狐の王国


2007年04月25日(水) [過去の今日]

#1 絶賛できないオタク、絶賛できるオタク

以前、 ハルヒダンスに見る二種類のオタク という記事を書いたところ、 たくさんの反応 を頂いた。 内向外向という分け方はあまり評判がよろしくないらしい。

そこで別の視点でこの二種類のオタクを考えてみることにしよう。

俺は前の記事で、こう書いた。

オタクは目立つことを嫌う。メインストリームを見るのも自分がなるのも嫌う。派手なものを嫌う。日影に身を置き、自虐する。そして>>290のように、内心ではそういうのを羨ましがるのだ。

こういうオタクを「内向的」と表現したが、これを別の視点で捉えると「褒めることができないオタク」とも言えるのではないだろうか。

人を褒めることも、自分を褒めることもできない。なぜなら理想はあまりに高く、満足できるものなどこの世に存在しないからだ。だからオタクというと何かといえばケチを付けるというイメージが付きまとう。

「原作とイメージが違う」「作画が甘い」「設定の矛盾が」「狙いすぎ」

作品自体に文句が付けられなくなると、矛先を変えて来る。

「予算が無くてああなっただけ」「嫌いじゃないけど信者がウザい」「監督がバカだからね」「こんなの見てる奴はキモいんだよ(自分も含めてね)」

こうやって悪いところばかり見てれば、そりゃダンスを練習して踊っちゃおうなんて考えには至らないだろう。そこまで気分が盛り上がったりはすまい。というか作品もファンも制作体制も完璧な代物なんてあるはずがないんだけども。

褒めることのできるオタクは、そこまで理想が高くない。楽しめればいいと考えてるふしもある。こまかい矛盾や制作体制には興味が無い。少し前に話題になった 作品に協力的な態度 にも通じるものがあるかもしれない。 悪く言えば軽薄なのだろう。ちょっといい作品なら手放しで絶賛してくれる。若いオタクにはこういう人が多いようにも思える。

こういう「絶賛できるオタク」は「絶賛できないオタク」から見ると「作品のレベルを下げる顧客」になるだろうし、逆から見れば「ケチばかりつけて何もしない人」になるだろう。

さて、こうして見ると、俺が前回「古典的な内向的オタク」と書いた理由もご理解頂けるだろうか。オタクはそもそも何も褒められない人種だった。自分も他人もこの世のすべてが気に入らなかった。だから買ってきたフィギュアも気に入るように自分で改造して組み上げていた。

でも今のオタクはそういう人ばかりじゃない。買ってきたフィギュアで満足し、こだわる事をナンセンスだといい、軽薄にも街でダンスを踊ってしまう。

もちろんどちらがいい悪いという話ではない。どちらも美点も汚点もある。

さあ、ここでもう一度問おう。

さて、あなたはどちらのオタクだろうか?

(@610)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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