狐の王国


2007年04月11日(水) [過去の今日]

#2 「RPC: プログラムが登録されていません」のトホホな原因

超久しぶりにDebianでNFSを使おうとして、マウントしてみたら「RPC: プログラムが登録されていません」なんてメッセージが。LC_ALL=Cでやってみると「mount: RPC: Program not registered」。

で、これでぐぐってみると NFS-HOWTO 7. トラブルシュート がひっかかり、「 これはクライアントが、 サーバで実行中の NFS を検知できなかったことを意味しています。」だそうだ。

要するにNFSサーバが動いてないってことか。

しかし/etc/init.d/nfs-kernel-server restartを何度してもさっぱりだし……ってrestartしても何も表示されないぞ? おかしいな。

あ……いつの間にか nfs-kernel-server パッケージが削除されてる……。なんでだ、削除した覚えないぞ。aptitudeが勝手に削除したの見のがしたのかなあ。

というわけで aptitude install nfs-kernel-server で解決しましたとさ。とほほ。

(@940)

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#1 「やりたいこと」や「個性」なんて無くていいんだ

たまたま、俺は周囲に子供がたくさんいる環境で育って来た。今も子供が次々生まれているし、かわいがっていた子供が子供を産んで連れて来たりしている。もう家族みたいなもので、弟分、妹分と呼んでいる。

そういうわけで、子供たちの進路の悩みなどを聞くこともある。思春期の生意気さを相手にすることもある。

最近は減って来たが、「やりたいことを探す」とか「個性が大事なんだ」とか言う子供たちがけっこういた。俺自身がやりたいことをやって来たし、どちらかというと個性的と言われる人間だから、それを真っ向から否定するのは恥ずかしい事のような気もする。

だが、敢えて否定したい。「やりたいこと」や「個性」などどうでもいいものなのだ、と。自分らしくとか、自分らしさとか、本当にどうでもいい。そんなものは探したり求めたりするものじゃないんだ。

そういうものに惑わされて、自分がどうしたらいいかわからなくなった子供たちを何人か見てきた。その様子はとてもかわいそうで、見てられなかった。「個性」や「やりたいこと」がどうでもいいものなんだと悟れたのは、そういう子供たちのおかげでもある。

これからそれを詳しく書く。気が向いたら、読んでみて欲しい。

「個性」や「自分らしさ」の置き場所:

個性なんてのは意識しなくても滲み出てしまうものだ。そして個性を作るのはその人の経験や考え方であって、これは本を読んだり、考えたり、蓄積して来たものの総体でしかない。変わった経験を積めば変わった人になる。それだけのことだ。

実際のところ、個性的と言われて来た俺でも、広い世界に出てしまえばたくさんいる人間のうちの一人でしかない。似たような人間はたくさんいる。風変わりな人など、世界を見渡せばごまんといるのだ。そんなものは価値にならないし、なっていたら俺はもっと裕福な暮らしをしているだろう。

個性がまったく役に立たないわけじゃないだろうが、所詮はつけあわせ。料理で言うならせいぜい香草程度であって、肉や塩といった主要なものにはなれない要素なのだ。肉や塩になれるのは、身につけた技術や経験の類であって、これは訓練するしかない。「自分らしさ」はその上にしか置き場所は無い。

「やりたいこと」は「見つけるもの」じゃない:

「やりたいことをやる人生がいい人生だ」と言う言説が広まったのはいつ頃なのだろうか。

そりゃ確かにやりたいことをやってるだけでお金がもらえるなら、そんなに楽しいことはないだろう。だが現実はそんなに甘くない。

やりたいことをやって生きてる人たちは、別にやりたいこと「だけ」をやってるわけじゃない。やりたくもない事務処理だの税金対策だのもしぶしぶやってたりするし、気分が乗らなかったり、体調が少々悪かったりしても、やらざるを得ない時だってある。お金を頂く以上、お金を出してくれる人の意向を無視するわけにもいかない。結局そのへんは「普通の仕事」と同じなのだ。

