2006年08月11日(金) [過去の今日]
#2 Macに中間層はいないのか
つまみぐい日記 を読んでつくづく思うのだが、Macというのはなぜハイエンドマシンとローエンドマシンしかラインナップされないのだろうか? これは以前からずっとで、ことあるごとに不思議に思っていた。
そのヒントは、この日記にあった。
PC Watchの元麻布春男氏の記事ではないですが、Conroeを搭載して多少の内部拡張性を持たせた10万円台前半〜20万円くらいのスリムデスクトップがあればいいのに、とも思います。とはいえ、私がいざ買い替えというときにはMac Proを選んでしまうのでしょうけれど。
[- 日記システム警告:コマンド PC は予約されています。-]
そう、Macのヘビーユーザーというのは、なぜかハイエンドマシンを買ってしまうのだ。要求仕様が高いのだから当然、とも言えるが、WindowsやLinuxのヘビーユーザーはさほどハードウェアの性能に固執しない。固執するタイプのヘビーユーザーもいるが、ベンチマーク厨などと言われたりもする。なぜかMacのヘビーユーザーだけが高いハードウェアを率先して買う。思えばPCでメモリが32Mもあれば大容量と言われた時期に、128Mとか256Mのメモリを積んで「Mac安定してるよ、速いし」とかいうユーザーの話がそこかしこで見られたのを思い出す。彼らは昔からそういう性質をもってたのだ。
そして一方、iMac以来ライトユーザーをひきつける魅力を持ち始めたMacは、その路線を今も続けている。iMac/iBookはそういうユーザー層を確実に引き付けている。
ライトユーザーはそのようなローエンドマシンで充分だ。たいしてやることはない。しかし、Macを使いこなす必要のある人間、たいていはグラフィックスや動画、音声を取り扱う人達は、速度を求めてハイエンドマシンを買う。そんなもの扱ってれば、そりゃあ大量のメモリも積みたくなる。彼らにミドルエンドは不要だ。
おそらくアップル社はマーケティングによりこういうユーザー特性を見抜いている。ミドルエンド商品を投入しても、ライトユーザーには値段で敬遠されるし、ヘビーユーザーには性能で敬遠される。
いわゆるミドルエンドを必要としてる層は、その作業に大容量ファイルを使ったりはしないが、速度が無いとストレスを感じるという位置にいるはずだ。その作業内容はOffice Suiteが中心となるだろう。ハイエンドマシンを必要とするような動画・音声・グラフィックスが中心にないコンピュータ作業で、層を作る程の人口がいる作業というと、ゲームを除けばそれくらいしか思い付かない。
彼らは安価でそれなりに速いWindows PCを購入する。MacではMS-Officeが別売だし、候補に入らないのだ。
ゆえに、Macにはミドルエンドが不要だ。そこにはライトユーザーとヘビーユーザーしかいないからだ。そしてこのことは、アップル社のセキュリティ対策にも見て取れる。
セキュリティ対策というものは、ライトユーザーには意味のわからないものであり、ヘビーユーザーにはある程度自力で対応できるものである。ヘビーユーザーは新しいOSが出るとすぐ入れるから、古いOSがいつまでサポートされるか気にならない。だからAppleはOSのサポート期間を明示することもしないし、自社サイトでセキュリティ情報を見やすいところに置くこともしない。ミドルエンドのユーザー層がいないから、そもそもそういう圧力がかからないのだろう。これだけセキュリティ対策が叫ばれてる時代に、のんびりした前時代的OSサポートを続けていられる理由はそこにある。
これは悪循環だ。ミドルエンドユーザー層がいないからミドルエンドが出せない。ミドルエンドがないからミドルエンドユーザー層が増えない。そして「セキュリティ対策が弱いから、企業採用も増えない」というのも、もしかしたらあるのではないか?
