狐の王国


2001年10月17日(水) [過去の今日]

#2 ビンラディンは悪か?

そえりん日記 の 10/15/2001 の記事(日付指定のリンクはまだ出来ないようです)で、ビンラディンの少年期の写真が見られるね。
 日記からちょっと引用。

「オサマ・ビンラディンって、凄い悪者扱いされてるけど、どう思う?」 というのに対して、ゲストであるトークショーの司会者が 「あんなキレイな目をしたヤツが、悪者とは思えないんだよなぁ〜」

 これは当然かと。なぜなら、ビンラディンは悪者ではないから。
 別段悪いのはアメリカだとかそんなことを言いたいわけでなく、ビンラディンが実に敬虔なイスラム教徒である、というだけのこと。時代が時代なら、模範的な人間としてあがめられてもおかしくないだろうね。
 でもね、「敬虔すぎる」んですな、今の時代では。20世紀は戦争の時代、なんてテレビで言ってるけど、むしろ多様化の時代だったと思う。多様な価値観、多様な宗教観、多様な人生観、そういう世界の中でカミナリ親父みたいに頭ごなしに「それはいかん!」と唱えれば、当然つまはじきにされてしまう。殴りかかれば集団で殴り返されてしまう。そういう時代なんです。

父親不在:

 これは実は日本にとっても大きな投げかけだと思う。先日、「反乱のボヤージュ」なるドラマで「いつからこの国には父親がいなくなってしまったんだろう」と問いかけていたけど、先述の事柄はまさしくその答えになってるんじゃないだろうか。誰も頭ごなしに「それはいかん!」と言えない時代に、20世紀以前的な父親像を実現する事は無理に等しい。

多様化の理由:

 こうした多様化の原因としては、個人主義的自由主義と呼ばれる考え方が広まってる事に起因する事は間違いないだろう。個人主義はすなわち全体よりも個人を重んずる。自由主義はすなわち束縛されない事を重んずる。故に「誰にも迷惑かけなければ何やってもいいでしょ?」という言葉が出て来るわけですな。こんな言葉を言う人間の親も、やはり「なにしたっていいから、人様に迷惑だけはかけるんじゃないよ」と教えてるわけです。実際誰にも迷惑がかからないなんて事はありえないけどね。
 「なにをしてもいい」という言葉が出た事で、従来の価値観や倫理感が重視されなくなった。むしろ、崩壊したと言った方が適切だろう。そして日本人は価値観も倫理感も失っい、新しい世界観を求めてみなばらばらに哲学や宗教や虚構の世界を迷走するようになった。それが20世紀、多様化の時代を作り上げた原因である。

結局どうなん?:

 このへんの原因とかなんとかはまあ調べるなりちょっと考えるなりすれば誰にでも分かる事ではあるんだけど、「じゃあ実際どうすればいいの?」という問にはろくすっぽ答えが出せないのが現状だったりもする。
 いまさらカミナリ親父の時代に戻せるわけでもないし、戻そうとすればビンラディンのように、あるいは若者の無礼を正そうとして刺し殺されるサラリーマンのように、反発にあうのは間違いない。個人主義的自由主義は密の味である。1度その味を知ったら2度とは抜け出せまい。堕落と呼ばれる所以である。
 かといって現状をそのまま見過ごすわけにも行かないだろう。個人主義的自由主義から抜け出せないのなら、その中でうまくやって行くしか無い。鍵になるのは、組立PCやオープンソースの世界でよく言われる「自己責任」ではないかと、考えている。
(@737)

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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