狐の王国


2005年07月08日(金) [過去の今日]

#1 君は PC-98 vs DOS/V戦争を見たか?

見逃してたか、この記事。もう1ヶ月も前の記事なのか。

あの当時のPC-98の盤石さというのは俺も経験してるのだが、幼かったせいもあるのか、はたまたPC-98以前にMacやWindows2.0に触れる機会があったからか、「いずれはGUIの時代が来る」という意識が自分のPC-98を手に入れる前からあった。そんな俺でもPC-98の時代の永続を信じこんでしまうほどに、PC-98は盤石だった。ワープロは一太郎が、表計算はLotus 1-2-3が同じように永続するものだと思っていた。その崩壊に気付くのに、Windows3.1Jが登場する頃までかかったのは、愚かだったとしか言いようが無い。

同じように、今はi386互換機とWindowsが盤石さをを感じさせている。だが、これも危ういバランスの上にあるということを、できるだけ多くの人に実感してもらいたいと思う。

今現在、盤石であるのはWin32というプラットホームである。このWin32は、Windows95からWindowsXPに至るまで採用されてるプラットホームであり、次期WindowsであるLonghornではWinFXに進化することになっている。しかし、その進化を望んでいる者がどれだけいるだろうか?

Win32というプラットホームを盤石にしているのは、MS-OfficeやIE、OEといった「みんなが使うアプリケーション」の存在に他ならない。MicrosoftとしてはこれらのアプリケーションもWinFX用を作るであろうし、問題なく乗り換えられるよう努力するであろう。

しかし、MS-Officeのバージョンアップは、別の互換性のあるソフト(OpenOffice.org等)への乗り換えとコスト的に等価か、それ以上のコストがかかることも予想される。レイアウトの崩れはともかく、マクロの互換性が保証されてない事がその理由だ。同じマクロの書き直しになるならば、もっと安価なソフトに乗り換える機会になるかもしれない。

IEやOEといったウェブブラウザ、MUAは、すでにもっと高性能な製品が登場している。FirefoxやOpera、Thunderbird、他にもたくさんある。

そして、OpenOffice.orgやFirefox、Opera、Thunderbirdといったソフトウェアたちは、Win32プラットホームに留まらない。Macや各種UNIX環境でも動作するものが多いのである。

こうして見たとき、我々がWin32プラットホームに固執する必要はまったく見ることができない。もちろん、WinFXプラットホームへ乗り換える必要性もだ。「どのみちWin32は消えるのなら、互換性のある(と思われる)WinFXに乗り換えるのは当然じゃないか」と思う向きもあるだろうが、 ReactOS という名のWin32互換OSの開発が進んでいる。

Microsoft製品の盤石さを支える外堀は、着々と埋められているのである。そう、かつてPC-98の盤石さを支えて来た日本語処理という外堀が、海外のメーカーから埋め立てられていったように。

(@359)

この記事のURI

最近の記事

以上、1 日分

タイトル一覧


カテゴリ分類
Powered by hns-2.19.8, HyperNikkiSystem Project

過去にこの日記が置いてあったcgi.misao.gr.jpは廃止されました。それによって記事へのURIが変わってしまっています。cgi.misao.gr.jpをwww.misao.gr.jpと置き換えるだけで同じ記事にアクセスできるはずです。

Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
日記管理ページ