狐の王国


2008年01月25日(金) [過去の今日]

#1 子供の正直な感性で「らき☆すた」の「もってけ!セーラーふく」を語ってもらった

何やらうちは子供がいることが多いのだが、正月あたりもしばらく3人ほど子供がいた。上から中1女子、小6女子、3歳男子。上が女の子だと面倒見がよくて実に助かる。

で、子供ら3人を車に乗せて公園など連れてったり買い物付き合わせたりしてたわけだが、上2人の女の子たちは最近「らき☆すた」がお気に入り。たまたま俺のiPodに入れといたやつを見てハマってしまったようで、車に乗ると「もってけ!セーラーふくかけてー!」とせがまれる。

そういうわけでその時も車に乗ったら「もってけ!セーラーふく」をリクエストされたわけだ。

「よく飽きないなー。もう何回聞いてるよ」
小6女子
「だって楽しいじゃん」
中1女子
「おもしろいよねー」
3歳男子
「この曲きもーい」

3歳児の感性恐るべし

ということで車中のiPodは仮面ライダー電王に切り替わりましたとさ。

(@633)

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2007年01月25日(木) [過去の今日]

#1 先進国における『貧困』

捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと 」 という記事を読んだ。

少女の話自体はいい。素直に感動したし、 補足記事 で少女の作文を読んでまた涙し、写真を見て生前の姿に思いを馳せさせてもらった。彼女が天国で幸せであることを、心から祈る。

だが、それを日本の格差社会と結びつけて考えて欲しくはない。先進国と発展途上国とでは、そもそも「貧困」の意味が違うのだ。

例えば先進国において貧しい者は、肥満しやすい。これは貧しいと食料が手に入らないのではなく、栄養が偏り、量のわりにカロリーが高いものしか食べられないからだ。また、働くために時間や体力が割かれ、料理の手間がかけられなくなるという理由もある。

先進国というより、地域性が大きいかもしれない。食料を買うお金が無くても、山や海や川で食料が得られるなら、「働く」という言葉の意味が変わって来る。生活そのものが、変わって来る。

もっと言えば、「家にいる時間」が変わって来る。

貧しくても家にいられるなら、そりゃ家族の結び付きは強くなるだろう。食料を得るという目的の為に、協力し合うだろう。そういう活動の中で、家族愛は育まれるだろう。

だが今の日本の典型的な貧困は、そうではない。

父親は残業で家にいつかず、母親も仕事で夕飯の仕度に間に合わない。しかたがないのでスーパーの総菜で済ませることが多い。携帯電話は持ってないと会社から怒られるので持っているが、パソコンは覚える気力も時間も無く、買うお金も貯められない。食生活に問題があるので太りやすく、ダイエット情報には敏感。だが本を読む時間も気力も無いので、ただで見られて洗い物でもしながら見られるテレビが唯一の情報源。子供たちは学校から帰ると家でだらだらとしているか、友達の家でやはりだらだらとしている。家事を手伝おうにも小さい頃から親が家にいないので、家事そのものをやったことがない。おやつは買い置きの安売りスナック菓子。親の目が無いので際限無く食べる。塾の類はお金が無いので入れてもらえない。よって塾に通えるような家の子供たちとはあまり交流が無い。

半分くらいは想像だが、だいたいこんなところであろう。

こんな環境では家族愛なんて育まれるわけが無いし、まともな子供が育つわけもない。そして実際そういう環境で育った子供たちが、今、親になって同じことを繰りかえしているわけだ。

こんな状況下で発展途上国の家族愛を見習えと言ったって見習いようが無い。そもそも家族の交流がほとんど無いのに、形だけ真似たところでなんの意味もない。

これを解決するには、もっと豊かになるしかない。いまから田舎にひきこもって畑を耕そうにも、そんな土地を買うお金などないし、自然から得られる食料など今の日本にどれだけあるのか。

そういう意味では結局カネなのだ。家族愛はカネじゃ買えないが、家族と過ごす時間はカネで買える。その買った時間で家族愛を育むという解決以外に、何かあるだろうか。

(@118)

