2005年05月30日(月) [過去の今日]
#3 ルールには、万人の納得が必要だ──ヨーロッパGP
F1ヨーロッパGPの結末は、悲惨なものだった。負傷者が出なくてなによりだが、アロンソやバトンがもう少しライコネンに接近していたら、間違いなく巻き込まれていただろう。
バーストと言ってる人もいるが、あれはバーストではなくサスペンションの破損。タイヤにできてしまった平面が振動を呼び、カーボンファイバーのサスペンションアームを破損させたのである。カーボンファイバーという素材は、振動に弱いらしい。
ご存知の通り、今年のF1はタイヤ交換が禁止されている。タイヤにフラットスポットができてしまっても、交換することはできない。パンクしてしまえば交換も可能だが、その前にサスペンションがイカレてしまった。まさしくレギュレーションが産んだ事故と言えるだろう。
果してこのレギュレーションに納得してる人はいるのだろうか。先日のBARホンダのレギュレーション解釈騒動でもそうだが、納得のいかないルールの元では本来の仕事ができるわけがない。なにせタイヤが持たなければ即事故に繋がるスピードで走る競技だし、限界ぎりぎりまで車を作りこまなくては勝てない。納得がいかないままでは、モチベーションも上がらないし、自分のやることに自信が持てなくなる。
で、そういう事例ってかなり身近にあるなという事に気付いた。
例えばよく言われるのが著作権法における補償金だ。コピーの分を補償するはずのお金を取っておいて、コピーを禁止する。まったく納得のいかない話で、げんなりする声があちこちで聞こえる。音楽産業が衰退してるのはこういうところが原因じゃないのか。
個人的には日本の受験のルールにまったく納得が行かなかったことを覚えている。記憶力と計算速度を競って何になるのかと。よく担任の教師と議論したもので、教師もよく付き合ってくれたなと思う。結局、受験というルールにのらない人生を選んでしまったが。
そういう経験もあるからか、納得のいかないルールの元では戦いたくないという思いがある。今のF1で戦ってるレーサーやメカニック、チーム運営者たちも、似たような気持ちをどこかで抱えながら戦ってるんじゃないだろうか。それが大きな事故に繋がらなければいいのだが。
(@231)