狐の王国


2007年05月21日(月) [過去の今日]

#1 DBIx::ClassでOFFSET/LIMIT

どうやるのかわからんのでCookbook見たけど書いてない。しばらく悩んでぐぐったりしてたら、sliceメソッドを使え、というのがひっかかった。なるほど、search->({...})->slice($offset, $limit)ってやればいいのか。

……ってこのぐぐって見つけたページ、DBIx::Class::Manual::FAQやん! そっちかよ!

(@263)

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#2 「情報は情報を出すところに集まる」は本当か?

誰が言い出したかは知らないが、 情報は情報を出すところに集まる とよく言う。だが、どうやって集まるのかというと、その具体的な流れは掴めない人が多いのではないだろうか。実際のところ俺も良くわからなかったし、「たぶんそうなんだろうな」とは思っても、具体的にどう集まって来るのかははっきりとは言えなかった。

しかし、今ははっきりと言える。情報を出すと情報が集まって来る。これは間違いない。

いまどきならblogのコメントやトラックバックで教えてもらえる、というのがよくあるパターンだと思うが、referer(リンク元)を見てるだけでもかなりの情報が集まるのである。

だいたい自分の記事にリンクしてくれる人というのは、趣味趣向等々興味の方向がある程度似通ってるものなのである。ということは、その人がリンクしてる他の記事や、そのリンクしてくれた人自身の記事もまた、自分にとって有益である事が多い。

実際、refererを辿って「これは」という情報に巡り合えたことが少なくない。

最近はreferer spamも多くは無いので、S/N比も悪くない。検索エンジンを除外するようにすれば、spamだらけのトラックバックよりずっといいかもしれない。

というわけで、情報を出して情報を集めるにはリンクしてもらわないといけない。リンクしやすいサイト作りを心がけよう。

(@953)

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2007年05月23日(水) [過去の今日]

#1 「スベシ!」診断

恋愛・人生「スベシ!」診断 というのをmixiで見つけた。やるべき事を指摘してやるぜという診断だそうで、またぞろ最近の若いものはやるべきことがわからないとかなんとかいう妙な分析から企画したんじゃねえだろうなという。

それはともかく、診断結果のURIが出るのはいいね。 俺の診断結果 は「ハードボイルド型」だそうだ。……ってモテピーク27歳って過ぎてんじゃん!!

(@051)

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#2 「酒鬼薔薇だった」少年と「簡単に言う」人々と

朝日新聞の記事に、 「赤ちゃん」から育て直す 神戸児童殺傷から10年 というものがあった。

内容は大変興味深いもので、10年前の 神戸連続児童殺傷事件 の犯人、酒鬼薔薇聖斗が少年院に入り、退院するまでの更生教育を簡単に紹介したものだ。

「世の中は弱肉強食。自分が年下の子を殺しても、大人が自分を死刑にすればつじつまは合う」と言い切り、「生きることを強いる大人は嫌いだ」と、裁判関係者や肉親の面会を拒んだ。

こんな事を言っていた少年が、

「総括期」に入って約5カ月後の03年秋、男性は職員らに言った。

「ご遺族に会い、僕にどのような人生を歩めと言われるのか、聞かせてほしい。言われる通りに生きていきたいのです。僕が更生するとはどういうことなのか、償いながら生きるとはどういうことなのか教えてほしい」

こう言えるようになるまでの6年5ヵ月、どれほどの山や谷があった事だろうか。

この記事をブックマークしたとき「大変な苦労があったのだろうな」とコメントしようとした。だができなかった。それは俺が「大変な苦労」と口にするのもはばかれるような、想像を絶する日々に思い至ったからだ。

だが はてなブックマークのコメント では、

# 2007年05月23日 monana7 [犯罪][社会] 命でしか償えないのでは、
# 2007年05月23日 ochame-cool [死生観][カインの末裔] 擬似家族か。 そもそも人間は罪を償うことができるのか、更生することができるのか。私は両方とも No だと思っている。

このようなコメントが散見された。

俺はこのコメントを読んで、怒りがわいて来た。なぜそんな簡単に「命でしか償えない」だの「償うことなどできない」などと言えるのか!