それでもどうしても「やりたい」と思うから、彼等は充実してそうに見えるのだろう。それは探して見つけた「やりたいこと」ではなく、内側から湧き出る衝動として「やりたい」と願ってるからだ。

そもそも、やりたいことがあるからといって、それが全部やれるわけじゃない。結局のところ、それが「誰かの役に立つ」からこそ、お金が頂けるのである。「やりたいこと」と「誰かの役に立つこと」が一致してるから、生活できるのだ。一致しなければどうにかして一致させてやっている人もいる。

俺もやりたいことは山程あるが、その中にはクソの役にも立たないものがいっぱいある。そういうものはぐっとこらえて、休暇や息抜きにやったり、将来に取っておいたりしている。

「自分のため」はいいことか?:

もう一つおまけだが、「自分のため」という言葉をよく聞く。でも実はそれもどうでもいいことだったりするのだ。

自分のために働いて、自分のために勉強して、自分のために頑張っていたって、どのみち障害は必ず現れる。その障害を乗り越える力は、「自分のため」にはなかなか出てこない。結局「自分のことだけならいいか」という諦めが出てきてしまうものなのだ。

そういう時、助けになるのは「他人」だ。自分のためだけじゃなく、人のためでもあると思うと、それだけでも力が出てくる。意志が強くなる。その「他人」が、愛する人や家族、特に自分の子供であったりすると、なお強くなれる。

結婚というものの本当の価値は、そこにあるのかもしれない。

最後に:

要するに「やりたいこと」も「個性」も探したり求めたりするものじゃないということだ。それを持ってるのは、たぶん一つの才能なのだろう。

じゃあそのような才能を持ち合わせてない人はどうしたらいいのか。俺はこういう言葉を贈りたい。

「人様のお役に立つことをしなさい。それがあなたを助けてくれる」

まずはこれなのだ。とにかく誰かの役に立たなければ、おまんまは食えない。力も出ない。それがやってて楽しいと思える事なら、なおいいのだけれども。

(@803)

2007-04-17追記:

「やりたいこと」や「個性」が無い人間なんていないんだ という記事も書きました。

また、今はなぜか消えてるけど、 はてブコメント にあった本がおなじような事を言ってるみたいです。あとで読んでみようと思います。

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2006年04月11日(火) [過去の今日]

#3 MacよりWindowsのほうが速い

へえ、同じアプリケーションでもOSが違うだけで11〜18%も速くなるのか。

んー、しかし原因はなんだろうなあ。ライブラリ類が速いのか、それともMacのUniversal binaryの特性の問題なのか。

それで興味持ってUniversal binaryってのがどういう構造になってるのか調べてみたんだけど、よくわからず。ひとつのファイルにIntel用とPPC用のバイナリが埋まってるのか、それとも中間コードみたいなのになってて翻訳しながら実行してるのか。んー、どこに情報あるんかなあ。

(@647)

とある筋の情報によると:

IRCで教わったのだが、Universal binary ってのは各アーキテクチャ向けのバイナリがひとつのファイルに埋まってるんだそうだ。

ということはUniversal binaryが悪いわけじゃなく、OSが持ってる基本的なライブラリ群の問題なのかな。なんかもっと単純なプログラムで試してもらいたいなあ。

(@049)

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#2 2.0 Generator

ひろの日記帳 でハッケソ。

いろいろな2.0を生成してもらってたのしんだが、まだパターンが少ないかな。数項目で飽きちゃう。

ま、Web 2.0 って金の流れ方の違いだと思うんだけどね。その流れ方はGoogleやAmazonだけが実現できたものではないぞ、それが主流になるんだぞ、というのが Web 2.0 推進派なんだろうと理解してる。

(@628)

