狐の王国


2007年07月28日() [過去の今日]

#4 ネットユーザーは「ニュータイプ」なのかもしれない

前の記事 を書いてて思ったのだが、ネットユーザーってのはもしかしたら「ニュータイプ」なのかも。

機動戦士ガンダム という作品に登場する人類の革新である「ニュータイプ」は、なんか色々すごい。初めて乗ったモビルスーツもすぐ乗りこなすし、敵の存在を肌で感知したり、脳波で武器を好きなように動かしたりする。

ネットユーザーも、知らないことはすぐ検索して知ってしまうし、文字だけのメッセージから相手の感情を肌で感じとれたりするし、脳波じゃないけどちょっとした操作で人間だけじゃなかなかできないことをコンピュータであっという間に片付ける。

こういう能力はネットを長年使ってると多かれ少なかれ身につくもの。ネット適応と考えれば、宇宙空間の生活に適応したニュータイプとやはり同じだ。

だとすれば、こういう能力を身につけた我々ニュータイプと、そうではないオールドタイプとの間に、大きな溝が産まれてもおかしくない。

今でもそういう溝は見え隠れする事がある。例えば最近だと、2chの ググレカス なんかがそうだ。ググれる人とググれない人、ニュータイプとオールドタイプの溝だ。

ニュータイプには「その程度でニュータイプ? 普通じゃん?」とか思える事だろう。書いてて自分でもそう思う。だが、実際その程度もできない人がかなり多いのだ。だって携帯電話ユーザーなんて 検索エンジンに「暇」とか「つまんない」とか入力しちゃう んでしょ? 思いっきりオールドタイプすぎるだろ。ある意味新しいけどな、ある意味。

ネット使いこなしによるニュータイプの増大した知識や高い知見に、オールドタイプはなすべくもない。実際、 痛いニュース なんか見てると、我々からしたらどう考えてもおかしい意見や活動をして笑い者になってる人たちがいる。あれはオールドタイプなんだ。

ネットに住み着いてるように使いこなしてる人間には常識レベルでも、そうじゃない人にはすごいことだったりする。それが今ははっきりとは見えてないけど、その格差はもうすぐありありと見えるようになっていくだろう。

小中学校に導入されたパソコンを使った授業では、もう何年も前から学校の先生より生徒の方が詳しいなんて事態が起きている。生徒の知識や知見が、先生を上まわる事もどんどん出てくるだろう。

そうなったとき、大人は大人の立場をどうやって守るのか。子供たちをきちんと育てられるのか。

もしかしたら、今の子供たちがおかしく見えるのは、その始まりなのかもしれない。

(@670)

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#3 「昔の大人には威厳があった」のは、みんなが無知だったからなんだ

おたく族という病 という2chまとめ記事。 正論一喝! というblogについての2ch反応。

まあプロキシや「きんもーっ☆」など、やけに詳しい面を見ると釣りっぽくも見えるが、全体としてはいかにも「昔の頭の堅いオヤジ」という体で、好感すら覚える。あまりにおもしろくて、思わず全記事一気読みしてしまった。

もっとも、俺もオタクの一人なので、この人の敵ということになろうがね。

ただ、ある程度の年齢の人にしかわからないだろうけど、「昔よくいた恐い大人」ってのはこういう人だったんだ。俺はこのblogを読んでそれをありありと思い出した。

そう、「威厳ある」「怖い」大人ってのは、実はものすごく無知。新しいものにはついてけないし、間違いを決して認めない。実はものすごく偏狭な人間だったんだ。

昔はそれでも若い者がもっと無知だったから、充分威厳を発揮できた。新しくて理解できないところは、その威厳をもって若い者にやらせることもできた。でも今は違う。

今は情報が溢れてる。ネットによって得られる情報量は、紙やラジオやTVの時代とは比べ物にならない。そこで交わされる議論の経験値は、ネット以前の時代じゃ考えられない程の値になる。

年を経て積み重ねて来た経験を、あっさり越える程の速度で、我々ネットユーザーは大量の経験値を積み重ねている。

もちろんそれだけが理由では無いだろうが、無知でも長く生きた元気なオヤジが威厳を振りまけるような余地は、もう残されてない。これはもう間違いない。

まだ「リアル信仰」というか、ネットをリアルだと認められない人が、ネットでの経験を軽く見るというのが散見される。それは間違いだ。はっきりそれは認めた方がいい。

直接対面で1人を相手に3時間議論するより、3時間かけて数十万人を相手に2chで議論したほうがよっぽど経験値は高い。 このへんはessaさんの 10000人乗りの自転車 と同じだね。