もちろん最大の問題はOffice Suiteの互換性だろうが、少し賢い企業ならそこを調べないはずないと思うのだが。
(@531)
#1 感覚的な正しさ、論理的な正しさ、そして実際的な正しさ
なんか最近、無断リンク関係の話題を目にする機会が増えた。blog時代になってまだWWWの常識を知らない人たちが増え、そういう層がアクセス解析を使いこなしはじめたからだろうか。
しかしなぜこうも無断リンク禁止をうたうサイトが後を絶たないのだろうか。
思うに、無断リンク禁止は「感覚的に正しいこと」なのだ。そういう感覚的な正しさは、子供を見てると気付くことが多い。例えば誕生日のプレゼント。兄弟姉妹がいる時は彼らの分も買っておかないと、不平等感を感じさせてしまう。お小遣いも年齢が近いと同額じゃなきゃいけなくなる。お父さんのおかずが一品多いなんてのも、子供心には間違ってるように思えるものだ。
蛇足的だが、俺が小学校に上がる前、地球儀を買ってもらってすごく興奮していた事がある。地球は丸いんだ、日本ってちっちゃいな。でっかいところがいっぱいあるんだなあ。
そんな興奮を、俺は友達に語った。地球って丸いんだぜ。平らに見えるけどホントは丸いんだ。でっかすぎてわかんないケド。
帰ってきた反応はこうだ。
「丸いわけねーじゃん、どこが丸いんだよ、どこまでも平らじゃねーか」
「じゃあ地面ほったらどっか外国にいくのかよ。その外国の人空に向かっておっこっちゃうじゃないか」
「やーい、嘘つき、嘘つきー!」
そう、感覚的には「地球は丸い」なんてのは正しくないのだ。ガリレオの苦しみはいかんばかりか。
しかし、ガリレオ(と小さい頃の俺)が正しいことを言ってたというのは、自然科学が証明してくれている。論理的には正しいことだというのは、今はもうみんなわかっている。俺の子供の頃の経験は、そういう知識を抜きにしたときの人間の判断力をかいま見せてくれた。
そういう素朴な部分での「感覚的な正しさ」では、リンクするという行為が 手を繋ぐ行為に等しい と感じられたりもするのだろう。幸いこの人は 地球が丸いことに納得してくれた ようだが。
しかし、今後もこの問題は定期的にわいてくるだろうな。感覚的な正しさが、無断リンク禁止を正しいと教えてる限り。
@ 本当の正しさ:
哲学者カントによれば、人間には感性と理性と悟性というものがあるそうだ。感性は上記のような「感覚的な正しさ」を教えてくれるし、理性は「論理的な正しさ」を教えてくれる。
そして悟性というのは、最終的な判断を下すところ。感覚的な正しさと論理的な正しさとを結合し、妥協点を見出すところと言い換えてもいいかもしれない。これが「実際的な正しさ」となる。
無断リンク問題に限らないが、感覚的な正しさと論理的な正しさの間で論争が起きる(後者はモヒカン族などと呼ばれてるらしい)ことがよくある。しかし、どちらも実際的な正しさではない事も多いのだ。正しい論理も、その論理が立脚してるところは感覚的正しさであることも少なくない。
一度自分を無知な状態において、感覚的正しさを感じてから知識を戻してみたい。そうすれば、いわゆる「敷居の高さ」の正体や、人間が素の状態で何をどう感じるか、はっきりわかるのではないかと思う。
それはきっと、自分が何かを作るときに、役立つだろう。叶わぬ事だとは思うが。
(@177)
2005年08月11日(木) [過去の今日]
淳子んとこ でハッケソ。
ふむ、これはおもしろいな。デモを見てると立体感がある。奥のウィンドウの移動量が小さいから、そう見えるんだろうな。
SunのLooking Glassみたいな3Dデスクトップの時代は、こういう機能がネイティブで使えるようになるんだろうなあ。
(@749)