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#1 夏への扉

かのハインラインのSF小説。 友人らが揃いも揃って 名作 だの じわっと来た だの言うので注文してあったのだが、ようやく読めた。

確かにおもしろい。思わず時間を忘れて一気に読んでしまった。話の筋は中盤で読めてしまうのだが、それでも興ざめすることなく、なおもおもしろいのは名作の名作たる所以か。

しかし、一番心をひかれたのは、主人公の技術者としての立ち方だ。あくまで物作りに徹しようとし、経営は極力人に任せようとする。それが彼の人生を狂わせもし、助けもする。そして開発に注力するその姿に、共感と羨望と憧憬を感じざるを得ない。

翻訳も読みやすく、SFと言っても小難しい理論に彩られた難解な作でもない。むしろ人間の情景に導かれた、美しい人間の──あるいは恋の物語と言ってもいい。まあ、恋の対象が微妙ではあるが。

題名の「夏への扉」は、暗く冷たい冬の逆を言っている。その扉は誰もが探そうとしてる青い鳥のようなもので、実際主人公の見つけた夏への扉は、ずっと昔からそこにあったものだった。だがしかし、それを手に入れるのは未来においてなのである。

そして未来は、いずれにしろ過去にまさる。誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、機械で、かんで、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いてゆくのだ。

終盤、主人公はそう語る。これはなんとも、開く扉がことごとく「冬への扉」である我々21世紀初頭の日本人には、激励とも取れる言葉ではないか。

本作品において重要な位置をしめるピートという猫は、真冬に扉という扉を開こうとする。そのうちのひとつは夏への扉なのだと信じて疑わない。そう、どこかにまだ開いてない夏に通じる扉が、あるはずなのだと。

(@114)

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2005年04月11日(月) [過去の今日]

#4 ドラえもーん


スネ夫:「昨日、パパにテレビ局買ってもらったんだ。スネ夫テレビと名前も変えるつもりだよ」
ジャイアン:「おー、すげえ! ぜひ俺のリサイタルを放送してくれ!」
静香:「私は出演なんてしなくていいから、アイドルのタッキーと会わせて欲しいわ。サインが欲しいの」
スネ夫:「いいともいいとも、任せてくれたまえ。おい、のび太、お前も特別に局に連れてってやってもいいぞ。テレビ局の便所掃除くらいはさせてやる」
ジャイアン:「のび太にはお似合いだぜ!」
一同:「ぎゃははははは」
のび太:「ふん! 何がテレビ局だ。ぜんぜんうらやましくないぞ!」

数分後

のび太:「ドラえも〜〜〜〜〜ん!」
ドラえもん:「なんだなんだ、またスネ夫に自慢されたのか」
のび太:「かくかくしかじかというわけで僕もテレビ局が欲しいよーー!」 ドラえもん:「しょうがないなあ」
ドラえもん、四次元ポケットに手を入れる
効果音:キコキコン

ドラえもん:「ライブドアー!」
のび太:「ドアじゃなくてテレビ局だよー」
ドラえもん:「まあ、まて。このドアを潜ると何でも買えるんだ」
のび太:「なんでも?」
ドラえもん:「そう、テレビ局でも馬でも女でも何でも買える」
のび太:「そりゃいいや! さっそくそれでスネ夫テレビを買い取ろう! そして静香ちゃんも……」
ドラえもん:「のび太君、気をつけて使うんだぞ。このライブドアは何でも買えるが、買ったものの品質が半減するんだ。……ってもういない! まったく人の話を聞かないんだから!」

そしてライブドアを使いまくってテレビ局やら静香ちゃんを買いまくるのび太。
のび太:「ドラえも〜〜ん!」
ドラえもん:「どうした、のび太」
のび太:「スネ夫のテレビ局を買ってのび太テレビを作ったんだけど、いきなり視聴率が半分になっちゃったんだ! 静香ちゃんもあんなにかわいかったのに、普通の子以下にしか……」
ドラえもん:「だから言ったろう、ライブドアを使って買うと品質が半減するんだって」
のび太:「そんなこと聞いてないよーーー」
ドラえもん:「聞かないのび太が悪いんだ!」
のび太:「……待てよ。ドラえもんにお礼をと思って、どらやも買ったんだ、どら焼きの」
ドラえもん:「な、なんだってーー!」