もう無知は通用しない。知ることのコストが極限まで低くなった今だから。

逆に知ってる事の価値も小さくなった。Googleに聞けばすぐわかるから。

だからもう、「昔の大人」のイメージに振り回されるのはやめよう。子供が畏怖をもって大人に接していた時代を懐かしむのはやめよう。

それが通用したのは、みんなが無知だったからに過ぎないのだから。

(@645)

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#2 ていうか俺らがコピーさせろって言ってるのはさ

別にWinnyに流させろとかいってるわけじゃなくてだよ。

マッシュアップが見たいんだよ。MAD作らせろよ。俺はMAD大好きなんだよ。もうこれひとつの文化といってもいいだろ。

あと大事なのが引用な。きちんと議論するのに必要な映像をYouTubeにアップして引用して議論する。これは俺たちの権利だ。

他にも録画フォーマットの問題とかモバイル機器への転送とかいろいろあるけど、基本的にはそれだろ。

そのためになら補償金くらい妥協してやったっていいんだよ。

(@344)

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#1 Firefoxにtext-shadowがやってきたのでさっそく入れてみた

もう20世紀のころから実装が期待されていた文字に影を付けるCSSの規格、text-shadow。 すでにKHTMLなどでは実装されてたのだが、とうとうFirefoxにも Piroさんによる実装 が登場。

というわけでさっそく俺もインストールして、日記の見出しにtext-shadowを付けてみた。うふふ、なかなかきれい。

しかし、ボックスサイズが自動で大きくなっちゃう副作用でもあるのか、文字がはみ出す。なんでだろうか?

(@305)

追記:なんか/.-jがtext-shadowだらけになるな:

Konquerorで見てもtext-shadowかからんし、なんか暴走しとんのかな?

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2006年07月28日(金) [過去の今日]

#2 Athlon64X2 Socket939 L1 1MB 販売終了

……orz

これ狙ってたのになあ……。俺はCPUの速度よりL2の大きさやコアの数が欲しくて、Athlon64X2に乗り換えられるよう、Socket939マシンを組んだわけだが……。

はあ、まだ手頃な値段になる前に消えるとはな……。4400+欲しかったけど、32kは出せねえ。

(@937)

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#1 ブログページ単体へのリンクは迷惑行為です

言い切っちゃってるページ があるらしいことをはてブで知った。

んー、このblogのblogたる所以というか、単体記事にアクセスできなきゃblogと呼べないんじゃないかとか、そのへんふっとばしてなかなかご高説ぶちあげてくださってるのがおもしろい。

まあ、 この人のサイト もソース読むといまだにHTML2.0でiframe要素とか使っちゃってたりするアレでナニな感じで、わざわざスクロールバーが出るように作りこんであったりと、まあユーザビリティとかアクセシビリティとかどうでもいいんだろうなあ。

記事に言及してるのにわざわざトップページにリンクしてた知人に「それはユーザビリティを下げる迷惑行為だ。ちゃんと記事にリンクしなさい。トップページから当該記事を探す手間が大変すぎるだろう」と注意したのだがなかなか聞き入れてくれなかった事を思い出した。

(@267)

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2004年07月28日(水) [過去の今日]

#1 萌えアニメ

ぬう、やっぱステルヴィアは萌えアニメですか。俺はあんまり科学知識無いので、普通にSFとして楽しんでたなあ。確かに成長物語だったり恋愛物語だったりもするけど。

90年代に流行った映画「タイタニック」でも、タイタニック事件の悲劇をかなり細かく描いてたり *1 して、そういう方面でもかなり楽しめる作品なんだけど、表向きはベタな恋愛ストーリーを描いてる。こういう描き方ってのは、一般受けとマニア受けの両立という点で非常に効果的なのではないかと思うのだがね。タイタニックの恋愛ストーリー自体がかなりアレなんで効果的だったかどうかは別として。

ステルヴィアの話に戻すが、グレートミッションをSFとしてがっつり描いてたらアニメとして成り立ってなかったと思うのよね。ああいう人類絶滅物ってのは90年代末に何作品か出てるわけだけども、「アルマゲドン」にしても宇宙の常識からかけ離れて無茶やって親子愛でごまかしてるし、「ディープ・インパクト」にしても父親と娘の思いだったり、少年のまっすぐな恋愛だったりを表に出してるわけだね。

