2007年09月18日(火) [過去の今日]
#1 ameblo vs mala事件が話題になるのは技術屋ってもんが一般の目に触れない場所に隔離されてるからなんだろなあ
今回は昔話のように聞こえるかもしれない。でもそうじゃなく、今起きてる話、これから起きる未来の話なんだと思ってもらいたい。
amebloのフィードが酷い件 という記事を発端に、ネットでずいぶんいろんな反応が巻きおこった。 代表的なのが、 どんなに技術があろうと出来る人であろうと駄目なものは駄目、って誰かが言わないと。 という記事。要するに技術屋も大人なんだから大人の対応しようぜって話。
バカだね。はっきり言ってバカ以外の何者でもない。
技術で食うってのはそういう事じゃない。礼儀正しさだとか、振る舞いの美しさなんてのは、それこそ「極めた職人」が文化人のごとくなるレベルまで行って始めて身に付くもんだ。
昔はね、それこそそういう職人さんたちが街のあちこちにいた。靴屋に行けば靴職人がいたし、自転車屋にいけば自転車の職人がいた。そういう職人さんたちは、たいてい口が悪くて、気難しくて、スマートな振る舞いなんてできるような人じゃなくて、決してお上品な人間なんかじゃなかった。
でも子供が好きで気さくな人も多くて、よくかわいがってもらったもんだ。
そのうち自転車はホームセンターで買うようになり、靴はデパートやバイトばっかりの安売店で買うようになり、職人さんたちは表に出てこなくなった。
そりゃあそうだ。口が悪くて下品な野郎どもが接客するなんて、商売的な観点から見りゃ愚の骨頂。表に出すなんてとんでもない。
ところがインターネットが登場して、また状況が変わった。そもそもコンピュータ、特にソフトウェアに関しては、研究者と技術者の境目がそうはっきりと見えるものじゃない。求める情報も近しいものがある。
研究者のためのインターネットは、コンピュータ技術者にとっても有用な情報源となった。今でもネットでもっとも活発に情報が出るのは、やはりソフトウェア関係の技術の話だ。
技術屋なんてのは、職人さんと変わらない。口が悪くて、気難しくて、スマートな振る舞いなんてできるような人じゃなくて、決してお上品な人間なんかじゃない。
でもそれはそれでいいんだ。技術屋は技術を磨く事が仕事であり、お上品になんかなる必要は全然無い。そのためにスーツどもがいるんだろう?
技術屋がお上品で人あたりがよくなったら、スーツどもなんかいらないんだよ。営業職の価値観に技術屋を押し込めるな!
20世紀のメーリングリストやNetNewsのログなんかもっとひどいもんで、初心者のちょっとした発言で三日間フレームの嵐、人格否定なんか当り前、口の悪さじゃいまどきのエンジニアなんか絶対かなわない。
最近はそういう諸先輩方も年を召されてフレームに参加する元気が無いのか、(そういう方面での)ご活躍を拝見する機会も無くなった。
そのうちネットで金儲けする商売人が増えて、ネットも研究者や技術者だけのものじゃなくなってきた。
だからこういう「勘違いしたスーツ」がたまに紛れ込む。
よく土建屋の連中なんかは、ヤクザみたいなのがけっこういる。別に本当にヤクザなわけじゃない。そういう職人たちを束ねるってのは、自然そうなっていくだけのことだ。
ソフトウェアのエンジニアだって変わりゃしない。根っこは気難しくて下品な職人なのさ。そいつらを束ねるのに「大人の対応」なんか求めてちゃダメなんだよ。それこそダメなものはダメ。
そりゃ気持ちはわかる。ネットはエンジニアが自由に発言できちゃう場所だからね。それを恐れるのもわかる。商売人としちゃ恐いわな。
じゃあGoogleのエンジニアがなんで表になかなか出てこないのか、考えてみたことはある? 彼らがどうしてネットのフレームに参加してこないのか、想像してみた? 別にGoogleはエンジニアに「大人の対応」求めてるわけじゃないと思うよ?
確かに技術屋・職人は街から消えたさ。だからネットでソフトウェアエンジニアがああいう発言するのが珍しがられる。最近見ないからね。若い人だと初めて見るなんてのもいるんじゃないか? *1
でもな、職人は世界から消えたわけじゃない。我々は知らず知らずのうちに、彼ら職人の手で作られたものを、便利に使っている。
何もソフトウェアだけの話じゃない。道路や壁や家や、ちょっとした道具だとかね。少なくなったとはいえ、そこらの肉体労働者とは違う、本物の職人さんは今でもいる。
職人を職人たらしめてるのは、その気難しさや下品さもあるのだ。毒を抜いたら薬にもなりやしない。
だからこそ、スーツどもは、この世界にいつまでも必要なのである。
(@591)