狐の王国


2007年04月18日(水) [過去の今日]

#1 楽することは罪悪だ

楽をすることに対する抵抗感 という記事経由 家電販売では特に、お客様が持っている「楽をすることに対する抵抗感」を解きほぐす必要がある。 という記事で引用されてる 但見裕子の「家電買っちゃいました」ナショナル 食器洗い乾燥機「NP-BM1」 という記事。

「楽することは罪悪だ」という認識がある程度あるのだという。

それらのコマーシャルメッセージには、もちろん機能、能力を正攻法で訴えるものも多い。

(中略) その反面、「我が家に、エコな暮らしがやってきた」、「水を節約できるから、地球にもいいんでしょ」のような、エコロジーを前面に出したものも多く目についた。

(中略)

食洗機というものが「ぜいたく品」、「使う人を怠けさせる製品」と思われがちな商品だからだ。導入するにあたって気が引け、一種の罪悪感をのりこえなければいけないらしいのだ。

(中略)

お米つながりだと、電気炊飯器が開発されたとき「お前は、自分のカカアが機械で飯を炊いて楽するのが平気なのか」という批判が出たという。有名な話だ。

世の中には、「家庭の仕事が楽になる」ことに意味もなく嫌悪を抱く人というのが、いつでも一定の数だけいるようなのだ。

つまり、「楽するためじゃないですよ、エコのためですよ、地球に優しくするためなんですよ」というメッセージを使って「楽をすること」への罪悪感を乗り越えさせる手法らしい。 うーん、消費者の意識が環境保全に傾いてくれてるのかと思ったが、それだけではないということか……。

怠惰で短気で傲慢 なPerlプログラマとしては、こういう考えは理解しがたい。が、ちょっと記憶をさぐれば、「Excelの便利機能を使ってあっという間に仕事を片付けたら『心がこもってない』と言われて全部手作業でやりなおさせられたよ」だとか、「楽をすると心が堕落する」だとかいう話を聞いた覚えがある。やはりそういう人は一定数いるものなのか。日本だけじゃないのかという気がしなくもないが、それはそれで日本人というものを考察する上で興味深いな。他の国にいないか聞いてみたい。

考えてみれば、コンピュータは「楽をするための道具」だ。いかに作業を楽にするかがその存在意義だ。ワープロの文字には心がこもってないと言われた80年代もあった。宇多田ヒカルが「computer screen の中 チカチカしてる文字」を「I feel so warm」と歌う1998年まで、コンピュータは冷たくて機械的なものだった。そのまさに前年、サザンオールスターズは「愛なき世界 悲しき願い」「零一だけの無情なメッセンジャー」と歌っていたのだ。

そこには「楽をすることに罪悪を覚える」世代と、「それがあたりまえになった」世代の壮絶な断絶がある。いくらなんでも「水道を捻れば水が出る」という状況に「楽することの罪悪」を感じるような世代はいないだろう。それが「あたりまえ」になった世代しか生き残ってないからだ。

ある「楽をすること」が「あたりまえ」になるまで、我々は何度もこの壁にぶつかるのだろうか。だとしたら問題だ。コンピュータの世界はどんどん変化し、どんどん便利になる。いまやってる作業なんてバカらしくなるほど便利になる。そのたびにこの無用な罪悪感と戦わなければならないのか。あるいは、本当に無用なのか……。

少なくとも我々は「便利にする」「楽をする」事に血道をあげる職業に付いてるはずだ。この罪悪感とは、どのみち戦わなければならないのだろうな。

(@092)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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