狐の王国


2005年05月20日(金) [過去の今日]

#1 ガンダムな時代

車のCDプレイヤーが壊れてるので、運転中はたいていラジオを聞いている。CDだとどうしても好きな曲しか聞かないし、ラジオは思いがけない曲や発言に巡り合う事もあってなかなか楽しい。

今日はたまたま聞いていたラジオでスターウォーズの話をしていた。リスナーからのメールでスターウォーズとガンダムは同世代だとか共通点があるとかいう話を読み上げた後、女性のパーソナリティは自分のガンダム体験を熱く語り始めた。そう年を食ってそうな声でも無いのだが、一応ガンダム世代らしい。

まさかラジオのパーソナリティで、しかも女性がガンダムを語るなんて場面に出くわすとは思わなかった。少なくとも90年代くらいまでは、アニメを語るのはオタクだけであり、公共の電波に乗るような人がガンダムを語るなんて考えられなかったようにも思う。だから、その女性パーソナリティがあまりに自然にガンダムを語るのを聞いて、軽い驚きを感じたのは否めない。

今、ガンダムは一つのジャンルとして存在しつつある。秋葉原デパートの階段の踊り場には各階の売場案内があるが、そこには「ガンダム」の文字がある。「DVD」でも「本」でもなく、「ガンダム」である。ガンダムの名を冠した作品はアニメだけでも十以上にものぼり、サイドストーリーから完全オリジナルまで様々だ。プラモやゲーム、漫画なども合わせればとんでもない数になる。また、それが売れ続けている。

こうした時代の雰囲気が、あの女性パーソナリティにガンダムを語らせたのだろうか。Ζガンダム以降の商業色の強まったガンダムには興味を示さない人も、ガンダム世代には多い。しかし、その広まりを見るにつけ、ファースト体験者として言いたくなる事も出てくるということだろうか。

ちょうどこのラジオを聞いたのは、出かけたついでに∀ガンダムの映画版のDVDを借りにレンタルビデオ店に行った後だった。しかし、∀ガンダムはVHSはあるもののDVDは無い *1 。この作品の評価が低いとは聞いてたが、このガンダムブームのさなかにDVDが入らない程だとは思わなかった。

先述のように、ガンダムはΖガンダムからプラモ屋の思惑で作られて来た *2 ものだ。そのΖガンダムを「毒」と称した人もいる。ガンダムの監督である富野由悠季が、この毒で壊れたというのである。確かに、Ζの終り方一つとっても毒としか言いようがないかもしれない。だから、ファースト以外に興味を持てないガンダム世代は理解できる。しかし、そういう人にも∀ガンダムは見て欲しいなと思う。俺もこれを見るまでは、ファースト以外のガンダムには興味が湧かなかった。映画三部作ですら見てなかったのである。

ガンダムはプラモ文化の中でどんどんスタイリッシュになり、アニメもそれに追従するようにスタイリッシュなガンダムが作られて来た。そこにファーストガンダムにも似た、どこか垢抜けない髭のある∀ガンダムは、「ガンダムファン」と呼ばれる人間にはまったく受け入れられなかったのだろう。そしてガンダム世代にはファーストでないガンダムとして興味を持ってもらえなかった。

そのように評価の低い、というより評価の機会すら与えられなかったとすら言える∀ガンダムだが、実は非常にいい作品である。一つの作品としておもしろい事はもちろん、この氾濫するガンダムすべてに一つの決着を与えている。ファーストで語られた「人類の進化」であるニュータイプもそこにはいない。あるのは人、人、人である。「やはり我々は人間だった」と富野監督はこの∀ガンダム放送当初のインタビューで語っていた。∀は、ガンダムに対する富野監督ご自身なりのけじめなのだろう。そのけじめを、我々ガンダム世代は受け取ってやらねばならないのではないだろうか。

(@687)


*1: 俺の部屋にはVHSデッキがないので、DVDでないと見られないのである。
*2: それ以前は別のおもちゃ会社の思惑で作られてただけだと言えばそのとおりだが。
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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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