2007年11月10日(土) [過去の今日]
#1 俺たちの天国だったネットにスカしたダンサーだのビジネスマンだのが入って来て居心地悪くなった
という、表題のような感覚を持つ人はけっこういるんじゃないかなあとは思ってた。
5〜6年くらい前までのウェブっつえば、もうそりゃ怪しげで、なんか変な人たちが変な人たちに向けて変なことやってるような世界。ネットで目だった人はたいてい ネットワーカー研究所 に載ってたり、有名な荒し集団のメンバーが掲示板立ち上げて似たような奴等が集まってるぞみたいな、そんな世界。gooやgoogleでちょっと検索すると、違法なデータなんかもごろごろ出て来ちゃうような、ひどい時代。
インターネットに一般の人間が入り込んで来た90年代半ば以前は、また雰囲気も違ってたかもしれないけどね。
ま、少し前のインターネットってのは、そういう感じだった。そういう怪しげなおもしろさってのはあったし、俺たちもそういう怪しさを楽しんでいたように思う。
雰囲気が変わって来たのは、たぶん2003年のブログブームあたりからだと思う。ウェブで日記を書く奴ってのは(俺も含めて)その前からずっといたんだけど、ブログサービスを立ち上げた会社が芸能人だの有名人だのを引っ張って来て、一気に表向きな世界になった気がする。
そしてアフィリエイト。以前からネット広告ってのはあったけど、アフィリエイトでその敷居ががくんと下がった。人が増えて実際に利益を出し始めたのもあるだろう。
ブログ+アフィリエイトで、今までネットに興味持たなかったような層を引きこんでしまった。
誤解を恐れず言い切ってしまえば、90年代後半ごろから、ネットは我々オタクたちの天国だった。それなのに、いつの間にやら健全でモテ系なダンサーだのビジネスマンだのがこの世界に入って来て、前からいたオタクたちよりもずっとメジャーになってしまった。
言い方は悪いが、言ってしまえば「後から来たやつらがおいしいところだけもっていきやがった」感じだ。
前の記事 を書いたおかげで、世の中には「自分を不幸にしてでも他人を不幸にしたい」と思う人が意外に多いことに気付いた。当人よりもむしろ周辺の反応を拾ってくと、それに気付く。
そういう人らの気持ちってのは、正直言えばさっぱり理解できない。俺は基本的に快楽主義者で、快=善、苦=悪という、ギリシア時代のシンプルな考え方に賛同している。苦労なんぞ自分がするのも人にさせるのも大嫌いだ。不幸なことなぞ少しでも無い方がいいに決まってるし、幸せは少しでも多い方がいいに決まってる。
だから俺は、ダンサーだのビジネスマンだのがネットにやって来て幸せそうにしていても、別にどうとも思わない。幸福総量が増えていいんじゃないかと思うくらい。あー、どうせなら俺にもわけてーって感じ。
でもね、どうとも思わないってのも程度問題で、ちょっとはあるんだよ。くっそう、やつらうまいことやりやがってって気持ちがな。
まあそこでオタク思考にハマって「まー、やろうと思えばやれるけど、別にやりたくないしー」とか言ってても別にいいし、実際このサイトに関しては俺もそういうスタイル。ここは俺が好きなときに好きなことを好きなだけ吐きだせる場所だと思ってるし、これからもそういう場所として確保しておきたい。
そういう状態で意外とたくさんの人に見ていただけているのは僥倖という他無いし、それをまた異論はあろうがこの場にいさせてくれている 美紗緒ネットワーク の仲間たちにはこの上なく感謝している。あんまり負荷あがると追い出されるんじゃないかとビクビクはしてるのだけども。
だから別に「まー、やろうと思えばやれるけど、別にやりたくないしー」とかいってる奴等は、別に嫌いじゃない。オタクくせえなあとは思うけど、俺もオタクだし、お仲間お仲間。無害だしね。
でもねえ、叫びを上げた人より、それに賛同して叫んでる人を隠れ蓑に呪詛をつぶやくような連中は、ちょっとな。消えてしまった善良な人にいなくなってせいせいしたなんて言えるような輩、産まれて来る子供に冗談でも「死ねばいいのに」なんて言える輩。
俺らとは違って本名も住所も電話番号も晒してるわけじゃないし、ネット上の別人格程度に考えてるから、できるんだろうけどね。その程度じゃ訴訟沙汰にはしないだろうという、ある意味disりの対象への信頼感が背景にあるのがおもしろいけどな。 *1
そいつらがそのような呪詛を唱える事で快を得てるのかもしれないが、その快のためにより多数の苦が撒き散らされる。快=善、苦=悪、幸福総量最大化という観点からは、これは完全に悪。
こういうこと言うとなぜかニヤリと笑い、嬉々として反論して来る。あるいは悪であり嫌われの身である自分に酔い出す。そういう類の人間とも実際に会ったことあるし、おそらく同様の類ではないかと推察する。
悪である自分、嫌われの対象としての自分、マイノリティとしての自分、不幸な自分。
そういう立場というのは、ダンサーやビジネスマンに自分の遊び場を乗っ取られちゃって、いつの間にかいなかったことにされてるかのような90年代ネット住民なオタクたちと同じなのかなあ、なんてことをね、少し思った。
(@557)