もちろん、人の命を、それも子供の命を奪っておいてのうのうと生き延びる等と言うことは許されない、という気持ちもわかる。俺の感情もそれが正しい、犯人など殺してしまえと叫んでいる。 だが一方で、そんなことをしても失われる命がひとつ増えるだけで何も解決しない、と囁く自分がいる。

別に俺は死刑制度に積極的に異を唱える立場ではない。それでも更生できるならそのほうがいいに決まってるのだ。そのために教官や医師たちがしてきた努力を、苦労を、どうして簡単に「無駄だ」と言えるのか。

……結局同じなのだ。酒鬼薔薇聖斗も、「簡単に言う」人々も。「自分が死刑になればつじつまは合う」と言った少年と「命でしか償えない」「更生などできない」と言った人々と、何が違う? どちらも頭でしか考えてない。肉体と、感情と、湧きあがる衝動とを、思考回路に叩きつけていない。正しい判断は、理性だけではできないことを知らない。 ……俺もかつてはそうだった。いや今でも、まだそうなのかもしれない。

記事によれば、かつて「酒鬼薔薇聖斗だった」男性は、遺族たちに手紙を送り、罪と向き合う気持ちを見せているという。きっと、少しは「体で考える」事を覚えたのだろう。彼がかかっていた病、今もかかってるかもしれない病は、たぶん、我々の内にも巣食っている。それとどうやって向き合っていったらいいのか、俺にもまだよくわからない。

少年A 矯正2500日全記録

この記事を書くために検索していたら、 少年A 矯正2500日全記録 という本を見つけた。今回の朝日新聞の記事より詳しく、更生教育の様子が描かれている事だろう。今度、読んでみる事にする。

(@359)

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2007年05月24日(木) [過去の今日]

#1 DRMのコストを切れ

DRM対ハッカー、もはや業界は降伏するしかない? という記事。

結局のところ、DRMは破られる。決して破られないDRMなど存在しない。それは鍵がかかってると開けたくなる奴がいるからだし、それを止める手段は無いからだ。たとえ法律でDRM破りを禁止したとしても、逮捕前に破り方は流出する。

経営者の立場になって考えてみよう。どれだけコストをかけて作ろうとも、どうせ破られるなら、そのコストに意味はあるだろうか?

現状のCDやDVDは、DRMなどかかってないも同然だ。CDはそもそもそんな仕組みが無いし、DVDにはアクセスコントロールがついてるものの、非常に稚拙なもので、とっくの昔に破られている。DVD-Rの付いているパソコンが1台と無料のソフトウェアがあれば、DVDのコピーはボタンひとつでできてしまう。そういう手法を解説したムック本は書店に溢れてるし、ネットで検索すればいくらでも情報が手に入る。CDに至っては言わずもがなだ。

DVDのアクセスコントロールが破られたのは1999年だ。それでDVDの売上が落ちたかといえば、まったくそうではない。 ITProの過去記事 を見ると、1999年の北米でのDVD出荷本数は9800万本、翌2000年には1億8200万本、2001年は3億6400万本と、倍々で伸びている。

一般消費者というのは、著作利権団体が思うほど悪徳ではない。自分たちが出したお金が、きちんと著作者のもとに行き、また新たな作品を生み出してくれることを願っている。「人は思うよりも善良」なのだ。それがDVDの売り上げにも現れている。

DRM破りにしても、悪意でやってる人は少ないようにも見える。彼等は単に、Linuxでも映画を見たいとか、ダウンロード販売で買った音楽を自分の携帯プレイヤーで聞きたいとか、そんな理由でやってる事が多いようだ。

だったら、最初からDRMなどかける意味は無い。 AppleとEMIの決断 は正しいのだ。今までDRMにかかってたコストを一掃できる上、売り上げは変わらないか、あるいはDRMを敬遠してた層をも取りこんで伸びることだろう。

カジュアルコピーをふせぎたいというなら、むしろ電子透かし技術などで流出元を特定できるようにしておく事の方が、はるかに効果的なのではなかろうか。

(@489)

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2007年05月25日(金) [過去の今日]

#1 spamボットはフォームを見たら食いついて来る?