のび太が手に持っていたどらやのどら焼きを奪い取るドラえもん。一口食べて、
ドラえもん:「まずい……」
のび太:「どれ、僕も……ぱく……まずい……」
ドラえもん:「どうしてくれるんだ、あんなにおいしかったどらやのどら焼きがー!」
のび太:「そんなこと言ったって、しょうがないじゃないかー!」
取っ組み合いの喧嘩をする二人。
そこにのび太のママが入って来る。

ママ:「いい加減にしなさい! ご近所迷惑でしょ!」

鬼のような形相。いや、むしろ鬼そのものの表情に固まるのび太とドラえもん。

ドラえもん:「の、のび太君、まさかママも……」
のび太:「ママも買っちゃえば怒られなくなるかと思って……」
ママ:「何をごちゃごちゃい言ってるの! 二人ともそこに座りなさい!!」

ものすごい形相で説教をはじめるママ。その説教は日が暮れても続く。

のび太:「お、おなかすいた……ママ、そろそろご飯を……」
ママ:「何かいいましたか? 人の話を聞きなさい!」
ドラえもん:「そうか、ママの品質が下がってママの仕事をしてくれなくなったのか……」
のび太:「えー、困るよ、ご飯はどうするの、お洗濯物はー?」
ドラえもん:「パパと協力して僕らでやるしかないねえ……」
のび太:「そ、そんなあ」
ドラえもん:「今までママは専業主婦として家事を一手に担って来たからねえ。品質が半減したことで、家事も半分しかしなくなったんだよ」
のび太:「どうにかしてよ、ドラえもん〜」
ドラえもん:「どうにもなりません……」
ママ:「あんたたち、まだあたしの話が聞けないの?!」
のび太・ドラえもん:「わあ、ごめんなさいごめんなさい」

終劇

……:

夜中に何やってんだ、俺は。

(@841)

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#3 山本七平の日本論

ふむふむ。

最近読みはじめたばかりで詳しく言えないのだが、例えば、「無宗教」がひとつの宗教であるという観点がある。「話せばわかる」と言う「話し合い絶対主義」において、その信仰の対象である「話し合い」は、キリスト教を信じる人が「神」と呼ぶものと、非常に近い位置にあるという話もある。そういうことを、息の長い論理でとことん考察しているのだ。

日本人は自分が信じていることを、自分でよく知らない、そこに大きな問題があると、山本氏は言う。

とのこと。同じような事考える人もいるものだなあ。日本で哲学を学ぶ人間として、日本人の宗教観というのは一度は考える機会のあるテーマだが、やはり行きつくところはここなのかな。

日本人が自分の信仰を自分で知らないというのは確かなことで、それは日本人の宗教観が民族宗教に根ざしてることにも起因するだろう。神道というのは宗教であると同時に民族意識でもある。八百万の神というアニミズムにより、我々日本人は民族の倫理観を形成している。火遊びをすると火の神様が怒ってバチをあてられる、山の神様が恵んでくださった水、自然を森羅万象の神々と捉え、畏れや感謝を内なる心に刻み込んで来た。自然のみならず、トイレの神様、道具の神様などを想定し、人工物も大切に扱うように教えられたものである。それが一つの倫理観となり、自然と共存する考え方や物を大事にする考え方に繋がるのである。

