2007年02月25日(日) [過去の今日]
#1 新聞の言論レベルは圧倒的に低い
毎日新聞……という昨今ではもう名前を出すだけで笑いがこみあげて来る誌名となったが、そこに「ネット君臨:識者座談会」という記事が掲載されている( 前編 ・ 後編 )。
そもそもネットを知らずに批判してる人がいるのはどういうわけか。まるで自動車がガソリンで走ることも知らぬまま自動車を非難してるようではないか。
柳田邦男氏 ネット上の発信者が突き止められるというのは建前論であって、市井のネット技術に詳しくない人や子供たちは中傷されたり、プライバシーを暴かれても、直ちに相手を捕まえられないので泣いているのが現状だ。
それは方法を知らないだけだ。abuse@にメールを投げるという RFC2142 に示された方法を知った上での発言とは到底思えない。「そんなもの技術者しか知らない」などという言いわけは成り立たない。それこそ検索すればいくらでも出てくるし、「悪用した人間を突き止めたいときはどうしたらいいんだ?」と詳しそうな人に聞くくらいのことはすべきだ。そもそも警察が市民に対してそういう回答をできないのはおかしい。
故意ではなく偶然に画像をダウンロードしたようなケースは、ログを示すなどの方法で過失によることが証明されると考える。
ログで故意かどうか確認できるとでも? 俺はエンジニアとして断言するが、そんなことは技術的に無理。恣意的な運用になるのは間違いない。
さらに匿名発言で泣いてる人がいるという話が出ていたが、実際そんなに傷ついてる人間がいるのか、俺は知らない。
柳田氏 (中略)受け手には一生ついて回ることでも、加害者は1回限りの「祭り」の楽しみで終わる。そこの差が認識されないと本質に迫れない。
そういうが、「祭り」の対象になるのはそれなりの理由がある。俺が今までに見てきた祭りの9割以上は、祭りのターゲットにされたサイトが「世界中に公開されてる記事」だということを認識して書かれてない場合や、そもそもサイトの記事のほうが非倫理的である場合ばかりだ。悪意だけでそんな大量の人間が集まったりしない。むしろ正義感の暴走こそが「祭り」なのである。
後編の最後に「連載第一部のあらまし」という形でこの座談会の文脈が示されている。 いまは既に読めないのだが、
- 第1回 難病の子 あざける「祭り」
- 第2回 嫌がる女児を撮影、知らぬ同士で「狩り」
- 第3回 静かな職場 システムが社員監視
という内容だそうだ。第1回は例の「死ぬ死ぬ詐欺」の話で、それについては 以前にも書いたとおり 、問題点がすでにネットで叫ばれてた中で起きたこと。それを理解せずに表面だけなぞるから馬鹿みたいな見解を出すはめになる。第2回はそれこそテロリストもインターネットを使って連絡を取り合ってるこの時代に、それだけ取り上げてネットの問題とするのはお門違いなのは明白だろう。第3回は社内人間関係の希薄化をOA化のせいだとする記事らしい。コメントする気も失せるほど馬鹿馬鹿しい話だ。第4回以降はまだ読めるが、一言で言えば「ネットに頼ると人間性が低くなる」という論調。 野球害毒論 と何が違うのか。
しかし、これくらいのことはblogやチャット、掲示板などであればすぐに反応が帰ってくるレベルの話だ。ネットでの言論はそういう意味ではかなりレベルが高い。悪の温床のように言われる2chだってこの座談会よりはマシな議論をしてる。
そう考えると新聞の言論レベルは非常に低いと言わざるを得ない。ネットによって失われるものは、むしろ権威をかさにきた低レベルな言論なのではないか?
司会がまとめにこう言っている。
新聞社も紙の媒体と同時にウェブサイトにニュースを流すネット社会の当事者です。ネット情報に誤りがあれば、訂正やおわびを掲載し、信頼される情報提供を目指しています。
そう言うのであれば、 J-CAST を見習え。ネットの議論に参加しろ。
それをやらなければ、この連載自体が「ネットは悪です。新聞を読みましょう」という利益誘導以外の何ものでもないと邪推されるのは間違いないだろう。 人に風の息づかいを感じろという なら、自分自身がネットの息づかいを感じて見せろ。それは自然の声を聞くより、ずっと簡単なことだ。
(@281)