2007年05月25日(金) [過去の今日]
#1 spamボットはフォームを見たら食いついて来る?
前からサイドバーに適当に作ったblogパーツ、 おみくじパーツ を付けてるのだが、このおみくじ内容は自由に追加できるようにしてある。
そしたら、いつの間にか英語のspamが追加されていた(笑)
いやー、掲示板やコメント欄ならともかく、こんなところにもspamが来るとは。formを見つけたらとにかく書き込む、という動作をするのかな。
実に面倒、迷惑な仕様だなあ。あらゆるformは人間確認が必須になるのかねえ。いやはや、うざったい時代になったものだ。
(@001)
#2 実は役に立たないトラックバック
最近blogを読んでてふと思うのだが、trackbackってまったく役に立ってなくないか?
アクセスのさほど無いblogにはトラックバックなんてspam程度しか来てないし、アクセスの大量にあるblogのトラックバックはリンクを辿るとがっくりしちゃうような記事ばかりが目立つ。
結局そんな感じで、俺はもうほとんどトラックバックは見なくなった。 周囲の話を聞くと、やはり似たような感じらしい。
トラックバックの欠点はもうひとつある。それは「送った側」だけ見ててもわからないということ。むしろトラックバックをどこそこに送って書いたよ、というのがわかった方が遥かに有益ではなかろうか。
そもそもの理念から考えれば「相互リンクを自動的に作るしくみ」なんだろうが、実際にはそう機能してない。
価値ある記事ならはてなブックマークなどのSBMにあがって来るから、トラックバックなど見てなくてもそれなりに情報を拾うことができる。
@ 解決法:
これらの問題を解決する手段として、トラックバックを受けつけたら、それがはてなブックマークなどいくつかのSBMに登録されるまで表示しない、というのはどうだろうか。もちろん全件表示モードがあってもいい。
あるいはトラックバック元のブックマーク数が表示されるだけ、というのでもいい。これで価値あるトラックバックを見分けるヒントになるだろう。
どのみちspam対策はしなきゃならんわけだが……。
(@133)
#3 左翼だとか右翼だとか
ふとネットを漂っていたら、 「このサイトの思想は左翼です」と主張してる人 を見つけた。
「自分は右でも左でもない。真ん中の立場だ」っていうやつほど、見方が大いに偏っています。
うん、それは同意しなくもないのだが、「俺は左翼です」って言い切るのもどうなんだろうと思う。何か、妙な違和感のようなものを感じる。
俺自身は、若干左巻きだなとは思ってるが、自分を左翼だとも右翼だとも思ってない。もちろん真ん中と言い切るつもりもない。
だから俺は、見る人によって右寄りな人にも左寄りな人にも見えるようだ。それでいい。俺はその時正しいと思ったことを発言し、行動するだけだ。
天皇制に反対する気も賛成する気も無い。利用価値があるなら利用すればいい。信奉はしないが、常識として最大限の敬意は払う。
反戦はいいことだ。戦争をしないで済むならそのほうがいいに決まってる。しかし戦うべき時に戦えない国は、滅びるしかない。侵略はするのもされるのも嫌なものだ。攻撃に報復しなければ次の攻撃が来る。報復などしないで済ませたい。だから初撃を防ぐのが肝要だ。防衛力は強いに越したことは無い。外交力を高める事が先決だが。
日本という国は好きだ。日本の文化は大好きだ。けど、日本のシステムは嫌いだ。俺にとっては息苦しい事ばかりだ。
日の丸や君が代は、そんな俺の心にもナショナリズムを思い出させてくれる。だから嫌いじゃない。けど、スポーツの国際試合で君が代が流れると悲壮感漂うから、違う曲があってもいいと思う。
保守か革新かなんて、そのときによる。保守的になったほうがいいこともあるし、改革しなきゃいけないこともある。
そんな俺を、「ポリシーの無い奴」と言う人もいる。そう思いたければ思えばいい。俺はいつでも自分が正しいと思うことを正しいと主張するだけだ。俺が右か左かノンポリかは、俺を見た人が決めればいい。俺は俺だ。
そもそも、俺は自分の立ち位置などよくわからない。俺は俺が正しいと思うことを正しいと言うだけだからだ。
だから「自分の立ち位置はココです」と言える人がうらやましいのかもしれない。違和感の正体は、ただそんなものなのかもしれない。自分の立ち位置をはっきり言えるというのは、何よりそこに根付いてるという証拠なのだから。
ただ俺は、自分が「俺の立ち位置はココ」と宣言したところが、本当に自分が立っている場所なのか、わからないのだ。
(@489)