しかし、これがあまりに自然にとけこんだ考え方であるために、自分が宗教活動をしてるということに気付いてない日本人も多い。「食べ物を粗末にするとバチがあたるぞ」とか、「死者を冒涜するな」とか、これらは食べ物にも神が宿り、死者は神になるという神道の考え方に起因するものであろう。こうして日本人の倫理観が神道と密接に結び付いてることも、気付いてないのである。あまりに自然すぎるがゆえに。下手をすると初詣を宗教活動だと考えてない人々も、そう少なくないのかもしれない。

そうした人々が神を意識せず、依り所とするのが論理(logos)でる。引用部の「話し合い」というのも、言葉(logos)を依り所とした行為であろう。科学信仰も同様だ。そういう人達は論理や科学は誰にでもわかると考えているが、実際にはそうではない。論理を受け付けない人間というのは実に多いのである。近代まで子供と女性には理性が無いと考えられて来たのは、差別的な偏見というだけではないのである。理性を構築するには、素養と訓練が必要だということなのだ。 *1

今の日本の現状を見れば、神への意識が薄れ、なおかつ理性の構築に失敗した人々がたくさんいることがわかるだろう。倫理観の崩壊の正体はこれなのである。

と、うっかり長々と書いてしまったが、ともかく似たようなことを考えてる人がいたというのは心強いな。ぜひ読んでみたいのだが……アマゾンだと マーケットプレイスにしかない なあ。絶版物かね。図書館にでも探しにいくかなあ。

(@623)


*1: 当時の状況を考えれば、女性に理性を鍛える機会が極端に少なかったのは確かだろう。それが偏見を裏付けてしまっていたと考えると、理性が無いと思い込んでしまうのもむべなるかな。まさに差別が差別を呼ぶ状況だったのではないかと推測される。
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#2 朝日と産経の喧嘩

収束したかな?

http://www.asahi.com/paper/editorial20050406.html
http://www.sankei.co.jp/news/050407/morning/editoria.htm
http://www.asahi.com/paper/editorial20050408.html
http://www.sankei.co.jp/news/050409/morning/editoria.htm
http://www.asahi.com/paper/editorial20050410.html

とりあえず11日分はどちらも喧嘩社説載せてないっぽいな。

(@212)

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#1 地震雲予測

ぎりぎり的中? マグニチュードもあってるな。 気象庁:気象情報 より引用。

地震情報( 各地の震度に関する情報 )
平成17年 4月11日07時34分 気象庁地震火山部 発表
11日07時22分頃地震がありました。
震源地は千葉県北東部 (北緯35.7度、東経140.7度) で震源の
深さは約60km、地震の規模(マグニチュード)は6.1と推定されます。

Wikipediaの地震予知の項目 によると、

地震が発生する前の気象や生物行動の変化を宏観異常現象としてとらえて、地震を予知しようとする試みがあるが、そのメカニズムを論証できるものではない。特に地震雲については、雲の形と地震発生との関係が全く不明、また雲のほとんどが気象状況により発生のメカニズムが証明できるもので、否定的見解が多数派。気象庁地震予知情報課も「占いと同レベル」と斬り捨てている。新潟県中越地震の直後に“地震雲では”と寄せられた情報のほとんどは、飛行機雲、巻き雲、高積雲などだったという。

とのことだが、とりあえず地震雲派にとっては実績を一つ積み上げられたといったところか。というか、メカニズム未解明の予測ばっかじゃん、地震予測。どれも占いレベルって点では同じだねえ。

とりあえず気象庁がなんて言おうが、当たる方を信じるしかないからなあ。しばらくこの地震雲予測サイトはウォッチだな。

(@004)

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2004年04月11日() [過去の今日]

