狐の王国


2007年04月11日(水) [過去の今日]

#1 「やりたいこと」や「個性」なんて無くていいんだ

たまたま、俺は周囲に子供がたくさんいる環境で育って来た。今も子供が次々生まれているし、かわいがっていた子供が子供を産んで連れて来たりしている。もう家族みたいなもので、弟分、妹分と呼んでいる。

そういうわけで、子供たちの進路の悩みなどを聞くこともある。思春期の生意気さを相手にすることもある。

最近は減って来たが、「やりたいことを探す」とか「個性が大事なんだ」とか言う子供たちがけっこういた。俺自身がやりたいことをやって来たし、どちらかというと個性的と言われる人間だから、それを真っ向から否定するのは恥ずかしい事のような気もする。

だが、敢えて否定したい。「やりたいこと」や「個性」などどうでもいいものなのだ、と。自分らしくとか、自分らしさとか、本当にどうでもいい。そんなものは探したり求めたりするものじゃないんだ。

そういうものに惑わされて、自分がどうしたらいいかわからなくなった子供たちを何人か見てきた。その様子はとてもかわいそうで、見てられなかった。「個性」や「やりたいこと」がどうでもいいものなんだと悟れたのは、そういう子供たちのおかげでもある。

これからそれを詳しく書く。気が向いたら、読んでみて欲しい。

「個性」や「自分らしさ」の置き場所:

個性なんてのは意識しなくても滲み出てしまうものだ。そして個性を作るのはその人の経験や考え方であって、これは本を読んだり、考えたり、蓄積して来たものの総体でしかない。変わった経験を積めば変わった人になる。それだけのことだ。

実際のところ、個性的と言われて来た俺でも、広い世界に出てしまえばたくさんいる人間のうちの一人でしかない。似たような人間はたくさんいる。風変わりな人など、世界を見渡せばごまんといるのだ。そんなものは価値にならないし、なっていたら俺はもっと裕福な暮らしをしているだろう。

個性がまったく役に立たないわけじゃないだろうが、所詮はつけあわせ。料理で言うならせいぜい香草程度であって、肉や塩といった主要なものにはなれない要素なのだ。肉や塩になれるのは、身につけた技術や経験の類であって、これは訓練するしかない。「自分らしさ」はその上にしか置き場所は無い。

「やりたいこと」は「見つけるもの」じゃない:

「やりたいことをやる人生がいい人生だ」と言う言説が広まったのはいつ頃なのだろうか。

そりゃ確かにやりたいことをやってるだけでお金がもらえるなら、そんなに楽しいことはないだろう。だが現実はそんなに甘くない。

やりたいことをやって生きてる人たちは、別にやりたいこと「だけ」をやってるわけじゃない。やりたくもない事務処理だの税金対策だのもしぶしぶやってたりするし、気分が乗らなかったり、体調が少々悪かったりしても、やらざるを得ない時だってある。お金を頂く以上、お金を出してくれる人の意向を無視するわけにもいかない。結局そのへんは「普通の仕事」と同じなのだ。

それでもどうしても「やりたい」と思うから、彼等は充実してそうに見えるのだろう。それは探して見つけた「やりたいこと」ではなく、内側から湧き出る衝動として「やりたい」と願ってるからだ。

そもそも、やりたいことがあるからといって、それが全部やれるわけじゃない。結局のところ、それが「誰かの役に立つ」からこそ、お金が頂けるのである。「やりたいこと」と「誰かの役に立つこと」が一致してるから、生活できるのだ。一致しなければどうにかして一致させてやっている人もいる。

俺もやりたいことは山程あるが、その中にはクソの役にも立たないものがいっぱいある。そういうものはぐっとこらえて、休暇や息抜きにやったり、将来に取っておいたりしている。

「自分のため」はいいことか?:

もう一つおまけだが、「自分のため」という言葉をよく聞く。でも実はそれもどうでもいいことだったりするのだ。

自分のために働いて、自分のために勉強して、自分のために頑張っていたって、どのみち障害は必ず現れる。その障害を乗り越える力は、「自分のため」にはなかなか出てこない。結局「自分のことだけならいいか」という諦めが出てきてしまうものなのだ。

そういう時、助けになるのは「他人」だ。自分のためだけじゃなく、人のためでもあると思うと、それだけでも力が出てくる。意志が強くなる。その「他人」が、愛する人や家族、特に自分の子供であったりすると、なお強くなれる。

結婚というものの本当の価値は、そこにあるのかもしれない。

最後に:

要するに「やりたいこと」も「個性」も探したり求めたりするものじゃないということだ。それを持ってるのは、たぶん一つの才能なのだろう。

じゃあそのような才能を持ち合わせてない人はどうしたらいいのか。俺はこういう言葉を贈りたい。

「人様のお役に立つことをしなさい。それがあなたを助けてくれる」

まずはこれなのだ。とにかく誰かの役に立たなければ、おまんまは食えない。力も出ない。それがやってて楽しいと思える事なら、なおいいのだけれども。

(@803)

2007-04-17追記:

「やりたいこと」や「個性」が無い人間なんていないんだ という記事も書きました。

また、今はなぜか消えてるけど、 はてブコメント にあった本がおなじような事を言ってるみたいです。あとで読んでみようと思います。

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#2 「RPC: プログラムが登録されていません」のトホホな原因

超久しぶりにDebianでNFSを使おうとして、マウントしてみたら「RPC: プログラムが登録されていません」なんてメッセージが。LC_ALL=Cでやってみると「mount: RPC: Program not registered」。

で、これでぐぐってみると NFS-HOWTO 7. トラブルシュート がひっかかり、「 これはクライアントが、 サーバで実行中の NFS を検知できなかったことを意味しています。」だそうだ。

要するにNFSサーバが動いてないってことか。

しかし/etc/init.d/nfs-kernel-server restartを何度してもさっぱりだし……ってrestartしても何も表示されないぞ? おかしいな。

あ……いつの間にか nfs-kernel-server パッケージが削除されてる……。なんでだ、削除した覚えないぞ。aptitudeが勝手に削除したの見のがしたのかなあ。

というわけで aptitude install nfs-kernel-server で解決しましたとさ。とほほ。

(@940)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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