2007年12月27日(木) [過去の今日]
#1 匿名発言は基本的にスルーするべき
最近匿名・実名論争が展開されてるようで。
俺は特に実名原理主義というわけではないのだが、匿名者は基本的に相手にしないようにしている。その理由をまあいくつかつらつらと書いてみようかな、と。
よく言われることだが、匿名の反対は実名ではなく、記名だ。記名された名前は実名であろうがペンネームであろうが芸名であろうが構わない。
実名原理主義者と呼ばれるような人はここをちょっと勘違いしているように見える。彼等は記名を求めてるのであって、実名を求めてるわけじゃないはずだ。
じゃあなんでもいいから名前が書いてあればいいのか、というとそういうわけではない。
必要なのはその言論に「 名前をかけているか」である。
使い捨てのnickやidでは意味が無い。実名じゃなくてもその名前で活動し、一定の評価と認知を得ていることが必要。その評価と認知が得られるまでは、匿名となんら変わりは無い。
「名前をかける」というのは、それまでの評価をかけるということだ。
おかしな言論を繰りかえしてる人はそういう人なんだと認識されるし、鋭い言論を繰りかえしてる人はそれに見合う評価が得られる。そういった評価の上でその言論が評価されていくのである。
過去の評価が現在の言論に影響を与えるということに違和感を覚える人もいるかもしれない。その意見が正しいかどうかは単体評価されるべきで、過去の言論は無視して考えるべき、という考えを持つ人もいるだろう。
それは一部で正しい。別に間違ってるとは思わない。 ただそれだけですべてOKかというとそういうわけじゃないのである。
人はどうしても自分に有利なデータを重点的に集める傾向がある *1 し、専門的な知識となるとまず一般の人間に理解するのは不可能だから、専門家の検証結果を信用する他ない。
匿名掲示板最大手「2ちゃんねる」の多くの板では、その日1日限定のIDが書き込みに付与される。これはおかしな言論を繰りかえす人などをフィルタするのに便利であるし、それまでの言動から内情を知ってそうだとか専門知識がありそうだとか、総合的に判断されて現在の書き込みが評価される。 こういった事は議論の効率化にも役立つ。信頼を得るプロセスが省略可能だからね。
このように、たとえ実名でないにしても、なんらかの形で名前なりIDなりをつけて言論を繰りかえしていれば、一定の評価が得られ、その評価を元に現在の意見もまた評価されるというのはよくあることなのだ。
「なんかこの意見正しそうに見えるけど、前にこのジャンルでこの人はこういうツッコミいっぱいもらってたよなあ。ちょっと今回もツッコミ確認してみるか」
「ちょっとおかしい意見に見えるけど、この人このジャンルではプロのはずだよなあ。よくわからないから質問してみようか」
「ああ、このツッコミしてる人、前からやけに粘着してる人だよね。スルーしとくか」「ま た こ い つ か」
「おまえが言うなよ」
等々……。これらはすべて過去の言論からの判断だ。そうおかしい判断ではないだろうと思う。場合によってはその人の過去の発言を検索エンジンで探す事もあるだろう。この人どういう人なんだろうと気になって検索、なんてのはそんな珍しいシチュエーションでもないのではないだろうか。
要するに個人を識別できればいいのだ。
反して匿名の言論というのは、こういうある種のトレーサビリティを持たない。実際にSlashdotなどではAnonymouse Coward(匿名の臆病者)により、1人が複数に見せかけるなどして意見の圧力をかける方法が散見されていたようである。2ちゃんねるでも同様の手口はけっこう使われてるようだ。
これがせめて記名であれば、複数に見せかけることは難しくなる。複数の人格を長期に渡って維持し、同一人物であることがばれないように言論を繰りかえすというのは至難の技だろう。
そういう事を踏まえた上で「匿名でも問題無いから匿名で言わせろ」というのは、はっきり言えば卑怯だ。自分の評価はいつでも捨てられるし多人数に見せかけることも難しくない。おもいきり矛盾してるように聞こえるが、自分の安全は確保した上で捨て身の攻撃が出来てしまうわけである。
で、実際そういう立場を使った罵倒や暴言の類が実に多いのである。いちいち聞いてなんていられやしない。
表で名前を出してやってる分には罵倒も暴言もけっこうだと俺は思う。それはそういう人なのだという評価がその人に与えられるだけだし、実際そういう人も、特にはてな界隈にはけっこういたりする。
だから俺は基本的に、匿名発言やそれに準ずるような立場からの罵倒暴言の類はさくさくと無視している。検索エンジンにも掛からないような場所から言われてもなあ、という感じである。
もっとも、匿名が基本だからこそできるコミュニケーションというのも現代日本では実際にあるし、それに価値があるから2ちゃんねるは大きくなったのだろう。そういう意味でも俺は匿名発言を全否定する気は無いし、俺も2ちゃんねるに書き込むときにいちいち名前を書いたりはしていない。
その辺は顔出しYouTubeと顔隠しニコニコ動画のような文化の違いというか、いちいち見た目でdisってくる日本人の民度の低さとかまあいろいろあったりはするんだが、それはまた別の話かな。
もちろん匿名で発言する機会は絶対に保証されるべきだと俺は思う。安全が保証された立場からでしか言えない事も少なからずある。実名を法的に強制されるようなアイデアが出たら、俺は絶対に反対するだろう。
そして匿名発言できる場所は、すでに2ちゃんねるなどもあるし、WinnyBBSやFreenetのような場所も無くなりはしないだろう。とりあえずそこらのブログのコメント欄やら何やらで匿名発言を許可する必要はまったく無い、というのが俺のひとつの結論。
そういうわけで、対応としては「匿名発言は基本スルー」がもっとも現実的かつ効率がいいと、俺は考えるのである。
@ 関連記事:
このへんの話は前にも何度か書いてるので、関連としてあげておこう。
ブログのコメント欄はたいてい匿名発言 = リスクは2chと同等
「◯◯という条件を満たしていないものは信じられない」という言説は信用に値するだろうか?
匿名性の担保は誰がやる?
virtual は現実です
匿名議論は実名議論よりも質が高いのだろうか
(@374)
@ 追記:
ああ、なるほど、 黒木ルール ね。そういえばそんなものもありましたね。
その存在はすっかり脳味噌から消失した上で書いたものなので、黒木ルールそのものではないです。
別に匿名による批判を禁止するつもりもないし、そもそもウェブ全体から来るものなので禁止しようがないでしょう。
まあしかし黒木ルールの「恥をかくことで責任を取れ」という考え方は非常に近いものを感じます。ただ「恥」という表現が若干アレかなという気はするけども。