#2 オープンソースはなぜ大衆市場の要求を満たせないか

2chで見掛けて反論でもしようかと思ったんだが、おもしろそうなネタなので日記に。

よくあるオープンソース開発モデルと商業開発の親和性の低さを指摘した文ではあるが、よくまとまってると思う。確かに指摘の通り、オープンソース開発モデルはどちらかというと実学よりも研究系にマッチするだろう。実際、Linuxの登場以前は表に出て来るようなものではなかったはずだ。研究的なものから実学に近づけたのはLinuxであり、バザール型開発モデルであろう。そして従来のオープンソースプロジェクトの成功例というのは、基本的にはユーザーも技術者であった。技術者を対象としたソフトウェアを開発するのに、オープンソース開発モデルは有益である事は証明済みのものであると思われる。

今回の記事で指摘されてるのは、それがもっと一般的な市場、大衆消費者市場に通用するかという事である。この点で最も重要な事は、「未だかつてオープンソースの製品を大衆市場に投入した事例が無い」ということだ。ゲーム等のサウンド部にoggが使われる等、部品として採用される例はあるが、オープンソースのソフトウェアそのものを市場に投入した事例は無いのである。 *1

そういう意味では「やってみないとわからない」という部分は非常に大きい。ただ、技術者向けでは非常に成功してる事例も多いのである。apache然り、MySQL然り、ビジネスとして成立してると聞き及んでいる。サポートセンターを設けた上で販売した事例は、寡聞にしてMySQLくらいしか知らないが。

大衆市場においても、サポートセンターを設けた上で販売すれば成功するかもしれない。大衆の中には開発力のある人間もいるわけで、そうしたユーザーからのフィードバックは従来の技術者向けのオープンソース製品と同様にメリットがあるだろう。ブランチされても、それは開発競争が起きるだけで、きついかもしれないが品質は良くなるはずだ。それこそがオープンソースのメリットであるはずである。問題はユーザーが金を払ってくれるかどうかだ。

オープンソースであるということは二次配布も可能なわけで、ユーザーがウェブやP2Pを介して無料で製品やソースを配布してもいいわけである。無料で合法的に手に入るものに果してお金を払ってもらえるのか。従来の製品を見てみると、寄付ベースで動いてるもの、デュアルライセンスによってオープンソースか商用ライセンスか選べるもの等があるが、どちらも大衆市場向けではなかろう。残るはサポートである。ドキュメントとサポートセンターを売り物にするしかない。これは既存の結論であろう。あとはやってみてどうかである。

ユーザー同士が所持してるソフトウェアをコピーしあうのはすでによくある風景であり、それが違法であるか合法であるかをおそらく本人達は自覚してない。コピーできるものはしてしまうのである。それをコピー防止技術によって阻止するのではなく、コピーを許容して他の収入源から利益をあげる、という話でもあるのだ。技術は技術によって対抗されるのだから、いたちごっこを永遠に続けるより、オープンソースにしてドキュメントとサポートで利益をあげるという選択肢は、決して悪くないと思うのである。

個別反論:

コンピュータゲーム市場は、技術革新の中心になっているが、こうした技術革新は、オープンソースモデルではなく商業的開発会社によって開発されている。

これは開発時間の問題である。オープンソースのソフトウェアは基本的に片手間で書かれており、それを本業として開発している人はほとんどいない。本業として開発すれば同じ事ができるかと言われればできるであろう。問題は給料をどこから出すかだけである。

オープンソースの成功の証のほとんどが、学術的、科学的コンピュータ開発などの研究分野関連で挙げられている。(以下略)

apacheやMySQLなどがある。この項目は間違いであろう。

学者たちには、自分のソースコードを保護しても得るものはないが、商業的開発者たちには得るものがある。(以下略)

ソースを公開して得るものがある、ということを示したのがオープンソースモデルである。反論するならオープンソース・ビジネスモデルへの反論としてきちんとやってもらいたい。

ほとんどのオープンソースプロジェクトは、品質が低いか未完成であり、商用モデルに匹敵するものでは到底ない。

これも開発時間の問題だね。

ほとんどのオープンソースカンファレンスには、ソフトウェア開発をまったく行っていない企業が参加している。

ユーザー様がカンファレンスに来るのはいいことだと思うが。

(@920)