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2005年01月25日(火) [過去の今日]

#2 秋葉系コスプレ

見たけどすごかったよ。あそこまで世間一般のオタクというもののイメージを再現できるのは、たらちゃんしかいないかもしれない。

てーか髭無いし雰囲気まるで違うし、本人と認識するまでえらい時間かかったな。たらちゃんの演技力に乾杯。

(@676)

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#1 時々わからなくなる

ティーポットとティーポッド。ティーパックとティーバッグ

(@245)

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2004年01月25日() [過去の今日]

#3 HTML

情報科の教師をしている人のblog をウォッチしていたら、授業で使ったと思しきHTMLの基礎を教えるパワーポイントファイルを見付けた。そこには堂々と「文章と見た目の指定を記述する」との文字。むう、困るなあ。

確かに子供にわかりやすくHTML文書の作り方を教えるのに、4.0以降の構造化が進んだHTMLを教えるのは難しいのかもしれない。オーサリングツールを使うにしても、要素の意味を把握しながら使えるようなツールは作りにくいだろう。そういう意味で、とりあえず慣れるためにHTML3.2あたりを使用してオーサリングツール経由で書く、というのはアリかもしれない(その情報科の先生がHTML3.2を教えてたかは知らないが)。

人間ってのは視覚にかなり依存してる動物なんて、見た目がぱぱっと変わって行くと学習する側もおもしろいんだよね。だから要素の意味がどうたらよりも、font要素あたりで文字の色や大きさを変えて遊んだほうが慣れは早いかも知れない。そこらへんから学んで行くメソッドというものは確立可能かなあ。やはり文書構造を記述してからCSSをいじくるという正攻法でなんとかしたいところではあるんだが。

正しいHTMLを書くって障害者への配慮を考えるということでもあるんだよね。そこらへんを教育の現場でまじえるのは非常に理想的だと思うんだが、難しいかな……。

(@938)

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#2 ガンダムぬこ

コラなんだろうがおもしろい画像作る奴がいるなあ。

リンク先の 腐女子の行く道、萌える道 は最近お気に入りのblog。腐女子の堂々としたヲタ人生がおもしろい。こういう子はネットに散らばるヲタ系男性にモテるだろうなあ、と思ってたら、コメントに「君のような彼女が欲しかった」と書かれててやっぱりなと。

まあ、ヲタカップルというのは悪いものではない。 映画見に行くにも迷わずアニメだし、イエローサブマリンでいつまでも時間潰せるし。好きなものを一緒に好きでいてくれるので、とても楽な付き合いができる。 ただ、 無理矢理ヤオイ本を見せられなければだが。

(@718)

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#1 人ん家のスタイルシートで表示

えりむ に教わったのだが、非常におもしろい。他人のページを他人のページのCSSで表示できるわけで、こう、自分の書いたCSSを他のサイトに適用したりできるわけだ。そして、自分のセンスの無さをありありと見せつけられるわけだなー。いやはや恐ろしい。

ホント、他のページに適用するといかに俺のデザインがダサいかよくわかる。うーむ、もうちょっとセンスを磨かねばなあ。とほほほ……。

(@620)

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2003年01月25日() [過去の今日]

#2 Joy hack

前記事とも関連するだろうが、純粋におもしろそう *1 だと思うのと同時に、こういうものが普及したらどうなるだろうとも考えた。カラオケ機械を置かずに、マイクとモニタだけ置いてある「防音喫茶」なんてのはどうだろう。今のカラオケ屋はJASRACに「売り上げ」の10%を持って行かれている。10%というのも暴利だが、曲にたいしてではなく売り上げにたいしてかけているところがヤクザな制度だ。それを支払わなくていいと言うなら、やりだす店はありそうである。

(@494)


*1: Takada Bandの歌とか歌いたいなー。俺の好きな曲はマイナーなものが多いので、カラオケにはまず無いのよね。
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#1 本当の文化はどこにある?

