2007年06月16日(土) [過去の今日]
#1 「いじめられる側の問題」を主張する人は、いじめの本質が見えてない
「いじめられる側にも問題がある」と思います。 という記事。
著者はいじめられっ子という立場から問題があるという主張をしてらっしゃり、それに異論があるわけではない。だが、それは問題の本質じゃないと思うのだ。
そりゃあ考えても見れば、話が通じない奴とは関わりたくないからシカトするだろうし、運動のできない奴とスポーツを一緒にやっても思いどおりのプレーができないだろう。気に入らない奴と同じ狭い教室で一日の大半を過ごさなきゃいけないのは、ストレスに決まっている。
そこで「みんなに気に入られない奴が悪い」という結論に持って行くか? そりゃ問題はあるだろうさ。でもね、問題があることと解決の糸口になることとは、別なんだよ。
よく考えてみよう。社会には自分の気に入らない奴なんていっぱいいる。一緒に仕事をしててドンくさい、やってられないと思う事もあるだろう。その時、みんなどうやって解決してる?
配置転換をお願いしたり、一緒に仕事しないで済むようにどうにかしたり、少しマシな奴だとどうにか仕事を覚えてもらえるように協力したりするんじゃない?
それはお金を稼ぐ、という目的を持ってそこに集まってるからだよね。みんなそこだけは一致してるし、どうにもならなければ別な場所でやればいいのもわかってる。
でも、学校はそうじゃない。義務だから行ってるだけという人が大半じゃないか? それもクラスはおろか、学校だって学区で決められていて、自分で望んでそこにいる、なんて奴はほとんどいるはずがない。
要するに、子供たちは逃げ場が無いんだ。どうにもできないのがわかってるから、しかたなくいじめに走る。
そりゃあ40人も子供を集めれば、1人や2人、ちょっとおかしい奴くらいいるさ。それは自然な事だ。人間をはじめ動物はみな多様性を持って生まれて来る。その多様性が急激な環境変化の中でも種が生き残る力になる。だからおかしい奴がいるのは当り前なんだ。
でも子供たちはそんなの理解できない。大人だって理解できない人が多いのに、子供に理解できるわけがない。おかしい奴が近くにいるのは、子供たちにとって脅威だったり、ストレスだったりするもんなんだ。
おかしい奴がいるけど逃げられない、目的をひとつにもできない。だからいじめが起きるんだ。
だからいじめ問題の本質は、教育制度そのものにある。今の義務教育のシステムは、いじめが生まれるようにできている。その事をまずは認識してもらいたいと、俺は思う。
ただもうひとつ、別のケースもある。それは「他人をいじめないと生きて行けない子」がいるという問題だ。ある種の病ではないかと思う。それが育った環境に原因があるのか、それともこれも多様性の一環なのかは、俺にはわからない。
(@007)