*1: Lindowsのような痛い事例はあるけどね……。あれは無いも同然。
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#1 そろそろ解放の時間かね。

今回のイラクでの日本人三人拘束事件だが、まあいろいろ怪しい点は多いもののそれは敢えて語るまい。ちゃんと情報を集めてる人ならみんなが同じように考えるであろう。

それよか与党の足を引っ張る事しか考えてないと思ってた野党のうち、ちゃんと「テロリストの要求を飲んではいけない」と主張できた党がいたのが、俺にとっては驚愕だった。多少なりとも良識のある野党が残っていたのだなあ。平然と「テロリストの要求を飲め」と主張する野党もいくつかあったが、このような良識も常識も知恵も持ち合わせてない党を支持する国民がまだいるというのが困ったもので。たとえ普段の主張に合致する要求だとしても、テロリストに乗じるような党はテロリスト集団であろう。それを支持するならそいつもテロリストだ。このようなテロリストが国会にいる状況はなんとかせねばならんね。

(@222)

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2003年04月11日(金) [過去の今日]

#2 モトヤフォント

のモトヤシーダが、いつの間にか全文字無料で配布されてたらしい。さっそくいれてみる。fonts.dirの設定はこんな感じ。

mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-medium-r-normal--0-0-0-0-p-0-iso8859-1
ds=y:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-bold-r-normal--0-0-0-0-p-0-iso8859-1
ai=0.3:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-medium-i-normal--0-0-0-0-p-0-iso8859-1
ds=y:ai=0.3:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-bold-i-normal--0-0-0-0-p-0-iso8859-1
bw=0.5:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-medium-r-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0201.1976-0
bw=0.5:ds=y:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-bold-r-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0201.1976-0
bw=0.5:ai=0.3:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-medium-i-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0201.1976-0
bw=0.5:ds=y:ai=0.3:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-bold-i-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0201.1976-0
mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-medium-r-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0208.1983-0
ds=y:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-bold-r-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0208.1983-0
ai=0.3:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-medium-i-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0208.1983-0
ds=y:ai=0.3:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-bold-i-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0208.1983-0
mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-medium-r-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0212.1990-0
ds=y:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-bold-r-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0212.1990-0
ai=0.3:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-medium-i-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0212.1990-0
ds=y:ai=0.3:mtxc1kp.ttc -misc-FMotoyaCedar-bold-i-normal--0-0-0-0-c-0-jisx0212.1990-0

iso8859-1はプロポーショナルにしないと文字がかぶりやがる。

とりあえずもじらで使ってみてるが、まあ見やすいことは見やすいかな。ちょっと丸文字っぽくてすぐ好きにはなれないが。

(@472)

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#1 だるだる

1月から体調が悪く、妙にだるさが抜けぬ。作業もままならんのでとりあえず病院で検査。結果なんともなし。むう、ストレスかなんかかなあ。どうも無意識に食事量も増えてたようで、太ったし。解消のためになんぞゲームでもはじめるかの。

つことで無料で遊べるおもしろいのないっすか?

(@358)

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2002年04月11日(木) [過去の今日]

#1 病院内でのPHS使用と当院での実施

いぬんとこ でハッケソ。この文書の最後に、

ただし通常の患者様にはその大きな声が、他の患者様のご迷惑になりますので禁止する方向では変わりありません。

とあることから、単純に病院内でのPHS使用禁止はマナーの問題ということが分かる。呼び出し音切って、小声で話せば、電源切らなくて済むんだね。入院してもAirH"でインターネットできるかなー。そしたら入院してもいいなー。
(@54)

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2001年04月11日(水) [過去の今日]

#6 とっても

その夢 めっちゃうらやましいです! ああ、和服着てくるっと回ってくれるかわいい奥さんほしい衝動に駆られまくり! がー!