林檎つまみぐい でハッケソした 「もう一つの著作権の話」 は、中高生向けの著作権解説文書らしい。あたりまえのことだが、ダメだダメだと言い続けてるだけでは効果がないわけで、しかし現状ダメだダメだと言うしか無い状況への反省という意味もあるように思える。さすがに中高生向けとあってわかりやすいので、御一読されたし。

先日テレビ放送された「千と千尋の神隠し」も、DVD・VHS版とほぼ同程度に真っ赤な映像だった。俺はこれが嫌だったのでいったんキャプチャして色調補正し、mpegにエンコードしてから視聴したのは前にも言った通り。それでももとのきれいな色にはならなかった。テレビ放送ではついでだということもあって、3〜4台のテレビで見比べてみたが、1台だけ正常な色調で視聴できるテレビがあった。これ以外のテレビでは見るなということか。少なくともDVDで「これが正常だ」と言いきり、テレビ放送でもその主張を通してしまった以上、著作権でこの映画が保護されてる間は、正常な色調で見られることはないのだろう。

そんなおりに /.-jの記事 でも、映画の著作権保護期間を延長するニュースが載っていた。50年から70年に延長することを考えているらしい。「千と千尋の神隠し」が正常な色調で見られるのは、68年後ということだ。俺は生きてる自信が無い。生きてる間に見られないと言うなら、正常な色調の海賊版を見付けたら買ってしまうことは間違いないだろう。法律で禁止? なめるんじゃないよ、著作頒布権を持ってるところがまともなものを出さないのがいけないんじゃないか。

最近、とあるバンドの歌をFlashでアニメ化した作品を見た。その歌は叙事詩的で、嫌われものの黒猫が孤独な絵描きに拾われるというストーリー。歌にあわせてアニメーションを見せてくれる。これがとても感動的で、原曲を探して聞いてみた。ところが、歌だけでは声の聞き取りにくさもあって、ストーリーがよくわからないのである。

最近、特に 2ch 界隈で流れているFlashアニメは著作権を無視した物が多い。楽曲や画像の無断使用がそのほとんどだと思われるが、その中で生まれるものは、すばらしい作品も実に多い。誰かが発信した文化が、また誰かが受け取って新しい文化を生み出していく。これは本当に自然な事ではないか。本来の文化とはこういうものではあるまいか。しかし、法律で禁止されている以上、この本来の文化のあり方を実行するわけにはいかない。作品を作っても発表はできない。発表したらその場で法律違反になる。

だが、これでは文化が消えてしまう。秀逸なパロディも、オマージュも、創作する楽しみも奪われてしまう。自分の著作物だけを公開すればよかろうと主張する方もいらっしゃるだろうが、オリジナルを生み出すということはオリジナルだけを生み出し続けることでは達成できるものではないはずだ。現在、流通してる商業音楽、商業映画を見よ。モーニング娘。の曲はほとんど海外の曲のパロディだし、ディズニーの映画は童話や日本のアニメのディズニー流のリメイクばかりだ。俺はそれが悪いとは言わない。むしろ歓迎していいとも思う。だが我々個人がそれをやったとき、業界が攻撃をしてくるならば、我々は創作活動の場をアンダーグラウンドに求めて行くことになるだろう。匿名ファイル交換ソフトなどの利用である。合法的に文化を楽しめないならば、非合法に楽しむしかない。我々は文化を楽しむことを我慢するなど、できないからだ。

そうして本来、良心的で合法な文化にも金銭が支払われなくなり、文化を発信する企業が一切無くなるだろう。著作権は形骸化し、文化と産業が切り離される時代が来る。著作権を強めれば強める程、著作権ビジネスは崩壊の道をたどるということだ。そして小規模ではあるが本当の文化が、アンダーグラウンドで流れ続ける……

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2002年01月25日(金) [過去の今日]

#1 新年会

 25日は 宇宙艦隊アカデミー の新年会、26日は大検時代の仲間と新年会。なんとか25日は上京する手立てが付いたのだけど、26日遅くまでいられないかもでかなり微妙。うーむ、出来れば両方出たかったんだけどなあ。
 かといって二日連チャンでもなきゃ、両方出るのも無理だしな。あうー。
(@699)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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