2007年07月05日(木) [過去の今日]
#1 加害者少年が凶悪犯罪を犯す事情
激論「太田総理」で騒動 民主議員が「お詫び」 という記事。ちょっと前にも 痛いニュース で話題になってたね。
もちろん俺もこのもの言いはよくないと思うし、叩かれてもしょうがない、詫びを入れる事態になったのも当然、とは思う。
だがこの民主党議員の言う「犯罪を犯す事情」というのも、理解できなくは無い。
それは加害者も「子供」だということだ。
子供だからって許されない事は当然ある。人を殺す、それもいじめ殺すなんてのは許されていいはずは無い。
だが、そういう他人を「いじめ殺すような子供」に育った原因というのも、当然あるのだ。
少し時間をさかのぼって考えればいい。3歳児が走行中の車に石を投げて誰かが大怪我したとしたら、その責任は誰にある? 当然、親だ。じゃあそれが4歳なら? 10歳なら? 15歳なら?
こう考えると「俺は15歳なら責任取らせていいと思う」とか「いや、18歳までは無理だろ」とか、個人の主観で判断するハメになる。
そのために法律で成人年齢が決められ、そこを境に責任が親にあるか本人にあるか判断するようになってる *1 のである。
そう、責任は親にあるのだ。そう育ってしまった原因も、そこにある。だから親にきっちり責任取らせればいいと思うのだ。一律というわけにはいかないだろうが、子供が死刑に値する事件を起こしたら、親が死刑になればいいんじゃないか *2 と思う。
子供はきっちりと少年院で「育て直し」を施し、成人してもまだ更生の見込み無しなら改めてそこで死刑に処してもいいのではないだろうか。
それを実行するのは相当難しいのはわかってるが、なんとかそういうふうにできないかなあと思うのだ。人ひとり殺しておいて、子供は数年で何事もなかったように少年院から出て、親は何ひとつ責任を取らない *3 なんて、あっていいはずはないのだから。
(@034)
*2: そもそもそういう覚悟の元で育ててるという気持ちが伝われば、犯罪もおかさないんじゃないかという気はするんだけどね。まあこれは希望的観測かもしれん。
*3: 親を奪われる兄弟の事も考えてやれと言われそうだが、むしろそっち方面からの意見を聞いてみたい気がする。誰も責任らしい責任を取らないのがいいのか、はたまた責任こうやって取ってますみたいな話になるのか。