カカクコムの被害者面はまだまだ続くのね。クラックの被害は自分だけじゃなく、まったくの他人にまで被害をもたらすということを理解してないのだなあ。あまつさえ自分を震災被害者や強姦被害者にたとえるってのはもう、この無責任っぷりはどうにもならんな。
「ハッカーはなんでもできる。狙われたらおしまいだ」とか思ってるんだろうなあ。
(@741)
こりゃすごいな。意外な程軽快に動くし。なんかいろいろ使い道がありそうだ。 フォームの入力なんかに応用すれば、一般には変換できない単語や、郵便番号と住所の変換など、妄想は広まるばかりだな。
(@236)
ふむ、なるほど。小泉の「郵政民営化」という言葉は、意味無くこだわってるだけのように感じてたが、実際はきちんとした理由があるのだな。ちゃんと報道してほしいなあ、こういうところは。
確かに一番経営の優秀な部所を民営化できなくては、他の部所は推して知るべしだよなあ。
まあ、いろいろデメリットはあるだろうが、40兆円の税収に80兆円の予算なんてばかげた状況をどうにかするためのもの、というのは理解できる。郵便局が民営化できたら、他も追従してくれるだろう。個人的には町役場や市役所も民営化してほしいくらいだ。
役人ってのはコスト意識がまるでないものだから、民営化でコスト意識が広まるのはいいことだ。そこから身の丈にあった予算に収束してくれることを期待したい。
(@199)
2004年08月11日(水) [過去の今日]
2003年08月11日(月) [過去の今日]
パソコン工房 に宇都宮店があったらしい。初めて行ってみたが、HDDが意外に安い。アキバくささがある店、との評判だったが、確かにアキバに組み立てブームにのって雨後の竹の子のように出て来たパーツショップくさい雰囲気。
とまれそこそこ安くて使えるお店かも。車ですぐ行けるし、今後は活用させていただこう。
(@524)
#1 病院
行って来たが、今回も原因不明。ただ、糖尿の方は非常にコントロールが良いとのことで、今年初めから5月まで続いてただるさは低血糖のせいではないかとのこと。ようするに前に行ってた医者がバカで薬出しすぎてた可能性大と。しかし、5月までのだるさはそれで説明つくとしても、6月からは薬も飲んでないし、だるいのが抜けない理由がさっぱりわからない。頭もまわらずスクリプトも書けないのが困ったもので。
とまれ、もはや糖尿治療に薬要らず。運動と食事を気をつけ、定期的に検診に行くようにとのこと。まあ、これはこれでよかったのかな。医者は複数行っとけってことで。
2001年08月11日(土) [過去の今日]
#1 クスリが切れた
体力不足の狐志庵は、ノーマル状態では朝起きて1日活動を一週間なんてまず無理。なので一粒100円くらいする栄養剤を毎日10粒飲んで、この夏の講義を受けているわけですが、今日はうっかり飲むのを忘れてしまったのです。
そーしたらもう、体はだるいは眠気は強いは、さんざんでした。なんとか講義も終わって新幹線で一眠りしようと思ったのだけど、休日ダイヤでいつも乗ってる那須塩原行きのなすの号が無かった。次の電車はMaxやまびこ仙台行き。やばい、これで眠ってしまったら、目覚めた時は確実に仙台。
激しい睡魔と戦ってるおかげで、目を開けようという意志と睡魔との拮抗した力が狐志庵の目を白目にしてくれました。販売員のおねーさんが怖がってるのが、横目に見えました。
なんとか那須塩原で降りたのだけど、問題はこれから。そう、駅から家までは車なのです。やばい、このままじゃ居眠り運転必至。
ええ、もうしょうがないので車を走らせながら、眠らないように大声で歌ってましたよ。曲はFly Me To The Moonをエンドレス。シャウトシャウトでようやく家につきました。ていうか他に歌詞全部覚えてる歌ないし。
あーもう日記書く前にねりゃいいんだよな、俺も。寝よう寝よう。
(@522)