狐の王国


2007年01月25日(木) [過去の今日]

#1 先進国における『貧困』

捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと 」 という記事を読んだ。

少女の話自体はいい。素直に感動したし、 補足記事 で少女の作文を読んでまた涙し、写真を見て生前の姿に思いを馳せさせてもらった。彼女が天国で幸せであることを、心から祈る。

だが、それを日本の格差社会と結びつけて考えて欲しくはない。先進国と発展途上国とでは、そもそも「貧困」の意味が違うのだ。

例えば先進国において貧しい者は、肥満しやすい。これは貧しいと食料が手に入らないのではなく、栄養が偏り、量のわりにカロリーが高いものしか食べられないからだ。また、働くために時間や体力が割かれ、料理の手間がかけられなくなるという理由もある。

先進国というより、地域性が大きいかもしれない。食料を買うお金が無くても、山や海や川で食料が得られるなら、「働く」という言葉の意味が変わって来る。生活そのものが、変わって来る。

もっと言えば、「家にいる時間」が変わって来る。

貧しくても家にいられるなら、そりゃ家族の結び付きは強くなるだろう。食料を得るという目的の為に、協力し合うだろう。そういう活動の中で、家族愛は育まれるだろう。

だが今の日本の典型的な貧困は、そうではない。

父親は残業で家にいつかず、母親も仕事で夕飯の仕度に間に合わない。しかたがないのでスーパーの総菜で済ませることが多い。携帯電話は持ってないと会社から怒られるので持っているが、パソコンは覚える気力も時間も無く、買うお金も貯められない。食生活に問題があるので太りやすく、ダイエット情報には敏感。だが本を読む時間も気力も無いので、ただで見られて洗い物でもしながら見られるテレビが唯一の情報源。子供たちは学校から帰ると家でだらだらとしているか、友達の家でやはりだらだらとしている。家事を手伝おうにも小さい頃から親が家にいないので、家事そのものをやったことがない。おやつは買い置きの安売りスナック菓子。親の目が無いので際限無く食べる。塾の類はお金が無いので入れてもらえない。よって塾に通えるような家の子供たちとはあまり交流が無い。

半分くらいは想像だが、だいたいこんなところであろう。

こんな環境では家族愛なんて育まれるわけが無いし、まともな子供が育つわけもない。そして実際そういう環境で育った子供たちが、今、親になって同じことを繰りかえしているわけだ。

こんな状況下で発展途上国の家族愛を見習えと言ったって見習いようが無い。そもそも家族の交流がほとんど無いのに、形だけ真似たところでなんの意味もない。

これを解決するには、もっと豊かになるしかない。いまから田舎にひきこもって畑を耕そうにも、そんな土地を買うお金などないし、自然から得られる食料など今の日本にどれだけあるのか。

そういう意味では結局カネなのだ。家族愛はカネじゃ買えないが、家族と過ごす時間はカネで買える。その買った時間で家族愛を育むという解決以外に、何かあるだろうか。

(@118)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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