2005年09月15日(木) [過去の今日]
基本的にはつまらない話なのだけど、そこからリンクされてる諸々のページからオタクという存在の持つ劣等感が全開でなかなか興味深い。
曰く、アルテイシア日記や電車男は「ありえないことをありえるかのように見せて絶望にたたき込む」作品なんだとさ。
ここでおかしいのは彼らはみな自分を「オタク」というカテゴリーの中に放りこんで、そこに同化しようとしてること。現実には個別の事情やらなにやらがあって、オタク系の趣味を持ってるからと言ってオタク趣味をもたない人間と付き合えないということは無いのだけども、そういう個別や個性を自ら握りつぶして「オタクだから無理」という方向に行っている。
自分が無理だから(同じ趣味を持つ)他の人も無理と思いたいのか、それとも単に自信が無いだけなのかはわからないけども、そういう劣等感の存在というのはある種のリアリティをもって感じることができた。オタク同士の恋愛よりオタクと非オタクの恋愛に価値を置くあたりは、むしろ自己嫌悪に近いのかもしれない。
俺自身ももちろんアニメや漫画やゲームが大好きなオタクなのだが、そういう劣等感はほとんど感じずに過ごして来た。もちろんオタクの悪い癖として自己否定はつきものなので、そういう時期もあるにはあったが、結局その時期もアニメや漫画ではなくF1にハマってただけで、やってることは変わらなかった。
結局はオタクである以前に自分自身であるということなんだけども、自分自身の大きさよりオタクというカテゴリーの大きさが勝っちゃってる人が、意外に多いんだろうな。
ただ、俺がそう思えるのは、環境に恵まれただけかもしれない。オタクの女性とも非オタクの女性とも恋愛する機会があったし、そもそも周囲に非オタクの女性が多いので、そういう人たちの間で多少もまれてるのだろう。彼女たちには感謝しておいたほうがいいかな。
@ 経験則:
経験則で申し訳無いが、いわゆるイケメン系オタクほど堂々とオタクしてる事が多く、外見に自信のもてなさそうなオタクほどオタクを嫌う傾向があるように思う。
自己嫌悪と外見の関連は、案外強いのかもしれないな。
@ 電車男:
原作は脱オタクでハッピーエンドという腑に落ちないストーリーで、確かにオタク=悪という観念を助長してるように思う。ドラマ版はそのへんわかってるのか、オタクをカミングアウトしたりなんだりしててヨサゲ。
(@856)