狐の王国


2006年09月12日(火) [過去の今日]

#1 NetBSDにかかるOTPの記事

OTPの「NetBSDの将来」 という記事は、NetBSD創始者による現状のプロジェクトへの意見として話題を呼んだ。まあ、それはそれとして的を得たものではあるのだろうが、 某日記の記事 にあるような、

まあ煎じ詰めれば「俺たち好みの UNIX」を維持したいだけなのであって、そこに或る種の停滞性が生じるのはしょうがないかもしれない。

という意見も見逃せない。

プロダクトとしてモダンであるべきか、ある形を維持すべきかは、そのプロジェクトの総意によって判断されるべきだろう。別な形を望みたいなら、fork()すればいいだけのことだ。OpenBSDのようにね。

たぶん、創始者としてはNetBSDへの愛着も捨てられないんだろうが、思い切ってfork()したほうが、いい結果が生まれるのかもしれないね。

(@853)

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#2 簡単な事を難しく考えすぎてる例

何故他者の承認が必要なのか という記事を読んだ。

表題通りの内容なのだが、こういう事で悩む人がけっこういるらしい。

これは実に簡単な話なのだ。他人に認められなければ、人は生きていけないのだから。

考えてみりゃ当り前の話で、学校に認めてもらえなきゃ受験しても入学できないし、面接官に認めてもらえなきゃバイトすらできない。就職となれば何を言わんや、である。

仕事に就けばそれは尚重要だ。上司に認めてもらえなきゃ給料は上がらないし、お客さんに認めてもらえない仕事じゃお金は入って来ない。

他者の承認などというのは、ビタミンのように必須のものなのである。

社会生活を放棄すればいらないかもしれないが、それはそれとて自然という大きな存在に認めてもらう必要があるのだ。だからみんな他者の承認を欲しがる。当然の話だ。

もし、こういうことでなく、自らの存在をあるがままに受け入れてもらえることを承認というのだと考えているなら、それをしてくれるのは親(あるいはそれに近い存在)と自分だけである。それを簡単な言葉で言うと、「愛してる」ということなのだ。

で、まあ考えるなら「愛とは何か」というあたりにしてみたらどう? という話なのでした。

(@923)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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