狐の王国


2004年02月26日(木) [過去の今日]

#2 オープンソースと呼ばないで

むう、jlcにまで出たか。

発端は 某日記のこの記事 なわけだけど、まあどちらの言うこともわかる。が、すれ違いがあるようにも見えるなあ。本来俺なんかが口を出すべき事じゃないんだろうが、一言いいたくなってしまう。

mhattaさんやmatzさんは、ESRが提唱したオープンソースという言葉と概念を支持してるわけでしょう。これはフリーソフトという曖昧な単語から脱却して、明確に一つの概念を示す単語を作りだすためなのだから、非常に正当な理由と目的がある。俺も基本的には支持している。

塩崎さんはそれに対して、オープンソースという言葉から感覚的に想起されるであろう概念とOSDとが乖離してる事を指摘してるように読めるな。特に このまとめ なんか読むとそう感じる。 乖離してるに留まらず、その「感覚的に想起されるであろう概念」が、昔からよくあるものであり、現実に存在してるものであることが問題。定義の混迷を招いてるであろうと。よくわかる話だと思うなあ。

そういう意味では、オープンソースという単語もフリーソフトという言葉と同じ混迷の泥の中にハマってしまってるのかもしれないな。俺はある概念を表す一つの単語を広めることには大賛成だけど、似て異なるものにも名前をあげるべきかもしれない。例えば、改変再配付自由だが商用不可というソフトウェアには何という名前をあげようか。どんな名前を与えるにせよ、その対比としてオープンソースという言葉を出して納得してもらえるだろうか。そう考えるとオープンソースという単語が似つかわしくない事に気付けると思うのだが。

もっとも、広めたもの勝ちの世の中だ。窓を表す英単語の複数形が商品名として広まってしまったおかげで自由に窓を表す英単語の複数形が使えなくなってる現状をみれば、それはよくわかるだろう。オープンソースとOSDが広まってしまうという結末でも、俺は全然構わないと考えている。オープンソースという単語は語感もいい。自由という意味での free software を利用したビジネスモデルが付属 *1 してることを考えれば、戦略上語感のよさは重要だ。

悪は誰でもない、混迷そのものが悪なのである。

(@846)


*1: 実はこれが重要で、ESR著「魔法のおなべ」で綴られるビジネスモデルを支える事が可能なソフトウェアのライセンスたちに、包括して名前を付ける必要があったわけだね。名前とモデルとどちらが先か論争をするまでもなく、その必要はあった。だからこそ戦略的な名称が求められ、「オープンソース」という単語は充分にそれに答えられるものだったのは間違いの無いところだろう。
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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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