2006年03月02日(木) [過去の今日]
#5 ネットにおいて人は平等である
ぶらっとウェブを見ていたら、 はあちゅう主義「小娘が何か言ってます。」 という記事に人気が集まってるらしいことを知った。読んでみたがどこらへんがおもしろいのかよくわからない。著者は何年か前にクリスマスまでに彼氏を作るブログなんてのを作ってる若い方だというのは、名前からすぐに思い出した。
俺的感想としては「ふんふん、最近の若い子の感性だとこんなふうに見えるのねえ」というあたりでとくに面白みはなかったのだが、なぜかものすごい人気のあるエントリーなのだ。
blogmapで調べてみる と、どうやらこの文体のバカっぽさや認識の甘さ、論理性の欠如などがウケているらしい。
身近に同年代の女性がいるせいもあるのかもしれないが、俺はそこらへんは気にならなかった。むしろちゃんと自分なりに危機感を持っててえらいなあと思うくらい。この年代のオンナノコとしてはずいぶん立派なもんじゃないだろうか。
しかし、ネットはそれを許さなかった。笑い、あげつらい、文章をテンプレート化した上でさらに笑いのネタにした。
考えてみれば、普段から筋道の通った議論に慣れてるブロガーからは、こういうごく一般的な視点と切り口はバカっぽくしか見えないのは当り前だ。俺も身近にそういう人がいなければ、同じようにバカ笑いしてたかもしれない。
その意味で、ネットは平等だな、と思った。頭のいい人、悪い人、議論慣れしてる人、してない人、みんな同じ土俵にいる。だからこそ出自も状況も関係なく、叩かれるものは叩かれ、賞賛されるものは賞賛される。
これほど平等な社会がいままであっただろうか。公道での自動車の運転も同様に平等かもしれないが、若葉マークや紅葉マークを付けた車は優しくされる。今のネットにはそれすらもない。
これはすばらしいことなのかもしれない。
@ とりあえず教育改革について:
可及的速やかに教育改革せよという意見が、20歳くらいの人から出てきたというのは非常に興味深い。俺は30代前半だが、中学生の頃から教育改革を切望していた。覚えるだけで理解に踏みこめない授業、生徒の疑問を暴力で押え付ける教員、学校という制度そのものに絶望していた。
そういう時代をくぐりぬけ、実際に教育制度にも手が入り、今はだいぶマシになっていなくてはならないはずだ。
だが現実はこれだ。俺より10も下の世代から、教育改革の必要性を言われなくてはならない。結局ダメな教育を受けた世代の教員が、ダメな教育を受けた世代の親から産まれた子供を、ダメな教育のまま育ててるということか。
ゆとり教育の本質は、内容を減らす代わりに濃くすることである。たくさんの問題をひたすらやっていくのではなく、一つの問題を深く探求することだ。しかし実際には濃くならず、分量が減っただけで終ってしまったようだ。
社会人経験者の教員を増強するなど、文科省もがんばってはいるようだが、いかんせんベースが悪すぎる。もっと思い切った改革がなされなければ、本当の教育改革はできないのではないだろうか。
俺ならまず、教員免許を全員に取り直させる。取り直せなかった教員は、要らないのだ。
(@604)