前からサイドバーに適当に作ったblogパーツ、 おみくじパーツ を付けてるのだが、このおみくじ内容は自由に追加できるようにしてある。

そしたら、いつの間にか英語のspamが追加されていた(笑)

いやー、掲示板やコメント欄ならともかく、こんなところにもspamが来るとは。formを見つけたらとにかく書き込む、という動作をするのかな。

実に面倒、迷惑な仕様だなあ。あらゆるformは人間確認が必須になるのかねえ。いやはや、うざったい時代になったものだ。

(@001)

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#2 実は役に立たないトラックバック

最近blogを読んでてふと思うのだが、trackbackってまったく役に立ってなくないか?

アクセスのさほど無いblogにはトラックバックなんてspam程度しか来てないし、アクセスの大量にあるblogのトラックバックはリンクを辿るとがっくりしちゃうような記事ばかりが目立つ。

結局そんな感じで、俺はもうほとんどトラックバックは見なくなった。 周囲の話を聞くと、やはり似たような感じらしい。

トラックバックの欠点はもうひとつある。それは「送った側」だけ見ててもわからないということ。むしろトラックバックをどこそこに送って書いたよ、というのがわかった方が遥かに有益ではなかろうか。

そもそもの理念から考えれば「相互リンクを自動的に作るしくみ」なんだろうが、実際にはそう機能してない。

価値ある記事ならはてなブックマークなどのSBMにあがって来るから、トラックバックなど見てなくてもそれなりに情報を拾うことができる。

解決法:

これらの問題を解決する手段として、トラックバックを受けつけたら、それがはてなブックマークなどいくつかのSBMに登録されるまで表示しない、というのはどうだろうか。もちろん全件表示モードがあってもいい。

あるいはトラックバック元のブックマーク数が表示されるだけ、というのでもいい。これで価値あるトラックバックを見分けるヒントになるだろう。

どのみちspam対策はしなきゃならんわけだが……。

(@133)

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#3 左翼だとか右翼だとか

ふとネットを漂っていたら、 「このサイトの思想は左翼です」と主張してる人 を見つけた。

「自分は右でも左でもない。真ん中の立場だ」っていうやつほど、見方が大いに偏っています。

うん、それは同意しなくもないのだが、「俺は左翼です」って言い切るのもどうなんだろうと思う。何か、妙な違和感のようなものを感じる。

俺自身は、若干左巻きだなとは思ってるが、自分を左翼だとも右翼だとも思ってない。もちろん真ん中と言い切るつもりもない。

だから俺は、見る人によって右寄りな人にも左寄りな人にも見えるようだ。それでいい。俺はその時正しいと思ったことを発言し、行動するだけだ。

天皇制に反対する気も賛成する気も無い。利用価値があるなら利用すればいい。信奉はしないが、常識として最大限の敬意は払う。

反戦はいいことだ。戦争をしないで済むならそのほうがいいに決まってる。しかし戦うべき時に戦えない国は、滅びるしかない。侵略はするのもされるのも嫌なものだ。攻撃に報復しなければ次の攻撃が来る。報復などしないで済ませたい。だから初撃を防ぐのが肝要だ。防衛力は強いに越したことは無い。外交力を高める事が先決だが。

日本という国は好きだ。日本の文化は大好きだ。けど、日本のシステムは嫌いだ。俺にとっては息苦しい事ばかりだ。

日の丸や君が代は、そんな俺の心にもナショナリズムを思い出させてくれる。だから嫌いじゃない。けど、スポーツの国際試合で君が代が流れると悲壮感漂うから、違う曲があってもいいと思う。

保守か革新かなんて、そのときによる。保守的になったほうがいいこともあるし、改革しなきゃいけないこともある。

そんな俺を、「ポリシーの無い奴」と言う人もいる。そう思いたければ思えばいい。俺はいつでも自分が正しいと思うことを正しいと主張するだけだ。俺が右か左かノンポリかは、俺を見た人が決めればいい。俺は俺だ。

そもそも、俺は自分の立ち位置などよくわからない。俺は俺が正しいと思うことを正しいと言うだけだからだ。

だから「自分の立ち位置はココです」と言える人がうらやましいのかもしれない。違和感の正体は、ただそんなものなのかもしれない。自分の立ち位置をはっきり言えるというのは、何よりそこに根付いてるという証拠なのだから。

ただ俺は、自分が「俺の立ち位置はココ」と宣言したところが、本当に自分が立っている場所なのか、わからないのだ。

(@489)

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2007年05月27日() [過去の今日]

#1 著作権保護と通信の秘密が両立しなくなる?