逆にホントにがっつり描いちゃった物として、SFではないのだが塩野七海の「ロードス島攻防記」がある。これは小説のはずなんだけど、当時の砦の様子がかなり細かく描かれており、あんまり細かすぎてもはや論文になっちゃってる。

結局SFのおもしろさというのは論文のおもしろさとは違うわけで、ストーリーとして昇華してないと意味が無い。だから恋愛物だったり成長物だったりする軸に沿いながら展開してくことに俺は問題があるとは思わない。だから「ステルヴィア」をSFとして楽しめないのは知りすぎてる所以じゃないの、と「知らない」俺は思うわけだね。それはそれとして楽しめば、もっとおもしろい作品はたくさんあるんじゃないのと。

(@561)


*1: 後に世界初の自動車事故で死亡することになる「コマで遊ぶ少年」とか、登場人物がかなり細かい。
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2003年07月28日(月) [過去の今日]

#4 using CSS1 with HTML

/.-jの投稿 でハッケソ。

俺もアンチョコにしてる「スタイルシートWebデザイン」の元データが公開されてる。txtやdoc……MS-Wordかな、そういうもので構成されてるので非常に読みにくいのだが、正しいHTMLの理念を伝える書籍が無償公開されるというのは非常に嬉しいことだ。

(@951)

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#3 デタラメなHTML入門@朝日新聞土曜版

これはかなり酷い。久々にカチンと来たので俺も朝日新聞に抗議文を送った。返事も来て、それにさらに返事も書いた。二度目のメールにはそのやりとりを公開する旨を伝えてあり、問題があれば連絡をくれと書いておいた。2〜3日して何も言って来なければ公開するつもり。

(@907)

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#2 ゲーム機売れてもソフトは売れぬ…

ふむむ、ゲームソフトが売れなくなってるんだと。原因はいくつかあるが、ゲームそのものが複雑化してるというのが問題らしい。IRCでも少し議論したが、確かにさくっと遊べるゲームが無い。とっつきが悪い。おもしろさを理解する前にやめてしまうこともよくあるようだ。また、その割にグラフィック機能やサウンド機能が強化され、容量が無尽蔵に広がってるので、制作費がとんでもない金額になってしまうこともままあるようだ。これは同時に、大作化が進んで一つのゲームにかける時間が多くなってしまった、ということでもある。そのゲームをやってる間は他のゲームをしないのだから、当然売れ行きは悪くなる。

しかし、WiredNewsの 「女性向けゲーム市場はなぜ存在しないのか?」 などを読むと、実はネットワークゲームの市場はまだまだ未開拓であることがわかる。この記事によれば従来のゲームを遊ぶのはほとんど男性で、女性が遊ぶことはあまり無い。しかし、ネットワークゲームには実に多くの女性が参加している。

つまりはコミュニケーションを重視したゲームが少ないせいで、女性がゲームをやらないと考えていいのではないだろうか。実際、俺もゲーマーではあるが、一人でやるゲームには飽きてしまった。ストIIのころから人と遊ぶ快感を味わい、孤独にゲームをやるのはもう耐えられないと言ってもいい。

思えば子供の頃、学校で友達とゲームの話をするのは楽しかった。あの頃はゲームがコミュニケーションツールだった。一緒に交代でゲームをやるのも、あれはあれで楽しかったのだ。

そうだ、ゲームは人と人を繋ぐものなのだ。ゲームを媒介して我々は人間とコミュニケーションを取って来たのだ。レースゲームのタイムアタックも、アクションゲームの神技も、すべて人に見せて喝采を浴びるためではないのか。

ゲーム機は、コントローラを一つしか付けなくなった頃から、どこかに迷いこんでしまったのではないだろうか。ゲームの需要はあるのだ。なによりゲーム機自体は売れてるのだから。

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#1 まうじゃん

昔からこの麻雀ゲームには楽しませてもらってる。ネットワーク対戦機能が強力で、一度落ちてしまってももう一度入り直せば続きもできる。

Windows用のソフトなのだが、最近はJava版の開発が進んでるようで、先月にはネットワーク対戦にも対応したようだ。しかし、手元のj2re1.4で動かしてみると、牌が化けてしまうというバグが発生していた。手牌が全部同じ牌になってかなり笑ったのだが、そのままロンすると四暗刻になってしまったりしてさらに笑った。

ちなみにクローズドソースだしJavaわからないので原因不明。こういうのも作者に報告したほうが幸せになるんだろうか。

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Sugano "狐志庵" Yoshihisa(E) @ 美紗緒ネットワーク <koshian@misao.gr.jp>
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