまさし氏の音楽スタッフ(ギターの人だったかな)が、「嗚呼!! 花の応援団」という漫画の目が点になる絵を見て言い出した表現なのだとか。
確かに漫画的な表現だなとは思ってたのだが、まさかこんな最近できた言葉だとは思わなかった。「嗚呼!! 花の応援団」の連載開始が1975年だそうで、広辞苑第5版の発売が1998年。たかだか20年ちょっとで我らが日本語に新しい熟語が追加されたことになる。言語の変化の速さというものを思い知らされる。「正しい日本語」とやらを標榜し、言葉狩りを行う連中に知らせてやりたい。
そもそも自然言語に一定の規則を見出したものがいわゆる「正しい日本語」なのであるが、規則を絶対ととらえる人間が多くて困る。言葉が先か規則が先かなどと書くと鶏卵問題的ではあるが、言語規則は人間がまさしく言葉を以て体系化した代物なのだから、言葉が先でなければおかしい。そして人間の理性は不完全であるが故に、言語規則から外れた言葉も存在しうるのである。同様のことは自然科学にも言える。眼前にある自然を数学を以て体系化しようという試み *1 が自然科学であるはずだが、それを忘れて「自然は数学でできている」などと言いはじめるともはや一つの宗教になってしまうだろう。数学もまた、所詮は人の作りしものなのである。
ソクラテスが言い遺した「無知の知」という言葉は、人間の不完全な理性を指摘した言葉であろう。古代ギリシャにおいても西洋哲学においても、神という完全なる理性の対比として人間の不完全な理性が語られて来ており、己は神ならぬ人であるという自戒めいた空気を感じることができる。だが、我々現代日本人に神はいない。欧米にも無神の時代が忍び寄りつつあると聞く。それが完全なる理性というものを忘れさせ、人間の理性を過信し、言語規則や科学を絶対的に捉えがちになる理由だろうか。だとしたら、我々はどうやって己の理性の不完全さを知ることができるのだろうか。
(@527)
#1 Adobe Reader 7 for Linux
いつの間にか出てたのね。 /.-jのコメント を見て日本語設定してPDFを閲覧しまくりだが、Acrobat Reader 5 for Linux よりずいぶん速くなってるように感じる。文字も見やすくなったような。MotifからGTK+に変わったことが大きいのかな。
さて、商用の電子ブックとかも見れるのかな。どっかサンプルねえかなあ。
(@411)
2004年03月20日(土) [過去の今日]
#2 いかりや長介さん
お亡くなりになったそうだ。 朝日新聞のおくやみ欄 では二十日午後、とのこと。詳しい死因については書かれてない。
しかし、もう72歳だったんだねえ。物心付いた頃から「全員集合」を見て育ってた自分としては、なんとも表現しがたい気分だ。笹沢左保原作の「取調室」以来、役者としてもファンだっただけに、残念でしかたがない。
ともあれ、いままでたくさん笑わせていただいたり、感動させていただいたり、いかりやさんにはとても感謝しています。こんなところで言うのもなんですが、改めてお礼を言わせてください。
本当に、ありがとうございました。
(@655)
#1 RFID
朝、起きたら両親が ウェークアップ! という番組を見ていた。興味もなく通りすぎる所だったのだが、「ユビキタス」という声が聞こえてびっくり。しかもあの坂村健教授がしゃべってる。どうやらRFIDの話らしい。そうこうしてたら、RFID関連では必ずといっていいほどお見かけする 高木浩光氏 が出演され、RFIDの問題点について語っていた。なんか妙に豪華だなー。制作スタッフよくわかってんじゃん、とか思ったり。 ご本人の日記 でも番組について言及されてるな。
番組自体はよくまとまってて、うちの両親でもRFIDのメリットと問題点を把握できたようだ。ありがちな勘違いも(俺の視点では)見受けられなかった。こういう参考になるすばらしい番組は、録画していろんな人に見せたいもんだなあ。そうなると著作権の問題が出て来るのか。やれやれだな。
(@059)
2003年03月20日(木) [過去の今日]
MacOS XとInDesignで小説を書いてるらしい。いわゆる外字の問題は理解できなくもないが、レイアウトまで作家がやるというのはどうなんだろう。改行は作家が指定するのはわかるのだが、フォントや行間まで決めるというスタイルは正直驚いた。
しかし、これは普段TeXやHTMLで文書を書いてる自分にはかなりショックな話だ。TeXもHTMLも文書の論理構造を記述し、レイアウトを考えずに書くシステムだ。それこそが文書作成の助けと信じて来ただけに、真逆を言われたように感じる。
しかし、HTMLやTeXでは日本語文章の繊細な改行を記述するのには向かず、歯がゆい思いをしているのは確かだ。特に小説との相性は最悪と言えるだろう。段落頭に1文字分のスペースを空けるというスタイルを記述したとしても、セリフの鈎括弧にまでスペースを入れられてはかなわない。かといって強制改行をつけると、セリフ後の本文頭に1文字分のスペースが入らない。
レイアウトと文書構造を分離できるのは確かに便利だ。しかし、そのために犠牲が払われるとなるなら、それを素直に受け入れられないのだということを、改めて再認識させられた記事だった。
(@801)
#1 小話
IRCで 銭 がしてくれた小話。
@ イラクとねーちゃん:
ある男がパブに行ったら、なんと同じカウンターにブッシュとパウエルがビールを飲んでました。男は興味しんしんで、何を話してたか質問しました。すると、ブッシュは、イラク戦のプランを話し合っていたんだと答えました。男は、いったいどんな計画なのか、教えてとせがみました。そしたら、ブッシュは、こう説明しました。
「140万のイラク人と、金髪でボインのおねーちゃんを一人殺す予定だ。」
男は驚いて、なんで金髪グラマーねーちゃんを殺すんだと聞き返しました。そうすると、ブッシュは、パウエルのほうを向いて、肩に軽くパンチして、
「ほらいっただろ、誰も140万人のイラク人なんか心配しないって……」
(@789)
@ 捕捉:
これを聞いて不謹慎だの命を軽く見てるだの思う人は、ツボを理解してないと思われます。
(@797)