GIGAZINEの記事例の裁判長 がまた妙な判決を出した、 MYUTAの音楽ストレージサービス裁判 に関するリンクがまとまってた。

で、どうやらオンラインストレージ全般が著作権侵害と見なされる判決ってのはどこも共通した見解。しかしオンラインストレージどころかメールサーバも(メールは著作物と考えれば)著作権侵害になるよなあ。「コインロッカーにCDをあずけてたらコインロッカーの管理者が著作権侵害してると見なされた」なんて比喩が出てたけども、まったくそのとおり。

しかし、そうなってくるとオンラインストレージを運営するにはデータの中身をなんらかの形で検査し、著作物かどうか見極めないといけませんよ、という判決なわけよね。だって音楽をあずけるっていったって、JASRAC管理曲とは限らないわけでしょ?

そうなると 通信の秘密 はどうなる? 適用されないの?

たとえばgoogleのgmailをオンラインストレージにしてしまうgmailfsというのがあるけども、ここに音楽を置いておくと著作権侵害なわけでしょ? それはgoogleが検査して著作者にお金を払わないといけないわけだ。

ということは、俺らのgmailに蓄積してるメールの中身をgoogleが全部検閲しなきゃいけないってことになる。そんなバカな。

もはや基本的人権にすら触れはじめてないか? 著作権が強化されすぎてるとはよく言われるが、いくらなんでも基本的人権を上書きするほど強化することもあるまい。著作権なんてそんなたいしたものではないはずだ。

思い切って、お金を取らないコピーは著作権に反しない、くらいでちょうどいいんじゃないだろうか。そこまでして保護するようなものか、もう少し考えてもらいたい。

(@054)

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2007年05月28日(月) [過去の今日]

#1 MYUTA裁判はむしろWeb 2.0を否定してるんじゃないか

GIGAZINEは釣られたらしい という記事から辿って、 MYUTA事件の判決文が公開されました という記事。ここに 判決文別紙 が転載されている。

で、ざっと判決文だけ読んだのだが、釣られたかどうかはともかくとしてどのみちひどい判決だと思う。32ページ目あたりを引用してみよう。

なお,原告は,本件サービスにおける複製は,一時的にユーザのパソコンや本件サーバにされるものであって,コンピュータのメモリ内に一時的に複製されるソフトウエアと同じ道理であり,物理的にも規範的にも,すべてユーザが行っているといえる旨主張する(前記第3の1〔原告の主張〕(3))。

しかしながら,そもそも原告の主張する一時的の意味が不明であり,一時的であれば複製権が制限される根拠を主張していない。そして,本件サーバにおける複製行為が本件サービスの中核をなしていることからすれば,上記主張は失当である。

俺の解釈が正しいとすれば、これはひどい話だ。つまるところ、ウェブアプリのデータはサーバ側にあるから、それは個人レベルのコピーではなく、著作権者の許可が必要だということだろう。

また、認証がかかっていて特定の人しかアクセスできなくても、そのサービス自体が公衆が利用するものだとすれば公衆送信だとも言っている(34P「自動公衆送信行為の該当性について」)。 これはとんでもないことだ。例えばGoogle Docsを使って気に入った詩を集めていたら、それだけで自動公衆送信に該当し、Googleが著作権侵害ということになる。オンラインストレージ全部どころかウェブアプリ全部が対象になるということじゃないか。

GIGAZINEが釣られた云々の記事 では ネタ元の記事のひとつ のコメント欄をこう引用してる。

やっと判決が読めました
ざっと読んだ限りでは、知財高裁などで示された著作権法関係判例の解釈の流れに沿いつつ、「本サービスのみに特化した」極めて穏当かつ適当な判決だと思われます。
本サービスの「仕組み」に関する裁判所の理解も十分ですし、被告(JASRAC)主張として「掲示板や一般のストレージサービスと本件は違う(p5)」とも明記されています。
#仕組みに対する記載は、下手なSEが書く概念設計書より詳細かつ分かりやすいレベルですね。
したがって、今回の判示は「MYUTA」に限るものであり、「ストレージ・サービス違法判決」ですらありませんでした。

