2006年09月21日(木) [過去の今日]
#1 俺がrubyを使わない理由が見えた
IRCで Rubyist Hotlinks 【第 16 回】 essa さん という記事を教わり、かの アンカテ a.k.a 圏外からのひとこと のessaさんとあれば、ファンである俺が読まないわけにはいかないと、実はけっこう忙しいのだが思わず読みふけってしまった。
それでわかったのが、俺があまりrubyに引かれず、淡々とperlを使い続けている理由だ。
essa そうそう。雲の上のことで。(中略)やりたいのに出来ないっていう怨念がたまってるわけですからね。だから Ruby を与えられたときに、そういう怨念が噴出しちゃうって言うような (笑)
(中略) と言うことは、作る側がはしゃぎすぎてる所がある、分かってるけどやっちゃってる部分があると思うんですよね。これも出来る、あれも出来るって。
この「はしゃぎすぎる」という感覚は、実によくわかる。
俺が最初にコンピュータに興味を持ったとき、対象はPC-6001だった。手に入れることはできなかたったが、きっといろんなことができるに違いないと、妄想を膨らましていた。最初に手に入れたコンピュータは、PC-9801のV30を搭載したマシンだった。妄想の実現のために奮闘したが、BASICやマシン語の貧弱さについていけなかった。かといって、当時の開発環境は6万円くらいするのが当り前で、とてもじゃないが手が出なかった。一時はコンピュータへの興味そのものを失っていた。
その興味が再燃したのは、PC-UNIXに出会ってからだった。俺はまさしく「はしゃぎすぎ」ていた。シェルスクリプトにあきたらずperlに手を出し、まさに「これもできる、あれもできる」とさんざんはしゃいだ。
俺はここではしゃぎ終ったのだ。これがひとつの理由だ。
もうひとつの理由もある。
何で Perl から Python に行って Ruby に行かなかったのかというと、やっぱり Perl 的なところが Ruby の方に濃厚にあったからだと思うんですね。Perl の後継者というイメージがあって。
そう、rubyを使っててもperl的な部分というのを感じとっていたのだと思う。だから別に「perlでいいじゃん」という印象しか持たなかったのだろう。世の中にはJavaだのlispだのと、もっと違う言語がいっぱいあるのに、わざわざ似たようなものを選ぶ理由が無い。PHPのように、HTMLの一部を動的にするという観点ならまだ別物感を感じとれたのだろうが。
というわけで、rubyも必要なら書くけど、積極的に選ぶ理由が無いということがよくわかった。今まで一種の同調圧力というか、自分もrubyを使って「マンセー!」と叫ばなければならないような感覚を持ってたのだが、もうそんなところで迷うことはない。
rubyistがPlaggerを使うように、俺もrailsを使ったりはするかもだけどね。
(@220)