2006年10月17日(火) [過去の今日]
#3 テキストを中央に寄せるためのもっともエレガントな方法
Livedoor ReaderのHTMLソースを読んでいたら、
<noscript> <!-- テキストを中央に寄せるためのもっともエレガントな方法 --> <center style="padding-top:1em"> このサービスを利用するにはJavaScriptを有効にする必要があります。 </center> </noscript>
なんて箇所があって笑った。
まあこういうのはhackもいいとこなのでよい子は真似しないように。
(@935)
#1 漫画の可能性は無限大
小鳥ピヨピヨ で面白そうなWeb漫画を見つけて、思わず読みふけった。
そしたらこれが意外な展開。おもわず「え、え、なにこれ」とか呟きながら先を読むと、どうやら広告漫画だった模様。
クチコミック というサービスがあるようで、普通に漫画を読ませてしまいに広告に絡めると言う、「日ペンの美子ちゃん」メソッドをより豪華にした漫画執筆サービスをやってるらしい。
んー、これはどうなんだろう。おもしろい漫画だけど広告ってのは、うーん。確かに効果的かもしれないけど……。
やっぱり漫画好きとしては広告抜きで読みたいよねえ。できれば広告であるということを抜きにしてもおもしろい、と言われるものを作ってもらいたいな。
(@851)
2004年10月17日(日) [過去の今日]
#1 治療経過
頭痛。一昨日から微妙に調子は悪かったのだが。
2ヵ月前に変更してみたアクトス錠から、今度はスターシスという錠剤に変わった。アクトスでは血糖値が下がらなかったので、また最初のダオニールとは別のSU剤を試すということになる。
とりあえず血糖値は落ち着いてるような気がするのだが、昨日は自転車を乗り回したせいか、やや低血糖による全身倦怠感が現れたようだ。かなりだるかったが、食事後はさほどでもなく、多少ぼーっとする程度で済んだ。一昨日も自転車に乗ってたから、低血糖を起こしてたのかもしれない。
それで今日は動かないでいてみようと、一日ゲームして過ごしてた。頭痛(恐らく軽い風邪)で多少だるいし、あまり頭は動かないものの、昨日のようなひどいだるさは無かった。やはり自転車で2kmも走ると低血糖を起こすくらいの血糖値に下がってるということなのかな。これがすべてであるのならいいのだけれど……。
(@448)
2003年10月17日(金) [過去の今日]
#1 日記とblog
出自の違う似たようなものなので、周辺状況の違いが興味深い。blogは個々のサイトがRSSを発行し、そのRSSをあちこちから読み込んでメールのようにblogを読むツールがある。日記はアンテナで更新順にソートしたリンクを作って読むのが一般的だ。
さてはて、日記とblogの弁証法的解決を目指すとしたら、どうすべきだろうか。サイトとしてはRSSを発行しつつ更新時刻を取りやすい形で置いておくことになるのだろうが、ツールとしてはどうだ。RSSを発行するサイトもアンテナで更新情報を得たサイトも一元的に読みたいとしたら、どうすべきだろうか。
アンテナの吐くデータであるLIRSか、blogの吐くデータであるRSSかで、一元的に管理するのがよさそうだ。しかしLIRSは日本国内のことしか考えてない仕様(EUCで書け、など)のようだし、かといってRSSは無駄が多いように感じる。また、LIRSがCSV形式で簡単に扱えるのに対し、RSSはXMLなのでちょっと扱いがめんどくさい。
うーん、しかしそれでも国際的に認知されたRSSを選ぶべきかなあ。LIRS.pmもどっかいっちゃってるみたいだし。また、LIRSは lirs2rss というスクリプトでRSSに変換できるようだ。
ふーむ、やはりRSSを扱うことを考えるべきか。とはいっても、blogでも日記でもないサイトもあるわけで……。
(@376)
2001年10月17日(水) [過去の今日]
#4 文体
いちおうよくhnsコマンドを間違えたりすることがあるので自分の日記は読むようにしてるのだけど、なんかひどいなあと思ったり。
日記だからだらだらかこーぜくらいの勢いで、文体を気にせず、伊達と酔狂とその場のノリだけでテキトーに書いてるもんだから、文章がめちゃくちゃ。
いい加減文体は考えた方がいいかなあ。ですます調が混じるのだけでもやめるようにしようかな。変な癖がついたらかなわないし。
(@602)
@ いや:
別に内容までふざけて書いてるわけじゃないけどね。真面目な話題は真面目に考えてますとも。でも文章がへたくそになっていく感じが……
#3 厄日?