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#5 今日の昼食

 今日は珍しくコンビニ弁当ですますことに。早速近所のセブイレに行って、ついでにサンデー購入。そのままぐるっと回って弁当コーナーに行こうとすると、アイスコーナーの甘い誘惑っ! くー、ちょっと暖かくなってきたし、アイス食いてーなー。とおもって商品棚を見つめると「濃茶」の名を冠したアイス発見! こ、こいちゃー! 即刻こいちゃをかごに入れ、弁当とサラダを三つずつ購入し、家に帰る。家族はまだ仕事中で、待ってられないので一人で食べることに。
 買ってきたサラダは三種。シーザーサラダと和風ドレッシング付きサラダと狐志庵の大好きなスパゲッティサラダ。もちろんスパゲッティサラダを食らわんとががっとふたを開ける。ぬっ! なんとこのスパゲティサラダにはドレッシングが付いている。いや、そういうスパゲティサラダもあるだろう。だがしかし、このスパゲティ達はすでにまったりとマヨネーズでその身を包んでいるではないかっ! こ、このドレッシングはいったい。
 ふっ、そうか、読めたぞ。これは俺への挑戦だなっ! おまえはこのドレッシングをマヨネーズを身にまとったスパゲティに掛ける自信があるのかという、挑戦に違いないっ! 挑戦とあらば負けるわけには行かぬ。よお〜く振ったドレッシングの袋を開ける、開ける、開ける!!!!! ……開かない。
 くっ、さらなる挑戦が待ち受けているとは。焦る心を抑えよく確認する。「こちら側のどこからでも開けられます」との表示。時折見かけるあのウソツキ表示か! ええい、こうなりゃ強攻策だ。袋にかじりつき、歯でちぎる!
 ふっふっふ、とうとうこの瞬間がやってきた。さあ、スパゲティサラダよ、我の勝利なり! この和風ドレッシングをその身に浴びよ!
 どばどばどばどば。さあ、我が舌にその味を知らしめよ、スパゲティサラダ!
………………ごめんなさい、まずかったです。かなりのまずさでした。狐志庵の完敗です。はうー
 というわけで一緒に買った「こいちゃ」で口直し。ああ、「こいちゃ」美味しいよー(感涙) ありがとー「こいちゃ」!

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#4 mail2nikki.el

 こっちも相変わらず使い方わからず。はうー。

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#3 html-helper-mode

 うーん、なんというか、時代に即してないような気もする。多用する<div>や<span>がないのが一番痛い。で、カスタイマイズの方法なんぞ探ってみたのだけど、どうもうまくいかず。うーむ……

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#2 めも

ここ
MeadowとMule for Win32のよさげな解説ページ見つけたのでメモ。まあ、使ってないんだけど、なんかの時のためにメモ。

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#1 MIDI

 我が家にはIRCの友人タックからいただいた、SC-88VLとS-MPU/ATがある。これがまたすばらしく、一時期はMIDIマニア状態であちこちから質の高いMIDIファイルをコレクトしていた。特にWRDにはずっぽりはまり、かなりの数のコレクション外までもHDDに入っている。
 timidity+というソフトなら、LinuxでWRD再生も可能とのことで苦労してS-MPU/ATを認識させ、音が鳴るところまで来た。ところがtimidityで外部MIDI音源に出力する方法がわからない。しょうがなくてtimidityの本分であるソフトMIDIのパッチを拾ってきて入れてみたりしたんだが、これが案外音がいい。ていうかきれい。ていうかマジでソフトMIDI?
 SC-88用に書かれたMIDIはうまく再生してくれないものの(これは設定次第で何とかなるらしい)、普通に聴く分には問題ないような……
 う、いかん、負けてはいかん、ソフトMIDIなんて堕落だよ! ハードMIDIあるのになんでソフトMIDIなんかに頼らなきゃいけないんだ! 負けちゃダメだーーーー
 ああ、でもこのままでもいいじゃ……ああでも……うう……

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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