狐の王国


2007年05月23日(水) [過去の今日]

#2 「酒鬼薔薇だった」少年と「簡単に言う」人々と

朝日新聞の記事に、 「赤ちゃん」から育て直す 神戸児童殺傷から10年 というものがあった。

内容は大変興味深いもので、10年前の 神戸連続児童殺傷事件 の犯人、酒鬼薔薇聖斗が少年院に入り、退院するまでの更生教育を簡単に紹介したものだ。

「世の中は弱肉強食。自分が年下の子を殺しても、大人が自分を死刑にすればつじつまは合う」と言い切り、「生きることを強いる大人は嫌いだ」と、裁判関係者や肉親の面会を拒んだ。

こんな事を言っていた少年が、

「総括期」に入って約5カ月後の03年秋、男性は職員らに言った。

「ご遺族に会い、僕にどのような人生を歩めと言われるのか、聞かせてほしい。言われる通りに生きていきたいのです。僕が更生するとはどういうことなのか、償いながら生きるとはどういうことなのか教えてほしい」

こう言えるようになるまでの6年5ヵ月、どれほどの山や谷があった事だろうか。

この記事をブックマークしたとき「大変な苦労があったのだろうな」とコメントしようとした。だができなかった。それは俺が「大変な苦労」と口にするのもはばかれるような、想像を絶する日々に思い至ったからだ。

だが はてなブックマークのコメント では、

# 2007年05月23日 monana7 [犯罪][社会] 命でしか償えないのでは、
# 2007年05月23日 ochame-cool [死生観][カインの末裔] 擬似家族か。 そもそも人間は罪を償うことができるのか、更生することができるのか。私は両方とも No だと思っている。

このようなコメントが散見された。

俺はこのコメントを読んで、怒りがわいて来た。なぜそんな簡単に「命でしか償えない」だの「償うことなどできない」などと言えるのか!

もちろん、人の命を、それも子供の命を奪っておいてのうのうと生き延びる等と言うことは許されない、という気持ちもわかる。俺の感情もそれが正しい、犯人など殺してしまえと叫んでいる。 だが一方で、そんなことをしても失われる命がひとつ増えるだけで何も解決しない、と囁く自分がいる。

別に俺は死刑制度に積極的に異を唱える立場ではない。それでも更生できるならそのほうがいいに決まってるのだ。そのために教官や医師たちがしてきた努力を、苦労を、どうして簡単に「無駄だ」と言えるのか。

……結局同じなのだ。酒鬼薔薇聖斗も、「簡単に言う」人々も。「自分が死刑になればつじつまは合う」と言った少年と「命でしか償えない」「更生などできない」と言った人々と、何が違う? どちらも頭でしか考えてない。肉体と、感情と、湧きあがる衝動とを、思考回路に叩きつけていない。正しい判断は、理性だけではできないことを知らない。 ……俺もかつてはそうだった。いや今でも、まだそうなのかもしれない。

記事によれば、かつて「酒鬼薔薇聖斗だった」男性は、遺族たちに手紙を送り、罪と向き合う気持ちを見せているという。きっと、少しは「体で考える」事を覚えたのだろう。彼がかかっていた病、今もかかってるかもしれない病は、たぶん、我々の内にも巣食っている。それとどうやって向き合っていったらいいのか、俺にもまだよくわからない。

少年A 矯正2500日全記録

この記事を書くために検索していたら、 少年A 矯正2500日全記録 という本を見つけた。今回の朝日新聞の記事より詳しく、更生教育の様子が描かれている事だろう。今度、読んでみる事にする。

(@359)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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