朝早く学校に行ったら、途中の電車で大学の友達にばったり。「どこ行くの?」と聞かれて「学校だよ〜」と答えると、「え"? 今日はお休みだよ?」。
ぼーぜん。すっかり忘れてた。今日は球技大会があるとかで、学校休みだったんだ。チェックしてなかったわけじゃないけど、すっかり抜けてた。
しょうがないので家族に頼まれた買物をするためにアキバへ。なんか脱力なのでとっとと用事済ませて帰ろうかなと思ってたけど、今年卒業した友達がアキバに来るってんで合流。一緒に飯くおうぜってんで、なぜかカルネステーション。食い放題してきたのですが、60分で二人はきつかった。肉の味が分からなかったり……。いや腹はふくれたのですが、夕飯も入らない程。
そして今回の本目的、サウンドカードの購入。かなり迷ったのだけど、Linuxで元気よく動いて安定してて音質よさげでトラブルもナサゲなカードってことで、奮発してSB Live!を購入。たけー、7kもしやがる。いいのかこんなの買って。贅沢スギ? 財布の中身空っぽになるぞ? いやでもavifileで音ずれ無しの動画鑑賞環境は絶対欲しいし……
ということで、清水の舞台から飛び降りたつもりで買ったわけですが、その直後ケータイにメールが入りました。
お客様のお支払がまだ確認できません。期日までにお支払いいただけないと、サービスを停止させていただかねばなりませんので
云々かんぬん
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………やべえ(汗)
ええもう見事に忘れてましたとも。
そんなわけで、今月末、もしかしたら狐志庵に電話が繋がらないかもなのです。そんときはごめんなさいなのですっ(T-T)
#2 ビンラディンは悪か?
そえりん日記 の 10/15/2001 の記事(日付指定のリンクはまだ出来ないようです)で、ビンラディンの少年期の写真が見られるね。
日記からちょっと引用。
「オサマ・ビンラディンって、凄い悪者扱いされてるけど、どう思う?」 というのに対して、ゲストであるトークショーの司会者が 「あんなキレイな目をしたヤツが、悪者とは思えないんだよなぁ〜」
これは当然かと。なぜなら、ビンラディンは悪者ではないから。
別段悪いのはアメリカだとかそんなことを言いたいわけでなく、ビンラディンが実に敬虔なイスラム教徒である、というだけのこと。時代が時代なら、模範的な人間としてあがめられてもおかしくないだろうね。
でもね、「敬虔すぎる」んですな、今の時代では。20世紀は戦争の時代、なんてテレビで言ってるけど、むしろ多様化の時代だったと思う。多様な価値観、多様な宗教観、多様な人生観、そういう世界の中でカミナリ親父みたいに頭ごなしに「それはいかん!」と唱えれば、当然つまはじきにされてしまう。殴りかかれば集団で殴り返されてしまう。そういう時代なんです。
@ 父親不在:
これは実は日本にとっても大きな投げかけだと思う。先日、「反乱のボヤージュ」なるドラマで「いつからこの国には父親がいなくなってしまったんだろう」と問いかけていたけど、先述の事柄はまさしくその答えになってるんじゃないだろうか。誰も頭ごなしに「それはいかん!」と言えない時代に、20世紀以前的な父親像を実現する事は無理に等しい。
@ 多様化の理由:
こうした多様化の原因としては、個人主義的自由主義と呼ばれる考え方が広まってる事に起因する事は間違いないだろう。個人主義はすなわち全体よりも個人を重んずる。自由主義はすなわち束縛されない事を重んずる。故に「誰にも迷惑かけなければ何やってもいいでしょ?」という言葉が出て来るわけですな。こんな言葉を言う人間の親も、やはり「なにしたっていいから、人様に迷惑だけはかけるんじゃないよ」と教えてるわけです。実際誰にも迷惑がかからないなんて事はありえないけどね。
「なにをしてもいい」という言葉が出た事で、従来の価値観や倫理感が重視されなくなった。むしろ、崩壊したと言った方が適切だろう。そして日本人は価値観も倫理感も失っい、新しい世界観を求めてみなばらばらに哲学や宗教や虚構の世界を迷走するようになった。それが20世紀、多様化の時代を作り上げた原因である。
@ 結局どうなん?:
このへんの原因とかなんとかはまあ調べるなりちょっと考えるなりすれば誰にでも分かる事ではあるんだけど、「じゃあ実際どうすればいいの?」という問にはろくすっぽ答えが出せないのが現状だったりもする。
いまさらカミナリ親父の時代に戻せるわけでもないし、戻そうとすればビンラディンのように、あるいは若者の無礼を正そうとして刺し殺されるサラリーマンのように、反発にあうのは間違いない。個人主義的自由主義は密の味である。1度その味を知ったら2度とは抜け出せまい。堕落と呼ばれる所以である。
かといって現状をそのまま見過ごすわけにも行かないだろう。個人主義的自由主義から抜け出せないのなら、その中でうまくやって行くしか無い。鍵になるのは、組立PCやオープンソースの世界でよく言われる「自己責任」ではないかと、考えている。
(@737)