2006年09月10日(日) [過去の今日]
#3 時代の終焉
ひとつの時代が終ろうとしている。俺たちは12年前、ひとつの時代の終焉を見た。それはもうひとつの時代の始まりであり、それが今、終ろうとしている。ミハエル・シューマッハの時代である。
デビュー当時はサイボーグと呼ばれ、21世紀には皇帝と呼ばれた不世出のチャンピオン。5年連続を含む7度のワールドチャンピオン、プロストの51勝を圧倒的に越える90勝、あのセナのポールポジション記録を抜く68回。どの記録ひとつとっても、おそらく向こう数十年に渡る神話となるだろう。
その偉大なチャンピオンが、とうとう引退を表明した。確かにミスが増えた。全盛期のような輝きは無い。それでも、まだ他のドライバーより速い。あと1年くらいやれるだろう、みんなそう思ってるに違いない。
正直言えば、俺はアンチだ。ミハエル・シューマッハが大嫌いだ。だが、それでもあの男の力は認めざるを得ない。努力という言葉の本当の意味を俺に教えてくれたのは、あの男の走りだ。そういう意味では、尊敬すらしている。
人間に与えられる天賦の才というのは、年齢によって簡単に衰える。周囲を見渡せば「中学生までは成績よかった」というタイプの人はけっこういる。スポーツにおいてもそれは顕著で、野球でも高校までは天才だった選手はごまんといる。
F1にいるようなレーサーはみな天才と呼ばれてのしあがって来ているはずだが、それでも俺に言わせればミハエル・シューマッハは天才ではない。彼が天才だとすれば、それは努力の天才だ。
ミハエル・シューマッハはやれることはなんでもやる。やれることをめいっぱいやって、なおかつさらにやれることを見つけて来る。ベネトン時代は「フロントだけなんとかしてくれ、リアは僕がなんとかする」なんてメカニックに言ってたそうだが、これはアクセルワークでリアの挙動を制御してみせるという事だ。それも尋常じゃない努力だが、フェラーリに入って潤沢な予算を手に入れると、今度は時間の許す限りテスト走行を繰り返す。コース上で抜くのが難しいと見るや、ピットで抜く技術を磨いて来る。ピットで抜くのはドライバーだけじゃできないから、スタッフの士気をあげる努力もする。スタッフはほとんどイタリア人だというのでイタリア語を覚えて来る。スタッフとコミュニケーションをたくさん取る。そこまでやってもまだやれることを見つけて来る。ピットストップのロスを少しでも減らそうと、ピットロードをアタックし、限界ギリギリでブレーキをかける。
正直言って尋常じゃない。普通こんだけ努力したんだからと諦めるような状況でも、ミハエルはまだ努力できる場所を見つけて来る。手にした武器は最大限生かす。こういう努力の人だからこそ、おとろえてしまう才能に依存すること無く、今もって最強のドライバーたりえている。
その最強のドライバーが、最強のまま引退しようとしている。イタリアGPを追えて、首位アロンソに2点差に迫っている。8度目となるチャンピオンを獲得しての引退となる公算も高い。
アンチとしては、その方がいいかもしれない。シューマッハがむかつくのは、強いからだ。強くないシューマッハなど見たくない。しかし、あと1年、若いレーサーたちに胸を貸してやって欲しかった。あと1シーズン戦えば、最多出場記録も抜けたことだし……。
しかし、時代は終るのだ。今後モータースポーツは大きな変革を迎えるだろう。アウディはより環境負荷の低いディーゼルエンジンでルマンに出場しているし、2009年からのF1エンジンもガソリンエンジンの枠にとらわれないものにするとも言う。
その大変革を前にした21世紀初頭、我々はきっと生涯語り尽くせるであろう、偉大なチャンピオンの引退をまのあたりにする。50年後、20世紀と21世紀にまたがって活躍した偉大なレーサーの名を、いまだ生まれぬ若い人の口から聞かされる機会もあるだろう。そのとき、俺はこう言ってやるのだ。
「俺はな、そいつが初めてチャンピオンを取ってから引退するまで、ずっとF1を見つづけていたんだぜ」
若人の輝く瞳が、今にも目に浮かぶ。
(@694)