2006年01月01日(日) [過去の今日]
「肝心なところ」というのは 前回記事 の
何故、生産したコードを利用する開発者のコードの開示まで要求するのでしょうか。
何故、既存の特許権の侵害までをも自由に含めたがるのでしょうか。
だと思いますが、 前者については私の考えとして、フリーライド抑止効果について語っておきました。もちろんGNU側は著作権法におけるソフトウェア保護への反対運動 *1 ですから、GPLが拡大し、事実上ソフトウェア著作権が行使できない、行使されても影響が無い状態に持って行きたいから、ということでしょうけども。
後者についてですが、特許についてよくわからないので何とも言えないと書きました。またGPLv3における特許対策はまだどうなるのかわからない *2 ですし、「侵害の自由」というのは誤解の産物であろうと考えています。
GPLの特許問題については、その後 参考になる記事 を見付けたので、引用します。
また、「GPLは特許に対して何の手当もできていない」と岡村氏が話すよう、特許との関係についてGPLはもろい部分がある。前述の図で言えば、GPLソフトウェアにAの著作権がもともと含まれているケースや、改変部分にBの特許が含まれるケースに関して、それを禁止する条項がない。また、第3者の特許が含まれている場合は、その特許権者はGPLの契約当事者ではないから、GPLに拘束されずに特許権を行使できる。この場合、当該GPLソフトウェアの配布を断念するか、地理的な頒布制限を加えて配布するしかない。「プロジェクト潰しなどを狙って第3者の特許を含んだコードを加えられる危険性もある」(岡村氏)
ということは、このような第三者保有の特許による攻撃や、自分の特許を埋め込んでGPLを無効化(できるのか?)するような事を防ぐための改訂作業だと私は考えます。 一部の噂にあるように、特許を無効化したり特許保有者の権利を侵害したりするような改定になるのなら、改訂作業者の間で反発が出るでしょうし、そうでなければGPLv3は社会から無視される事になるでしょう。
しかし、たとえGPLコードに含まれる特許に関して特許権を行使できないとする条項が入ったにしても、その特許のGPLでの実装にOKを出すのは特許権保有者ですから、実際には問題にならないでしょう。問題になるとしたら、ソースコードと同様の扱いを特許に対しても行うという場合でしょうが、その場合は松田さんの心配通りということでしょうね。それは私もそうならないことを祈りますし、なったら私もGNUシンパ *3 ではいられないでしょう。ことによれば、GPLv2でライセンスされたコードによるGNUシステム全体のforkが起こり得る事態だと思います。それ故にそうはならないとも思っていますが。
@ フリーライド抑止効果の有無:
私の例示した事例はあまりよくなかったみたいですね。しかし、フリーライドを根本的に防ぐ充分な武器とは、クローズドソースによるproprietaryな配布形態でしょう。著作権法が守ってくれますし、もっとも効果が高いと思われます。
順番でいえば、proprietary -> GPL -> Artistic -> BSDL の順番にフリーライド抑止効果が高いでしょうね。GPLはproprietaryよりもフリーライドを許容してると考えられます。そしてどこまで許容するかは、繰り返しになりますが作者自身の自由意志で決めればいいことです。他人がとやかく言うことではありません。GPLが過剰だと思うかどうかは人によるでしょう。私はシーンによっては過剰だと思いませんし、使いやすいとも思います。
@ しかし:
GPLを誤解してる人が多いのも事実。とあるソフトウェアなんぞ「GPL的に問題があるかもしれませんので、改変再配布はご遠慮ください」とか書かれてびっくりしたことが。
そういう意味でも、GPLを正しく理解し、メリットデメリットをきちんと把握することを助ける文書は、もっとたくさんあっていいだろうし、こういう議論が検索エンジンにひっかかることも有益だろうと思う。
@ リンク:
*2: 一部の噂として特許を逆攻撃、あるいは無効化するような条項が含まれるのではないかという話は聞きいてるが、実現性も含めて眉唾な話に聞こえる。実際のところは1月の会議後に出るdraftを見る必要があるだろう。
*3: もっとも、自分自身はGNUシンパというよりDebianシンパに近いと思う。GNUの思想よりDFSGのほうが好きだからだ。non-freeを許容する姿勢も現実的だし、多様性の維持という面ではGNUの考え方より優れてると思う。