本当にそうだろうか? 俺にはそうは見えない。5ページ(というか実際は6ページ)のオンラインストレージや掲示板とは違うという下りも、よく読むと単にそちらは音楽以外のデータもたくさんあって権利侵害のデータを特定困難だと言ってるに過ぎない。「この世の音楽のほとんどはJASRACのもの」と言ってるようなものではないか。そういう態度だから「権利侵害してるかもしれないから著作権料払え」なんてこと言えるんだろう。傲慢さしか感じないな。

同コメント欄では「3g2ファイルをサーバで変換してるのがまずかった」と書いてる人もいるが、そこは判決文に「ユーザーのパソコンにおいて(P3)」と書かれているし、そもそも食い違ってる。

一応俺もいくつか法律やら判決文やら読んできたが、そもそも日本語の意味と解離してるものも多く、普通に読んだだけでは意味を解釈できないことも多い。だからこの「ユーザーのパソコンにおいて」というのがサーバで変換されるという意味なのかもしれない。他のところも、一応日本語として解釈したつもりではあるが、日本語では俺の思った意味でも、法律文としては違う意味なのかもしれない。それは法律をきちんと勉強した人じゃないとわからないから、断定はしない。

でも、むしろ釣られてるのは 匿名ダイアリー書いてる人 なんじゃねえの、という気はする。

(@621)

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2007年05月30日(水) [過去の今日]

#1 PHPが嫌われながら生き残る3つの理由

phpspotのひどい正規表現サンプル記事に対するはてブの反応 を見て、「PHPは生き残る」ことを確信にまで深めた。しかし、ただ生き残るのではない。嫌われながら生き残るのだ。その理由を書いてみよう。

1. PHPは簡単に書けてきれいに書けない:

これは多くのPHPプログラマが実感しているだろう。PHPはさくさくと書ける一方、メンテナンスを考慮してきれいに書こうと思うとなかなかきれいに書けたものではない。Perlほど柔軟な構文でもなく、Rubyほどきれいな構文でもない。PHPを嫌う理由の筆頭にあがってもいい項目である。だがとりあえず書けば動く。これは大きい。

2. PHPの実装はひどいがとりあえず動く:

バージョンごとに仕様がごろごろ変わる、セキュリティホールだらけ等々。とにかくひどいものである。それでもPHPは速いと信じてる人もいるが、実はPerlより圧倒的に遅い。CLIで動かしてみるとわかるが、単純ループだと軽く3倍の速度差が出たりする。mod_phpが高速なためか、ウェブ経由ではそこまで差はでないのだが、ループ量を増やすとPerl/CGIより遅かったりする。だが実際にはそんなひどい処理はさせないだろうし、mod_perlなどと違ってとりあえずファイルを置くだけで動くという気軽さは捨てがたい。特に初心者には受けがよろしいであろう。

3. PHPのユーザー層は低レベルだが敷居が低い:

最大の理由はこれである。冒頭の例を見てわかる通り、PHPはユーザー層のレベルがかなり低い。しかしこれは同時に敷居の低さも表している。そりゃいきなり こんな正規表現 見せられたら引くだろう。本当は正しくなくても、「自分にもわかる感」が感じられれば、チャレンジしてみようという気にもなる。それが初心者ユーザーを引きつける魅力になる。ユーザー層のレベルが低いからこそ、新規ユーザーが取りこめるのである。

というわけで:

PHPはデメリットも多いが、そのデメリットこそが初心者を引きつける魅力になっている。そういう一面も少なからずある。だからこそGeek層との解離も激しく、誤解を修正する人にも恵まれないままコミュニティが育っていくという面もある。それがまた初心者への敷居の低さに繋がる。

だからPHPは生き残るだろう。大量の初心者ユーザーに支えられて。だが同時にそのレベルの低さ故に、嫌われ続けるのも間違いないのである。

だから言いたい。PHPしか知らない人は、PHPを一通り書けるようになったら別の言語をやるべきだと。PerlでもRubyでもJavaでもいい。プログラマにとって言語は道具だ。多様な道具を使いこなしてこそ本物ではないか。

そして他の道具を触る事で、愛用の道具のいいところも悪いところも見えて来る。以前よりずっと上手に付き合えるようになる。

それはあなたを、プログラマとしての、エンジニアとしての幸福に、導いてくれるはずである。

(@725)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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