2007年07月03日(火) [過去の今日]
#1 「◯◯という条件を満たしていないものは信じられない」という言説は信用に値するだろうか?
コメント欄の無いブログは信じるな という記事。
昔から「自分を善人だという善人はいない」だとか「科学的説明が付いてないものは信用できない」だとか言う人がいるが、それはどれだけ信用できる言説だろうか。
ある条件を満たしてない場合は切り捨てられるというなら、それは機械が判断できるということだ。機械に判断できる程、世の中はシンプルなもので溢れてるだろうか?
「自分をAであるというAはいない」も「科学的説明云々」も実に脆いもので、例外はいくらでも出てくる。
コメント欄の無いblogが信用できないというのも同様に、例外はいくらでもでてくるだろう。そう機械的に割り切れる話でもない。
じゃあ例外をのぞけば正しいのか、というと、それこそ何%までなら例外なのかという話になってしまう。結局のところ一般通例を成立させるにはそれなりの長い期間と調査が必要で、個人のたかだか数年の経験則から成立ようなものではないということになる。
このサイトもコメント欄が無いが、そもそも俺が hns を設置した2001年にはまだコメント機能が無かった。そのうちコメント機能がついたのだが、いくつかの理由があって使わないまま現在に至っている。
コメント欄はspamの温床になるのは分かり切ってたし、かといって有効な対策も今のところ思い付いてない。最近のblogシステムはコメントにspamフィルタや認証がついてるものも多く、それの出来次第では導入してもいいかな、とは思ってる。が、基本的に俺はコメント欄は好きではない。
なぜかというと、コメント欄なんて議論にまったく向かないのに議論をふっかけてくる輩がいるからだ。そういうのはめんどくさいのでメールか自分のblogでやって欲しい。refererは見てるので発見次第返答を書く。最近は一言コメント程度の返答は はてなブックマークで付けてる ことも多い。
「ツッコミたいのでコメント入れさせろ」という要望もあるのだが、自分のblogに書けず、メールでも送れないようなツッコミが有用なものだとも思えないのだよな。
この問題はここ数年ずーっと考えていて、コメント欄が議論に向いたインターフェイスになればいいんじゃないかとは思ってる。blogがそのままMLのようになればいいんじゃないかとか、いろいろ考えてはいるんだが、まだこれだというアイデアが出てないのが現状だ。
ま、それはともかく、ものごとはそう簡単に通例化しないすよ、というお話。特にblogの歴史なんて始まったばっかで、みんな狭い経験則しかしらないしね。俺だって人よりは読んでる方だと思うが、400万もある日本語ブログのうち、たかだか300かそこらしか読んでない。0.01%の調査もできてないのに一般化なんて無理無理。
(@500)