2007年12月08日(土) [過去の今日]
#1 mixiで犯罪告白してしまう心理とウェブサービスのあり方
今週のヤングサンデーは平野綾のインタビューなんかもあって、こちらはこちらで非常におもしろかったのだけども、連載してる「クロサギ」という漫画のセリフがちょっと興味深かった。
会員制クラブについて語っているシーンなんだけども。
ただの金持ちや得体の知れない人間は参加できない「はず」。誰かの紹介で入ってきているのだからだいじょうぶな「はず」──
そう思うからこそ会員たちは安心して交流を深めることができ、実際にビジネスにつながる事も多い。
だが、裏を返せばそれが落とし穴。
入口の検査が厳正であればあるほど、人は中にいる人間を信用する。
(ヤングサンデー2008年01号42ページ。「クロサギ」第197話より)
これ見たとき、「mixiのことかー!」と叫びそうになった。
まあmixiは既存会員からメール送られるだけ、という緩やかな会員制ではあるんだけど、心理的にはかなり近いんじゃないかな、と思った。
犯罪告白に限らず、ちょっと悪いことしたとか、プライベートでこんなことがあったとか、そういう心理状態では非常に書きやすい。
得体の知れない他人はいない「はず」という思い込み、知り合いつてで来たのだからだいじょうぶな「はず」という思い込み。
私的空間と公的空間には境目があって、「身内しかいない」という状態がそれなんだけど、「紹介されないと入れない会員制サイト」ってのはそういう状態だと思いこみやすいのかな、と。
もっとも、チャットルームなんかもけっこうそういうプライベートと公の間みたいなところがあって、けっこうなぶっちゃけ話なんかが飛び交ってたりはする。同じチャットルームにいる「仲間」「身内」という緩やかな安心感があるんだよな。
でもそれは今チャットにいる人間しかログは持ってない、という前提から来るもの。実際はそのログを誰かが公開してしまうことだってあるんだけども、まあ普通それはない、という安心感。
問題はmixi日記のデフォルト設定が「全体に公開」になってて、ユーザーが入って来た時の意識とズレがあることなんだろうね。友達か友達の友達くらいしか見てないから安心、と思っていると……という。
このへんウェブサービス開発者としてはどう考えるべきなんだろうね。ユーザーの「期待」と「実装」が違ってるわけでしょ。
もちろんユーザーの期待に沿ってればいいサービスになるかといったら全然そんなことはないわけなんだけども、「こういうものだ」という誤解のまま使って問題化するってのはちょっとね。
どこかでその誤解を解くような何かが必要だと思うし、思い込みやすい期待にそってサービスを構築するというのも必要だろうと思う。
その辺は「こう動いて欲しい」と思った通りに動く、というのにも通じるかな。人間というのはある種の「予断」をもって行動するわけで、その予断と実際がずれてるのにずれてないと思い込みながら行動し続けられてしまうというのは、サービス側の欠陥と捉えてもいいんじゃないかな、と思うんだよな。
(@498)